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No.32 |
北海道心臓協会市民フォーラム2004 「願いは健やかハート」
講 演「頭の健康、身体の健康」
(2/7)
相手で決めてやるのか、方法で決めてやるのか
私は医学の中で解剖学をやってきました。解剖学とは何かというと、実は学なんて大袈裟に言っていますが、よくよく考えてみれば学ではありません。英語で解剖はanatomyですが、anaもtomyも切るということで、どこにも学なんて入っていません。
解剖から出てきた学問はあります。人類学=anthropology、生理学=physiology。これは立派な学問で、ologyは学問の意味です。解剖は学問ではありません。私は長年そう思ってきました。
学問でなければ何だ、ということになりますが、それは簡単で、方法です。
日本の学問で方法を看板にしているのは、ほとんどありません。どういうことかと言いますと、例えば文科系ですと分かりやすいのですが、法律を勉強するのは法学、経済なら経済学で、学部も法学部、経済学部になっています。ところが、解剖学部ってあるかと言えばありません。
人間を解剖しても、駱駝を解剖しても、鼠を解剖しても解剖は解剖です。もうちょっといきますと、永田町を解剖しても、日本経済を解剖してもいいので、札幌市役所を解剖するという本を出したって誰も驚かないと思います。つまり、相手で決まっていません。
相手で決めてやるか、方法で決めてやるかは結構大事なことで、日本ですと専門というのは、普通、相手になります。つまり対象です。
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これを自分の人生で考えてみますと、対象で物事をやるってどういうことか。例えば、一時、女性の対象、お婿さんの資格として3高が言われました。高学歴、高収入、高身長が条件で、これは何だと言えば、対象、つまり相手で決めているわけです。
昔はどうしていたか。親に決めてもらうとか、親戚一同に決めてもらうとかしていた。これは方法で決めています。すると、親が決めてくると低学歴、低収入、低身長だったりしますが、「お前に丁度いい」と言われたりすると、反論も出来ません。方法で決めるのと、相手で決めるのとでは、人生に非常に差が出来てきます。
私は運が悪いことに、方法の学問に入ってしまいました。鼠、人間…、いろいろ解剖しました。駱駝はさすがにやりませんでしたが、象はやろうと思って準備しました。上野で象が死ぬことになっていまして。ところがその象が元気になって準備が無駄になってしまいました。象の解剖は本当に大変です。死んだのを運んでこなければなりませんが、脚一本でも相当な重さですから、担いでくるわけにもいかないので、クレーンをはじめ全部用意したのですが、結局、象が元気になってしまいました。
学問は方法だ、とは学問をやるほとんどの方が言われないことです。方法とはどういうものかと言えば、身につけるしかしょうがないものです。
学問が対象でありますと、料理で言えば、和食とか、中華とか、洋食とかになり、それぞれの道を究め和食の専門家とか中華の専門家になります。
じゃあ、お前は何をやっているんだ、と言われますが、実は、私は包丁の使い方しかやっておりません。包丁の使い方を知っておりますから、和洋中いずれも下ごしらえまでは出来ます。
何でいろんなことに口を出すかというと、料理の材料を作っているだけだからです。方法があれば材料は作れます。それを恰好よく言うと「包丁一本晒に巻いて…」日本中を歩けるということになります。
でもそれは、皆さん方、学校でも、人生でもおやりにならなかったのではないでしょうか。現代社会は、どちらかと言うと、考え方が対象中心になってきています。旦那さんの選び方にしても、今言ったように、相手をどうこうと条件をつけてしまう。方法で決めると、意外と人生そのものが違ってきます。
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この間「徹子の部屋」でこの話をしました。黒柳徹子さんは、ご承知のように、非常におしゃべりですから、1分半ほどのコマーシャルの間もしゃべっています。表に出ない話をしているわけで、ぶつぶつ、ぶつぶつ文句を言っていました。
