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No60 |
レジェンドジャンパー葛西紀明 努力と健康管理で掴んだ銀メダル
(6/8)

葛西紀明氏
土屋ホームスキー部監督兼選手
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そして、迎えたラージヒルの当日にいつもは大体、2本目に勝負をかけるのですが、作戦を変えて、1本目に大ジャンプをしてやろうと思っていました。ただ、ずっと練習をしていなかったので、試合で飛ぶ前に1本練習があります。この1本を飛べれば感覚はすぐに戻ってくるのです。ですから、この1本の練習に賭けていたのですが、僕の前までずっと順調に来ていたのに、ちょうどここで強風のためにトライアルジャンプ練習が中止になってしまいました。「あれ、練習ができない、本当にぶつけ本番だ、これはまずいぞ」と思いましたが「いや、自分はできる、今までもぶつけ本番はやってきた」と言い聞かせました。オリンピックトライアルとなる1月11日のフライングのワールドカップで、41歳と8カ月の私が優勝することができました。このときもぶつけ本番で飛んで優勝したのです。そういう自信があったので、大丈夫だと言い聞かせて1本目に挑みました。
1本目は、作戦が当たって、139メートルの大ジャンプをすることができました。僕の次の次に飛んだポーランドのストッホという選手も139メートルです。そして、彼は、最後に着地をして足を前後にして手をぱっと広げるテレマーク姿勢が非常にうまいのです。飛型点のポイントは60点が満点であって、60点を出す人はここ最近はほとんどいません。彼が59点か59.5点のパーフェクトな飛型点を出しました。僕はちょっと乱れまして57点です。彼とは1.5ポイント差の2位で2本目に向かいました。
2本目は、もちろん1本目より勝負をかけました。2本目は必ず緊張するのがわかっていました。今まではプレッシャーに押し潰されて失敗したことが何度もあります。でも、ソチオリンピックのときだけは、緊張はしているけれど、なぜかいける、飛べるという自信があったのです。そして、2本目を飛びました。ほかの選手よりもいい成績で、2本目は強い追い風の中の試合だったので、僕は、133.5メートルで、最後から2番目に飛んでトップに立ちました。ただ、そのときもテレマーク姿勢がまたうまくいかなくて、飛型点が55.5ポイントと、1本目の57点より1.5ポイント低いポイントになりました。
最後のストッホ選手が飛んでくるのを待っていました。飛んできて、彼は僕より1メートル少ない132.5メートルだったのです。この時点で、テレビを見ていた国民の80%くらいの方は、葛西が勝ったぞと思ったと思います。でも、僕の中では、80%は負けたと思っていました。なぜなら、飛型点のポイントが尾を引くなと思っていたので、1本目より1.5ポイント少ないポイントと、ストッホ選手が132.5メートル、電光掲示板で僕の名前が2位になった瞬間、ああ、やっぱりなと思いました。トータルポイントを見てみると1.3ポイント負けていたのです。ああ、やっぱりテレマーク姿勢で負けたと思いました。これが1.5ポイント高ければ金メダルに届いていたかもしれません。「たられば」ですけれど。
そのときは、悔しい気持ちが6、うれしい気持ちが4という感じでした。でも、僕がオリンピックに出場した1992年から22年かけてとれた初めての個人戦のメダル獲得でした。なので、本当にうれしい気持ちと、1.3ポイントかという悔しい気持ちでした。1.3ポイント、イコール、1メートルないのですね。80センチぐらいです。これぐらいで僕は負けたのです。これが金メダルの距離かという悔しい気持ちもあったので、金メダルをとれなくて残念に思ってはいるのですが、銀メダルをとった後、記者会見ではすぐに口から出てきました。次の4年後、絶対に金メダルを目指して頑張りたいと思いますと、自然と口から出ました。でも、簡単にメダルをとれるなんて思っていません。もちろん、22年かけてとれたメダルです。でも、自分の夢は諦められないので、また頑張っていこうと思っています。
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