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No44 |
世界最高峰を目指すための「超健康法」
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65歳で登山再開決意はしたが、藻岩山もままならず
私の家は南16条西18丁目で、すぐ裏が藻岩山です。そこへ引っ越して30年くらいになりますが、一度も歩いて登ったことがないんです。家のすぐ傍にロープウェーがあるし、山の裏をバスでも上がれます。トレーニングの第一歩として我が家の裏山の藻岩山に登ろう。531mしかないからあまりにも簡単だと思って、黴の生えた登山靴を引っ張り出して20sを背負って登ってみたら、なんと、馬の背まで行ったら動けなくなりました。当然、心臓の不整脈がひどくなる、脂汗は出てくる、足の痙攣は始まるはで、これ以上はもう無理がきかない。われながら情けない。さぼったつけはこんなもんだと思いました。頂上を諦めてとぼとぼ降りて来ると、途中、80過ぎとおぼしきご夫婦が元気良く「ご苦労さん」と追い越して行く。こんな時に知っている人に会ったらまずいなと野球帽を深くかぶってストックを突きながら下りて来たら、下のほうから子供たちの声がします。幼稚園の子供たちが遠足で登っているのでした。
その時、逆に考えてみました。65歳の爺さんだけど、こんな山を登れないなんてかえって面白い。今は最低の状況だ。実年齢は65歳だが肉体年齢は85歳くらいになっているのかもしれない。ここからもう一回、65歳の普通の健康体に戻ってみよう。80過ぎてもトライアスロンをやっている、富士山にもう何回も登ったというスーパー爺さん、スーポーレディはたくさんいます。そういう人たちがやっても当たり前と思われるだけですけれど、腹を突き出してふうふういってる私が変身したら、みんながあっと驚くんじゃないかなという冗談の気持ちもありました。トレーニング開始です。
手始めは体に重り、足首に1キロ 背には10キロ
ずっと札幌にいるのなら週に4、5回も藻岩山に登ったりできますけれど、その頃、札幌にいるのは月に5日もありませんでした。出張が多い。きょうも、これから岡山に行かなければなりません。全国を飛び歩いていろんな仕事をやっていたものですから、なかなか時間がとれません。でも、札幌駅や空港をうろうろする時間はあります。これだって1日3,000歩以上になります。これも全部トレーニングだ、時間があればもうちょっとやってみよう。1年目は足首に1sの重り、2年目は2〜3sという具合に少しずつ増やしていきました。1970年、37歳、滑降のために約8,000mまで登った時の苦しさを思い返すと、片足に10sずつ重りをつけ、30sの荷物を背負って歩けるようになれば、70歳でもエベレストに登れるのではないか。それに向かって1sから始めました。いきなり4s、5sをつけたら腰や膝を痛めます。
それまで膝も痛めたし、ぎっくり腰にも何回もなりました。ジャンプして転んでアキレス腱を切ったり、肩や膝を脱臼したり、随分無茶苦茶なことをやってきました。その後遺症が今でもあり、この前、膝が痛くてNTT病院の先生に診てもらったら、半月板が殆んど無いといわれました。満身創傷の状態ですが、何か工夫をしながら少しづつやって、病気を治す、膝や腰の痛みを治す方法を、トレーニングしながら考えました。その結果として、体に重りをつけてぶらぶら歩いています。背中に初めは10s、最後は30s。こんなのを毎日背負ったらかえって体を痛めますから、週に1回にしました。ぶり返しもありましたが、これをやったお陰で痛かった膝が治ってきました。手稲山と恵庭山に繰り返し登ったりして1年ちょっと、富士山に登ってみました。そしたら500mの山も登れなかった私が、5合目から頂上まで約3時間で登れるようになりました。僅かな期間のトレーニング、しかも毎日やっているわけではなく、週に何回かという程度でもこれだけの効果がありました。検査もいろいろ受けました。エベレストに行く前の検査では、トレーニング前は85歳の肉体年齢だったのが40代に、しかも骨密度は20代まで回復していました。総体的には30代後半です。人間は適切なトレーニングをすることで、こんなに若返ることができるのです。
