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No.32 |
北海道心臓協会市民フォーラム2004 「願いは健やかハート」
講 演「頭の健康、身体の健康」
(6/7)
子供を大事にするつもりが虐待になっている
最初の内は外で回すしかないわけで、身体を動かして外の状況が変わって、その状況が入力される、ということをぐるぐる回していくと、脳味噌の中にひとりでにルールが詰まってきます。
段々近づいたら机の脚が大きくなりますが、どっちの方向から近づいたらどう見えるか、全部は覚えていられません。そういうことをやらないで、なぜ抽象的な規則にするかと言うと、脳はそういう形で情報を圧縮して貯めこむものなのです。
それを子供のうちにきちんとやらせないということは、実は、子供に対する虐待だと思います。でも、今の親御さんはそれを、むしろ子供を大事にすることだと思っている。そこら辺に大変な錯覚があるのではないでしょうか。
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私はせいぜいお墓を選べばいい歳になりましたから、やっぱり、言うだけのことは言っておかなければまずいかな、と思うので申し上げます。
私が子供だった頃は、確かに全く違いました。鎌倉で育ちましたが、まだ牛馬がたくさんいました。私は小学生の時から歩きながら本を読む癖がありまして、本を読みながら歩いていて、がんと足にぶつかって顔を挙げたら、目の前に馬の顔があったのをよく覚えています。飼い葉桶に躓いたのですね。
で、牛糞とか馬糞をどう避けて歩くか、そのようなことは子供の時から慣れていますが、今のお子さんは多分、駄目ではないかと思います。これは教育の問題ですけども、その辺りからまず考えなければいけないという時代になりました。
「私は私、同じ私」なのか、それとも絶えず変わる私なのか
もうひとつ、身体と心の健康の問題で、ご存知のように、日本はどんどん平均寿命が延びて長生きになりました。それは非常に結構なことなのですが、問題は、今の人は死ぬことをどう思っているのだろうか、ということです。
正直に言うと、殆どの方が死なないと思っているのではないか、という気が最近しています。
どうして死なないと思っているのかな、と長い間考えて、これが正解でないかと思うのですが、あるいは、俺はそうじゃないよと言われるかもしれませんが、ひょっとして、皆さん、「私は私、同じ私」と思っているのではないでしょうか。同じ私があると思っていると、死ねません。だって、同じということは変わらないということで、変わらない私が死ぬって変じゃないですか。
美空ひばりが、今でも時々、テレビに出てきますが、出てくると私は仰天します。なぜなら、彼女は私と同じ歳で、私の同級生に、横浜の小学校で美空ひばりがいたクラスの級長をやっていたのがいて、「休んでばかりいやがって、出てくると俺が教員室へ連れて行って…」なんて言っていたので覚えているのですが、テレビに映っている美空ひばりは何時も同じです。本人は死んでいません。
ひょっとして、皆さん、自分をテレビに映っている自分だと思っていませんか、ということです。それが同じ私です。
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ですが、一生のうち自分が同じだったことは一度もないはずです。1日1日歳をとっています。去年の3月21日に皆さん方の身体を作っていた物質で、只今現在残っているのがどれだけあるかご存知ですか。
身体の7割は水です。去年から今年まで何トン水を飲んで、何トン食糧を消費しましたか。その食糧のうち、何割が水だったと思いますか。恐らく、水なんか完全に入れ替わっています。
アミノ酸ですと蛋白の元になります。我々の身体はしょっちゅう蛋白を合成します。放射能をラベルにして、いつアミノ酸が代謝されたかが分かりますが、3月も経ったらきれいに消えて、殆ど残りません。ということは3月も経ったら身体の成分が入れ替わる。1年経ったら9割以上入れ替わっています。
皆さんの車を工場に出して、部品が9割以上入れ替わって帰ってきたら、これは同じ車ですかね。どこに同じ私がいますか。でも、同じ私と思っているのが現代の常識です。
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何時からこんな常識が出来たかというと、明治です。維新前はそうでなかったというのは、太閤記を読んでもよく分かります。最初は日吉丸で、その内に木下藤吉郎になって、信長の配下で大名にとりたてられて羽柴秀吉になり、独りで大名家をたてるようになって豊臣秀吉になり、死ぬ頃になったら、手紙に何とサインしているかというと、天下としてある。もうあれから後は天下という名前にしようと思っていたのではないか。しかし、間もなく死んでしまいました。
ここによく表れているのは、名実共に人は変わるという考え方で、江戸時代はずっとそれでした。ですから、武士ですと元服すると幼名が武士の名前に変わり、役職に就くともう少しもっともらしいなんとかの守がついて、隠居すると号になった。
それを明治維新でコロンと変えました。変えて、生まれてから死ぬまで同じ名前にした。その逆のケースでは歌舞伎役者のように社会的な役割が同じになると、つまり演じる役柄が同じになると、襲名して先代と同じ名前にする。社会的にはそれでも十分にいいわけですが、そういうことを一切やめて同じ私を作りました。
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これは19世紀の西洋の発明であります。西洋近代的自我と難しく言っていますけれど、これがありますと、皆さん方、どうも死にそびれているのではないかという気がしています。
一生変わらない私があると言っているのですから、それでは死んだらどうなのよ、という疑問が当然起るわけです。死んだら変わらないものが無くなるという、こんな変な話はありません。
万物流転、パンタレイというギリシャ語があります。ヘラクレイトスが言ったといわれます。ヘラクレイトスなんて2,000年以上前の人で、とうの昔に死んで、雲散霧消し分子になっていますが、パンタレイというギリシャ語はそのまま残っています。
言葉は残りますけれど、つまり情報は変わりませんが、人間は実体ですからどんどん変わります。だけど、皆さん方は19世紀以来「私は情報だと言い出したのです。
テレビの中の美空ひばりは確かに変わりません。何時映しても同じ美空ひばりが映っています。それは皆さん方という実体と関係がないことです。
意識は情報を扱うものです。そうすると、意識でものを考えると全てのものが、ある意味では、とまってしまいます。とまってしまった自分が死ぬということは、意識は納得しません。無くなるはずがないからです。
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