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No.32 |
北海道心臓協会市民フォーラム2004 「願いは健やかハート」
講 演「頭の健康、身体の健康」
(5/7)
入出力を繰り返すことで脳にルールが残る
なぜ、そうやってぐるぐる回すか。回すことによって、変わらないことが脳味噌に残るからです。
いちいち変わるものを覚えたら、頭がパンクします。自分の手の位置をこう変えたらこうなる等々、全部覚えたらパンクします。今のコンピューターはバカだからそれをやるが、人間の脳はそんな馬鹿なことをしません。遠くにいるものは小さく見え、近くにいるのは大きく見える。三角形でいえば比例関係。遠くに行って小さくなっても、角度は変わらない。そういうことを次第に、脳は理解していきます。
もちろん、初めのうちはそうでない人もいたと思います。遠くにいれば猫だけど近くに来たら虎だ、と思っている人も当然いたでしょう。ですが、そういう人は虎に食われて全部いなくなった、ということでありましょう。
ぐるぐる回して、この中にルールが残ってくる。これが学習です、と、まず申し上げておきます。
それがお分かりいただければ、その後、陽明学では知行合一と言っています。これも考えてみれば同じことを言っています。「知」は入ってくるもの。本を読んだり、いわゆる勉強する。「行」は行うこと。それが一緒にならなければならない。
これを、大塩平八郎にしても三島由紀夫にしても、非常に短絡して理解したのだと思います。知っていることを実行しなければ、と言ったのですが、そうではありません。知ることとすること、これが絶えず健康に回っていかなければならない。これがまともに回って、初めて頭がしゃんとしてくる。これが頭の健康であります。
それを、そそっかしく、知っていたらやらなければ、と思うとテロになります。三島由紀夫だと生首になってしまいました。それはやはり、誤解だと思います。
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入力と出力を回す。これは外界を含んだ運動ですが、これを長年やった人が、頭の中でシミュレートして回すことができるようになります。これを抽象的に考えると言っているわけです。
頭の中で入出力を繰り返し、こうやってぐるぐる回していけるようになるのが、例えば数学であります。先ほども言いましたように、幾何学の基本は根本的に視覚に依存しているのは間違いありません。つまり、目で見たものがどういう風に変化するかというルールを、きちんと脳の中に作っていったのが幾何学です。
そうやって大人になると、回すことが出来るようになります。こう考えてみれば、子供の時に外を含めてぐるぐる自由に十分に回しておかないと、後になって、ものを考えられない。これは当たり前で、つまり、ソフトが出来てこないということになります。
それで、それを誤解して、朝は正座して本読んで、午後になったら道場で撲りあいをして、それでいいかと言うと、そうはいかないのです。つながっていません。回らなければいけないのです。これが、私が考える心身ともに健康ということです。
考える以前の基本が全く出来ていない恐れ
翻って現代社会を見ると、これが分離しています。知行合一ならず、文武両道もなりません。テレビを見て、入力はどんどんしますが、出て行くのは茶碗を持ったり、煎餅をかじったりとかだけですから、入って来る方と出て行く方に関係がない。入って来るのと、出て行くのと無関係なことをずっとやっている。やっていることはばらばらになってしまいます。
それに比べたら、私が子供の頃は薪割りとかをやっていました。私の兄貴は酒飲みで、友達も飲兵衛の悪いのがいっぱいいまして、警察のすぐ裏が私の家でしたから、時々酔っ払うと神奈川県鎌倉警察署という看板を持ってきました。逃げ場に困って、家に逃げ込む。しょうがないから、私が小学生か中学生の時ですが、それを預かって、次の日、鉈で割って薪にする。証拠隠滅です。
そういうことを子供の頃からやっていますと、鉈で薪を割るためには力学の法則をちゃんと心得るようになるし、木の癖も鉈の癖も知るようになります。そういう手作業を、今の子供は全くしなくなっています。ですから、一番基本の、考える前の回すということが、どうも出来なくなっているようです。
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いろいろ聞いてみると、確かにそうです。私が一番驚いたのは、東大を辞めて8年ほど経ちますが、その最後の年、解剖の最初の時間に実習室に入って行った時のことです。助手の指導で解剖を始めていたのですが、何と、メスをこう包丁を握るようにして持っている学生がいました。
これは非常に危ない。こういう状態で「先生」とか言われると、私は堪らない。
刃物を扱ったことがないということが、それで分かります。刃物を扱ったことがない学生を医学部に入れ、いきなり解剖させたって、どうにもなりません。要するに、何も訓練されてきていないのです。
高校生を指導している人がこんな話をしていました。夏、キャンプに高校生を集め、果物と果物ナイフを渡して「剥きなさい」と言ったら、何か子供たちがごちゃごちゃしゃべっている。その内、代表と称する女の子が、果物ナイフを全部集めて持ってきて「こういう危ない物、私達は使わないことになっています」。これは完全に親のせいです。
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いろいろな話があります。宮崎駿に会うと、よくぶつぶつ言います。
スタジオジブリでは若い人たちが集まってコンピューターをやっていますから、時々、自分の信州の山荘へ呼んでバーベキューなんかする。「きょうはバーベキューだ。まず、火燃せ」と若い人たちに言いつける。
火を燃やさせると何が起きるか。
「あいつら何をすると思う。地面の上にまず薪を並べ、その上に焚き付け置いて、一番上に紙乗っけて火つけやがる。こんなもん、燃えるわけがない」。
それを聞いていたボーイスカウトの指導をしている男が言う。「そんなの普通ですよ。火なんか起こせるわけがない。僕はキャンプに行くと、代わりに火を起こしてやります」。焚き火をして火が燃え出したら「消えないように見張っていろ」と言って、水汲みなどに出かける。水汲みから帰ってくると、案の定、火は消えている。
「どうして消えているか分かりますか。あいつらは、焚き木をくべることを思いつかない」。
火はいったんつけたら燃えたまま、と思っている。それはそうです。台所のガスは火をつけたら、消すまで燃えっぱなしです。
それを育てているのは、申し訳ないが私ではない、皆さん方です。それを便利だとか、文明だとか言ってきたわけです。
そうすると何が起きるかというと、身体がお留守になってしまう。身体がお留守になるとどうなるか。さっきから言っているように、脳味噌がお留守になってしまいます。基礎ができなくなってしまいます。そうすると、ものを考えろと言ったって、中で回らない。そもそも元がないのですから、中で回しようがないのです。
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