何を言っているかというと、黒柳さんは「不思議発見」という番組にでているのですが、そこで出来ない問題がどういうものかについてです。普通のものからひとつ選ぶような問題は出来ないそうです。
この間は「普通の家の冷蔵庫の中にあるもの」がヒント。答は卵だったのですが、そんなものは出来ない。普通のものを幾つか並べられて、どれか選べと言われると、絶対当らないそうです。卵が嫌いだから、冷蔵庫に卵なんて1個も入っていないのだそうです。
じゃあ、どういうのが出来るかというと、筋道を追って考えていったら答えが出るようなことは得意で、他の人が出来なくても、黒柳さんは出来ることがあるそうです。
それは私と同じですよ、と言いました。これは方法です。考え方の方法がありまして、それに従って行けばどっかにたどり着きます。
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方法の問題点は、どこに連れて行かれるか分からないことです。どこへ行くのか分からないので、それなりの覚悟が要ります。親に嫁さんを選んでもらうと、誰を連れてくるか分かりませんから、誰を連れてきてもともかくうまくやってやる、という気持ちがないと出来ません。
これが今の世界でずいぶん欠けているな、と思います。
健康の話なのに、何でこんなことを言うのか。身体って、要するに、皆さん方が生きていく時の方法なのです。身体しかないのですから、その身体をどう使って生きるか、という話です。
ところが、今、若い人たちを見ていると、何を使って生きているかというと、頭を使って生きています。それでは、意識は十分に使えるのか。これが結構難しい。身体を使うことだって難しいのに、意識の使い方は結構難しい。
頭が良いとか悪いとか言っていますが、これは基本的に意識をどう使うかということです。これを使うのが得意な人が少ないから「バカの壁」という本を書いたのですが、身体と同じで、意識を使うのに慣れるのは難しいことです。
身体は生きていく方法。なのに、使い方を知らない人が増えている
世の中全体が意識の世界になってきた、と申し上げました。身体の使い方を知らない人が増えてきたな、という気がします。それで、このような講演会に来る人が増えるわけです。島本先生がずっと話しておられましたが、自分の身体ですら扱いかねているわけです。むやみに膨れてしまう。一方、若い人では全然食べない、拒食の問題があります。これも患者がだいぶ増えています。
鹿児島大学の神経内科に呼ばれて行ったことがありますが「患者さんは何ですか」と聞いたら、殆どが拒食と肥満だそうです。これは頭の問題です。
本当に頭の問題かと言えば、現代社会ではなかなか難しいところがあります。まず、人間の身体がどうなっているかという、一般的な問題があります。皆さんも聞いたことがあるかもしれませんが、鳥が糞をしない銅像があるそうです。銅像ってよく鳩がとまって糞をしていますが、糞をしない銅像があるのだそうです。調べてみたら、砒素が多く含まれていた。
その人の話を読んでいたら、最近、チベットでは鳥葬をやめたそうです。人が死ぬと、専門の人が岩場でその身体をバラして内臓を取り出して放り投げ、それを鳥が食べることで、仏教でいう、輪廻するわけですが、そういう鳥葬をやめてしまいました。どうしてやめたか。鳥が食べなくなったからです。
人間は生態系の頂点にいます。肉食獣のさらに上にいます。したがいまして、全ての毒物は人間に蓄積しますから、今一番食べていけないのは人間です。食べたらあたります。
フグは自分で毒を作っているのではなく、餌の中にテトロドトキシンという毒が入っていて、それを溜めます。どんどん溜めて自分自身は毒になりますが、フグ自身は毒にあたりません。どうも人間もそうなってきているようです。
私はDDTを頭から被った世代ですから、DDTを溜め込んでいますし、その後はダイオキシンも溜め込んでいます。鳥が私を食べると、多分、あたります。
虎が元々そうで、私は小さい頃から、人食い虎は歳をとって身体が弱り、餌を獲れなくなった虎だと聞いています。虎は人間を食ったらあたることを知っていて、元気のいい虎は野生の動物を食べているわけです。
ブロイラーと鶏の違いと同じで、ブロイラーを食べるくらいなら、そこらを走り回ってミミズを食っている鶏の方がおいしい。ひょっとして、皆さん、経験的に分かっているのかもしれません。
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