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No.32 |
北海道心臓協会市民フォーラム2004 「願いは健やかハート」
講 演「頭の健康、身体の健康」
(7/7)
西洋近代的自我と諸行無常と、そして…
西洋人がなぜそれを信じるかと言えば、簡単なことです。西洋は、私の理解するところでは、キリスト教の原理主義社会ですから、中世は非常に困った時代でした。
王様がいくら何か言っても、法皇に破門されるとアウトで、しょうがないから裸足で法皇の門前に立って、雪の晩、一晩我慢して許してもらった、カノッサの屈辱というのを、世界史で習いました。そのくらい坊さんの力が強かったところです。
そこで、私みたいな変なのが理屈を言うと、お前は異端だと火あぶりにされる。何人火あぶりにされたかわからない。しょうがないからどうしたかというと、インテリは一生懸命、坊さんを説得するために理屈を立て、穴がないようにし、なおかつ、実験室でそれを証明しようとしました。そういう形で、科学がいわばキリスト教原理主義の毒消しとして出来てきます。
ですから、ガリレオがピサの斜塔の上から重い物と軽い物を落として、「ほら、同じ時間で落ちるじゃないか」。
何であんなことをしなければいけないのか。そうでもしなければ、相手が納得しないからです。「聖書にはそんなこと書いていない」。
それでもガリレオは捕まり、宗教裁判にかけられ、しょうがないので「意見を変えます」と言った。でも、後を向いて小さい声で「それでも地球は回る」と言ったという話が残っています。「あの嘘つき」と教会は許さず、ガリレオが許してもらったのはついこの間、500年も経ってからです。
そういう社会ですから、いくらなんでも解毒剤が発達します。キリスト教と西洋の自然科学は対のもので、キリスト教に対して科学が毒消しになっています。19世紀になると毒消しが強くなる。今は、むしろ宗教の方が解毒剤になっています。
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それで、キリスト教の根本的な考え方の中に何があるかと言うと、霊魂の不滅というのがあります。最後の審判で大天使がラッパを吹き鳴らすと、全ての死者が墓から蘇えって神の前で審判を受け、あんたは地獄、あんたは極楽と振り分けられる。
それだったら霊魂が不滅でないと困ります。仏教みたいに諸行無常で、故に無我というのでは、神様がやることがないじゃないですか。
ですから、残っていないと困るようになっている。それで、いくら近代合理主義をとっても、社会というものは簡単に変わりませんから、霊魂の不滅を近代的に言い換えたのが、西洋近代的自我であります。
それをバカ正直に取り入れたのが明治の日本です。無我なんて分かりませんでしょう。絶えず変わっていくものとしての私を考えた時、どれが本当の私なのか、という疑問が即座におきて、故にそんな私はない、という結論になってしまう。だから無我なのですが、そんなことは分からない。
私は私で一生変わらない、と皆さんどっかで固く思っている。
これが入って来た時、何かおかしいなと思った人が恐らくいた。1人は、日本にいた。多分、夏目漱石です。
「私の個人主義」という講演を学習院でして、それから暫くして胃潰瘍で胃に穴が開いて死んでしまった。何がストレスかといって、結局「そういう私」がストレスだったのではないかと想像しています。
漱石が死ぬ前に言ったという言葉がひとつだけ残っています。わたしはその解釈を聞いたことはありません。「則天去私」、天に則って私は去る。この私というのは、多分、西洋近代的自我だと思います。それを取り入れていく時代の日本でありました。
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戦後になって、これはさらに非常に強くなりましたから、皆さんほとんど死にそびれておりまして、お医者さんも近代人ですから、患者さんが死なないのが当たり前と思って、徹底的にスパゲティにしています。死にそうなお年寄りは苦しんでいます。もう言いませんけど‥‥、そうでしょう?
変わらない私があると信じ込んだ瞬間から、人間は死ななくなっちゃう。
では、あんたは死ぬことをどう思っているのだ、と訊かれます。いつも言うのは「そんなの、俺が死ぬわけではない。どっかのじじいが死ぬのだ」。だって、今の私が死ぬ時に、自分が何かわかるはずがありません。
皆さんだってそうでしょう。今ピンピンしているからこんな所に、こんな所といったら申し訳ないですが、来ているので、よれよれで死にそうなら来ていません。じゃあ何を考えているかと言えば「苦しいから何とかしてください、先生」とか病院で言っていますよ。
そのような時は、生きるとか死ぬとか、問題でなくなっています。それが人間の一生ですけれど、そういうことを今の人は考えない。なぜなら、同じ私と思い込んでいるからであります。
時間なので、この辺でお許しいただきたい。
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