エベレストについて調べてみると、登頂率が30%、10人登ろうと思っても3人しか登れない。これは一流の登山家たちも含めての数字です。死亡率は14%、7人に1人は死にます。10年ほど前までは、頂上に着いたら帰りは5人に1人は死んでいるというデータがあります。私の友人に宮原さんという方がいます。エベレストビューホテルを建てた日本大学山岳部のOBで、ヒマラヤのベテラン中のベテランです。彼が60歳の還暦にエベレストに登るんだと、しょっちゅうヒマラヤに行き、トレーニングもよくやっていました。3年間禁酒し、朝5時に起きてマラソンもしました。その宮原さんが、エベレスト頂上南側8,700m地点、世界でほぼ2番目に高い地点まで着いて、ゴーグルが壊れたり、体調がこれ以上無理ができない状況になり、引き返しました。あれほどの登山家が3年間の禁酒やトレーニングをやって登れなかった。私は考えました。この先5年間、苦しいだけのトレーニングは止めよう、特に、大好きな飲み放題、食べ放題を止める決心なんかしないで、今まで10回やっていたところを半分にしよう、と。
昔、エベレスト滑降に行く前、富山、立山の日本アルプスでよくトレーニングをしました。大学の研究室を逃げ出し、日本アルプスで荷物担ぎからやり直しました。ボッカです。初めのうちは50、60sと3年くらい繰り返すことによって、最後は130sの荷物を担いで、工事現場だとか3,000mの山を越えて黒四ダムのヘリコプターの入れない所へセメントを運んだりできるようになりました。130sの荷物を背負ってたのが、帰りは空身ですから段々走るスピードが出てきました。忍者や天狗は山をこんな風に走っていたのか、という感じでした。若い頃の苦労は買ってでもしろ、と昔からいわれています。若い頃のいろいろな経験、苦労は歳をとった時に生きるという意味ですけれど、最近の若い人たちは、若い頃の苦労は勝手にしろといっているみたいです。不思議なものです。30代の、あの苦しさに耐えた立山のボッカの記憶が、70歳でエベレストを登っている体のどこかに染み付いていました。宇宙に一歩づつ歩いて行くようなエベレスト登攀の苦しさに耐え得る気持ちが、そこで養われていたのかと思います。
運動生理学者の計算でみましたら、20歳の登山家がエベレストの頂上に着くということは、この人の肉体年齢が90歳になるということだそうです。要するに70歳加齢するということです。酸素が1/3、気温−30℃という中で70歳加齢されるのなら、私は70歳で登ろうとしていたわけですから、プラス70だと140歳になります。少なくとも100歳若返らなければエベレストの頂上は無理だということになります。これが不思議なことに、4年間トレーニングを続けているうちにほぼ40歳の肉体年齢になりました。もっとも血管年齢は50代後半でしたが。
私はつい4日前に北京から帰ってきました。来年北京でオリンピックがありますが、聖火ランナーはアテネを出発してネパールからエベレストの南側ルートを登り、中国側の北側へ下り、はるばる万里の長城まで行き、そこから北京へ向かうのがメインルートだそうです。エベレストの頂上へ聖火を上げるのが来年の5月中旬です。北海道新聞にも載っていましたが、ちょうどその時期、私は75歳でエベレストに登る計画です。登山宣言は当然あるし、邪魔だから来るなといわれたら困ります。幸いなことに、中国の王毅駐日大使が大変なスキー好きで、大使館にのこのこ行ってお会いしたら「中国で70歳を超えてこんなに元気な人は滅多にいない。中国も段々高齢化社会になり、いろんな問題が出てきており、特に、年寄りを元気づけなければならない。そんな意味では、あなたが75歳で登るのなら中国の年寄りにとっても、世界の年寄りにとってもいい刺激になる。応援しましょう」といっていただきました。ということで、北京のオリンピック委員会の担当大臣と登山局長たちにお会いして、2008年に三浦隊はエベレストに登ってもいい、という議定書にサインをして帰ってきたばかりです。来年の5月中旬、75歳と200日を越えてもう1回エベレストにトライします。
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