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No.32 |
北海道心臓協会市民フォーラム2004 「願いは健やかハート」
講 演「頭の健康、身体の健康」
(3/7)
人間は身体の基本そのものがおかしくなっているのでは…
言ったら悪いかもしれませんが、それを痛感したのは池田小学校の事件です。宅間というのが出刃包丁を持って入り込み、子供6人か7人を刺し殺しました。私が小学生の頃なら、2年生のとき終戦でしたが、出刃包丁を持った大人が入って来たら、蜘蛛の子を散らすように好きな方向に逃げたと思います。
鎌倉の市内電車、江ノ電は、昔は八幡様の通りまで入ってきており、私はその線路を通って幼稚園に行っていましたが、線路に石を置くのが楽しみでありました。石を置くと、運転士さんが電車を停め、怒って追っかけてきました。逃げるのが、何ともいえず楽しみだった。
そうやって逃げることを自分で訓練していたことになります。
今はとてもそんなことは出来ませんけれど、子供は弱いから大人に追いかけられたら、逃げるしかない。必死で逃げたことを覚えています。何で6人か7人も刺し殺されるのだろうか。これは、逃げられないのだろう、と思います。
似たようなことで思い出すもうひとつは、瀋陽の日本領事館のことです。北朝鮮の人たちが逃げ込んで、お母さんが門にしがみついていて、娘が立って泣いている。そこへ領事館の人がひょこひょこと出てきて、お巡りさんの帽子を拾ったシーン。
見ていて、帽子を拾うことぐらいしか出来ないのだなあ、と思った。あれは身体が動かないんだ、と思います。
今の人は身体を使っていないのではないか、という疑いを非常に強く持つようになりました。実際、若い人を見ていると、どうも身体を使っていない。それが、いざという時に非常にきれいにでます。
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甲野さんはよく身体を使っています。甲野さんの身体で一番感心するのは、裸になってこうやって見せてくれるのですが、ボディビルで身体を作った人とは非常に違うことです。
どう違うか。
甲野さんは外から見て太ってもいないし、ごつくもなく、着物姿はごく普通の人に見えます。でも、着物を脱ぐと筋肉の標本のように見えますが、ボディビルの身体とは全く違います。全ての筋肉が平等に大きくなった身体です。ということは、理想的な運動だということです。
今年はオリンピックの年ですから、思い切って悪口を言います。来年、スペシャルオリンピックスというのがあります。ご存じない方が多いのですが、知的障害者のためのオリンピックで、長野県で2005年の冬季にやります。
きょうはバッジを付けてくるのを忘れましたが、何時もはそのバッジを見て何ですかと聞かれます。宣伝をやらされていますが、私は知的障害者のためのオリンピックとは言わず、只のオリンピックと言っています。
オリンピックの100メートル競走など観ていますと、どう考えてもまともとは思えません。あれだけいい身体をした若い者が100メートルを必死で走っている。一体それでどうなんだ、と思う。
あれは、ひょっとして知的障害ではないのか。
ご存知ですか、身体がバラバラに動くということを
甲野さんが初めてスキーをした時に私は居合わせたのですが、コーチに「どうだった、甲野さんのスキーは」と訊いたら「変わっています。なにしろ直滑降しかしませんから。止まる時は転ぶんですわ」。そんなことは当たり前、私だって同じですから。
ところがひとつだけ普通の人と違うところがあります。転んだ後です。
転んだ後に一発でポンと起きる。皆さん、これ出来ますか。絶対無理です。私なんか眼鏡がどこへ行った、脚がどこにある、頭がどっちを向いているなどを確認するのが先ですけれど、甲野さんはすっくと立ちます。これは自分の身体がバラバラに動くからです。
皆さん、自分の身体がバラバラに動くということ、多分ご存知ないかもしれませんね。
伊藤キムさんという若い舞踏家がいます。伊藤キムさんが踊って、その後、私と舞台で話をしたことがありますが、全く同じことを言われました。
バタンと舞台の上に寝て、その次にスッと起きたりする。見ていると分かるのですが、どういう起き方をするかというと、昔から「すっくと立つ」と言いますが、ひと息でポンと起きます。
皆さんは「やっこらせ」と、何段階かになって起きるのですが、伊藤さんは「起きる時は一発で起きる」と言います。
ひと息で起きるには、身体がバラバラに動かないと出来ません。背筋も伸びないと駄目だし、脚もこっちに行かなければならない。それが一遍で出来なければならないのです。これが彼らの身体の訓練です。ところが、今の人は、それは殆ど嘘だと思っている。
