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No.32 |
北海道心臓協会市民フォーラム2004 「願いは健やかハート」
講 演「頭の健康、身体の健康」
(4/7)
けだし至言「機械を丈夫にすれば人間が壊れる」
今の若い人が、それだけ身体を動かすかというと、殆どの人は動かさない。私は、現代人は身体を使えてないと思っています。
身体が使えるとはどういうことか。私が子供の頃のサーカス。サーカスの人は実は運動選手を選んでいるわけではなく、要するに、普通の子供を訓練しただけであれだけのことが出来るんだなあ、と子供心に思いました。
ですから、身体は使えばよく使えるものです。ただ、現代の生活は、それをできるだけ使わないようにしてきました。
これを上手に表現したのが、ロボット学会の会長をしていた森正弘・東京工大教授です。
今は、ロボットはかなりなことが出来るようになったが、森さんの頃は碌なロボットがなかった。それで、森さんのおっしゃったことで非常に印象的なのは「機械を丈夫にすれば人間が壊れる」でした。機械に頼ってしまうからです。学生や大学院生を指導して実感されたことだそうです。
工学部ですから、学生に旋盤を使わせる。素人が使っても壊れないような、アメリカ製の丈夫な機械を入れたら、若い人の機械の扱いが全体に荒くなった。そこで、オーストリー製のものを入れた。
これは上手に使えばアメリカ製以上の性能が出るけれども、使い方が悪いとすぐ壊れる。何と、学生の機械の取り扱いが非常によくなってきたそうです。だから、機械を丈夫にすると、人間が壊れる。
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皆さん方は、現在、人間がどんどん壊れるような状況で暮らしていると思います。
それがいわゆる文明と言われる状態、便利だと言われる状態です。できるだけ歩かない、できるだけ手先を使わない。風呂を沸かすには、ボタンを一丁押せばいい。テレビもチャンネルを回さずに押す。大体、親指1本あれば現代生活ができます。
これだと身体を全く使っていませんから、結局、要らないのと同じです。そうすると何が起るかというと、身体の具合が悪いとおっしゃる。
私は、具合が悪いのではないだろう、と思っています。身体を使っていないからです。本来、使わないと、身体は維持できません。
生き物は非常によくできていて、要らないことは出来るだけしないようになっている。ですから、使わないでいると、どんどん使わないことに適応していきます。上手に省エネしていきます。
典型的に頭がそうですが、使わなければどんどん使わなくなりますから、楽に回転させるようになります。身体も全く同じで、使わないでおくと使わないようになります。
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せめて歩け、とさっき島本先生がおっしゃいましたけれど、歩くという最も単純な動きも、今はしない。地方の方がよく言います、東京に来ると運動になる、と。地下鉄の階段を上がったり下がったりするだけで。
田舎だと門から門まで車で、しかも、家族1人に1台が普通ですから、今は田舎の人の方が都会型の暮らしになっています。
このことは、実は深刻な問題だと思っています。なぜなら、身体というのは脳味噌から考えると効果器です。つまり、コンピューターのように考えると、五感という入力があり、運動という出力がある。
運動が脳からの出力で、脳からの出力は運動しかありません。皆さんはこのことに気づいていませんが、筋肉の運動だけが脳から出せるものです。
考えることと身体を動かすことは表裏一体
「考える」とよくおっしゃるが、考えたことはこうやって口に出して言葉にするとか、数式にして出すとか、ともかく、結果は表現しなければ伝わりません。ところが、表現するにためには、絶対、何らかの形で筋肉を動かさないと駄目です。それは逆に、筋肉が全く動かなくなった状態を想像すればすぐ分かることです。筋肉が動かないと口が利けない、文字が書けない、表情がない、実際に息ができない。
息ができなければ昔は死んでしまいましたが、今は人工呼吸器がありますが、その状態で何ができるか。何もできません。指1本動かせないから、コンピューターのキーボードも叩けない。
何と、我々の脳味噌は、外に出すためには筋肉を動かすことしかないのです。
入れる方は五感があるから、目が見えなくても耳で聞けばいい。目と耳が駄目なら、ヘレンケラーみたいに触れればいい。ところが出力は、筋肉ひとつだけしかないということを、先生も親御さんも案外理解していないように思えます。
身体を動かすのは、考えることと別だと思っているようです。だから昔は、精神労働と肉体労働と分けて、なにか肉体労働を下等であるかのように言ったのですが、それは全くの間違いだと思います。脳は入れて出さなければどうしようもないのです。
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昔の人は知っていたな、と逆に思います。そのことを何と言っていたか。江戸時代ですと、文武両道です。
文武両道というと、午前中は座敷に座って論語か何かを読んで、午後には竹刀を持って道場へ行って撲りあいをする、というふうに思ってはいませんか。勉強したのだから、同じ時間運動しなければ、と。でも、多分そういうものではないと思います。
運動が外へ出ますと、必ずそれは入力されてきます。生まれたばかりの赤ん坊を見ていると、よく分かります。生まれたばかりの赤ん坊は、頭の中は真っ白です。基本的には遺伝的につけられているソフトを除けば、真っ白です。その真っ白な状態から何を始めるかというと、手を見ている。自分の手を動かしながら一生懸命見ている。
何をしているかというと、出力をすると入力してくる、それです。運動を出力すると、目から入力する。もちろん、目だけでなく、筋肉の感覚、関節の感覚、みんな入力されてきます。そして出力すると、たちまち入力が変わってきます。手の位置が変わってきます。これをぐるぐる回すことが学習の基本です。
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