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No52 |
命を見つめる
(6/7)
旭山動物園園長、ボルネオトラストジャパン理事
大切なおふくろの味
今、代用乳とか色々な便利なものがいっぱいできて、例えば赤ちゃんを連れて歩く時も、今はあんまり抱っこをして連れている人は少ないですね。乳母車に乗せるということが多いと思います。全然目線も変わってしまうし、本当は大変でも、やっぱり彼らの暮らしを見ていると、抱っこなんだなとすごく思います。
抱っこが基本で、育っていく中で今度離乳していくのですが、おっぱいだけではおなかいっぱいにならない。じゃあ、お母さんが、はい食べなさいとかみ砕いて与えてあげるのかというと、そんなことはしないんです。おいしいものは、母ちゃんは自分で食べるんです。ひたすら食べるんです。ただ、必ずひっついている赤ちゃんは、見上げたらお母さんの顔が見えるんですね。お母ちゃん、何かうまそうなもの食ってるなとやっぱりわかるんですよ。どうするかと見ていると、その赤ちゃんはお母さんの口の中に強引に手を入れます。むにゅむにゅって手を入れます。そうしたら、お母さんが食べているものがつきますよね。それをなめます。それがおふくろの味になっていくんですけど、生まれもっておいしい、まずいという味覚があるわけではないです。やっぱり生活している中で、その土地で暮らすこと、そこにあるものというのがおいしく感じる味覚が育っていくんですね。それがおふくろの味になっていって、例えばこのオランウータンなんかだと、 7 〜 9 歳でひとり立ちをしてジャングルに出ていきます。ジャングルに出ていったら、もう何千種類の木の実がなっています。どれが毒なのか、どれがおいしいのかってわからないですよね。何を頼りに生きるかというと、おふくろの味なんです。口にしておいしいものは食べる。おいしいと思わないものは食べない。それがもうそのまま生きる知恵につながっていって、引き継がれていくということだと思うのです。
今の社会の中で確かに便利になって、どんどん楽になる仕組みがいっぱいできました。過程を省いて結果にすぐに結びついていくもの、例えばカップラーメンなんかは典型だと思います。そういう食べ物がどんどん増えてきて、都会の子どもたちのアンケートをテレビでやっていたのですが、お母さんたちが一生懸命つくった煮物と誰のためにつくったかわからないカップラーメンと、どっちがおいしいかという実験をして、かなりの子がカップラーメンのほうがおいしいとなりました。これすごく問題だと思います。そういう味覚が育ったということなんですね。だから、本当は僕たちがつないでいかなければならないもの、すごく大切な絆の部分を置き忘れてきている。その中で僕らが一方で便利になって、快適になって、だけどその結果が、もしかしたら生き物としてつないでいかなければならないものを本当に置き忘れたまま、だからこんな社会になっていっている。もしかしたら、色々なことでそんなことがあるのかもしれないなと思います。
1 頭目はモモというお姉ちゃんで、後に事故で死んでしまいましたが、 2 頭目が生まれたときはちゃんと抱っこできました。お姉ちゃんのほうは、もう本当に生まれるところからずっと見ていましたね、出てくるところから。でも、これ何、あれ何みたいに興味津々で、お姉ちゃんのほうは雌だったので、多分この 1 回の出産を見てお母さんになっていくんですね。
動物たちの暮らしの中では、生まれること、死ぬことというのは特別なことではないです。本当に日常です。生まれること、死ぬこと、命をつなぐことというのは、一番日常でなければいけないことですね。それが僕らの中では、「命は大切」という言葉の中で見えないものにどんどんなっていって、出産すら高度医療みたいな話になってくる。特別なことになってしまって、例えば子どもに「死って何」と聞くと、ほとんどの子が「病気」と答えます。病気じゃないですね。いくら治療を続けたって必ず死は来るわけで、たまたま病気が原因なだけで、「命は大切」は「どう生きるか」なんだなとつくづく思います。彼らの暮らしを見ていたら日常なんだ、でもそれをちゃんと見て自分のものにしていくことが一番大切なんだなと思います。
お姉ちゃんが弟を子守しているときは本当にすごいですよ。弟が自分で行くのじゃないんです。お母さんが手をとって、お姉ちゃんに預けるんです。見てなさいとやるんです。男の子、女の子は遊び方が違うみたいに、やっぱり雌のほうはままごと的なことが好きです。でもすごい幸せなのですね、お姉ちゃんにしたら弟を抱っこさせてもらえるなんてみたいな。ただ、やっぱりチビなので飽きるんです。飽きるとどうするかというと、これも偉いんですけれども、飽きたから置くということは絶対しない。お母さんに返しに行くんです。でも、お母ちゃんも楽をしたいので、何か変に鬼ごっこみたいなことになっていましたが、それはそれは細やかです。最初抱っこすらできなかったリアンが、ちゃんとこういうふうに自分の子どもを見続けることで、お母さんになっていくのですね。旭山動物園は行動展示と言われますけど、僕は営みだと思っていて、見続けてもらうことが、命というものが何なのか感じてもらえる原点なのかなと思ったりします。
綱を渡る練習をしているときもお母さんが一緒です。すごい見事です。絶対に落ちないように 2 週間、3 週間繰り返して、だんだん一歩ずつお母さんが後に行くんです。一瞬だけは子どもがぶら下がるみたいにして、もう本当に細やかにこういう練習を続けながら、子どもたちが成長していきます。
途中から子育てをしなくなるという育児放棄が動物園でもあって、問題になることがあります。僕らの社会でも多いと思いますが、どういうときに起きやすいかというと、安全を保障したときに起きやすいんです。例えばチンパンジーは群れで生活しています。順位があるのですね。雌の中にも順位があって、順位の低い雌の子育ては、僕らから見ていると何かちょっとかわいそうなんです。食べ物を食べるのもちゃんと食べられなかったりするので、そうなったらその親子だけを安心できるように、特区環境にといって別室に移します。そして子育てをさせてあげようと思うんですが、そうするとどうなるかというと、それまでは絶対に抱っこして食べていたものが、ふと子どもを置くんです。子どもを置いて餌を食べるということを始めます。要するに安全だからなのですね、だんだんその時間が長くなって、あるとき突然それまでできてきた関係がぷつんと切れてしまうということが起きます。
うちの動物園のオランウータンの環境は大人のスパンに合わせてつくっています。色々な腕渡りの感覚だとか、大人には安心なんですね。でも、リアンにしてみると子どもに対しては危険がいっぱいのところだから、結果として子どもを見続けるんですね。ほかの子との比較ではなくて、自分の子がこれまでできる、こういうことができるというのをずっと見続けているから親子の絆ができていくのだろうなと思います。
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