甲野さんがそもそも古武道を始めたのは、昔の剣豪がああしたこうしたというのを読んで、こんなこと本当かなと思ったが、まるっきり嘘とも限らないだろうからと、いろいろやってみたら、段々、どうも本当らしいということになり、そうすると、いかにも嘘臭い話がいくつもありますから、自分で試そうと思ったのがきっかけだそうです。
そういう方、何人かとおつきあいしましたが、言っていることは基本的に同じです。「自分の身体をどうやって把握するか」です。
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亡くなられましたが、最近ビデオが出ております野口三千三さんとおっしゃる東京芸大の体育の先生。学生は野口さんの体操をこんにゃく体操と呼んでいました。
どうしてこんにゃくか。私も体操を1回だけ教わったのですが、最初に何をするかというと「手を横に上げなさい」、そして「力を抜いて落とせ」。これは誰でも出来ます。
これで私は一番驚いた。どうして驚いたかというと、体操を教えるのに、力を抜くところから教える。これには驚いた。
確かに理に適ったことです。なぜなら、私たちの筋肉は何らかの形でどこかに力が加わっているから、まず力を抜いた状態はどういうものか、そこから体験させる。
次に、野口さんは3点支持で逆立ちをし「ちょっとお腹突っついてごらん」と言う。横からお腹をチョンと突く。何が起きるかというと、野口さんの身体がきれいに細かに揺れます。それは何かと言うと、彼の主張は「人間の身体は水の入った袋」ですが、それを見事に見せてくれます。水の入った袋を突っつくと、小さくこう揺れますが、そういう風に、野口さんの身体自身が揺れます。上手に力を抜いて立っていられる方でした。
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同じことを、甲野さんが別なやり方で見せてくれました。
甲野さんは60kgくらいの方ですが、甲野さんの身体を後に立って持ち上げてごらん、と言う。持ち上がります。男の人だったら簡単に持ち上がります。次に、甲野さんは「もう1回やってみて」。やってみると、持ち上げようとした方が勝手にこけてしまう。今度は持ち上げられなかった、ということです。
前後の違いがわかるか、と甲野さんが訊くと、持ち上げた人は何だか急に重くなったと言います。お分かりになりますか、野口さんがやられたことと全く同じです。つまり、水の入った袋に自分を変えた瞬間に、他の人は持てなくなります。
固いものは重心の位置が決まっていますから持てますが、柔らかい水の入った袋は重心が決まっていないから持てません。同じ重さでも、持つと形が変わって重心の位置が変わり、持ち上げるほうがよたよたとなってしまいます。
この2つの状態を自分の身体でやれる人は殆どいないでしょう。つまり、そのように力を抜くということを、考えたことがないのだと思います。力を抜くことが理解できると、力が入る状態が今度はゼロ点から理解できます。
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多くの方は、寝ている時には自分の身体が休んでいると思っているでしょうけれど、実は休んでおりません。
そういうことを観察したことがありますが、バイオリンとかピアノとか楽器を演奏する人は、ピアニストならピアノを弾くように指が動いています。つまり、脳味噌は皆さんが休んでいると思っている時間にも、ちゃんと訓練しているのです。
職業的にしょっちゅうやる動きは、寝ていてもやっている。ですから、それをやっていますから、ある程度以上身体の練習をすると疲れてしまいます。よくスランプだとか言いますが、非常によく運動する人が陥る状態です。なぜかと言うと、休んでいないのです、本当は。
だから、気を変えるしかない。
つまり、今まで自分が必死になって身につけようとした運動、その練習をずっとやっていたら、大抵の人はスランプになる。なぜなるか。本人は意識を消せば休んでいると思っているが、実は休んでいないからです。寝さえすれば治ると思っているがそうはいかない。
寝ている時間も、身体の方は律儀に、起きている時間にそれだけ必死にやる運動であれば、生きていくうえにはどうしても必要な運動だと理解してしまいます。だから、寝ている間も習熟しようとして、一生懸命動きます。ですから、起きたら、結局、疲れているのです。
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