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No58 |
ノーベル賞と私の健康法
(5/8)
鈴木 章氏
北海道大学名誉教授
ノーベル賞は、10月上旬に発表があります。初めは物理学賞、次に化学賞、その次に医学・生理学賞、経済学賞です。この四つは、スウェーデンで発表になるのですが、もう一つの平和賞は隣のノルウェーの議会が選択するのです。これは、アルフレッド・ノーベルの遺言で決まっていることです。しかし、その中で、経済学賞はノーベルさんの遺言ではないのです。ノーベルさんが決めたノーベル賞は、物理学賞、化学賞、医学・生理学賞、平和賞の四つです。そのうちの一つの平和賞はノルウェーで発表となります。ですから、ストックホルムで発表になるのはこの三つです。しかし、その後、第二次世界大戦後に、スウェーデンの中央銀行がスポンサーになって決めたのが経済学賞です。今、ノーベル賞とは、経済学賞を含めて五つとなりますが、ノーベルさんの遺言では四つであったわけです。
私がノーベル賞受賞の連絡を受けたのは、2010年10月6日の夕方の6時半ぐらいだったと思います。私は、そのとき、2階の書斎で頼まれていた論文を書いていたのですが、のどが渇いたので、お茶を飲みに下へおりたのです。ところが、下にひとりでいました家内が少し前に電話があったと言うのです。外人の女の人の声で「ハロー」と言うので、家内が「イエス、ハロー」と答えたところ、受話器をがちゃりと切られたと言うのです。それは間違えたのだろうと話をしておりましたらそれから時間があまりたたない6時半ごろ、また電話が来たのです。そのとき私は電話のそばに座っていたので、受話器をとりましたところ、男の人の声で「アー・ユー・プレイス・ア・スズキ」と言うのです。鈴木先生ですかと言うので、イエスと言ったら、「私はスウェーデンのノーベル委員会の者だ」と言いました。そして、「ノーベル化学賞を鈴木先生にお送りすることを決定いたしましたが、鈴木先生はこれを受理していただけますか」という電話でした。私は、「私の仕事がノーベル賞に値するかどうかはわかりませんけれども、そういう決定でありましたら、私も喜んでお受けします」と返事をしました。その後、その男の人が「ちょっと待ってください」と言うと、今度は女の人が出て「鈴木先生の今いる部屋には何人の人がいるか」と言うのです。私の子どもたちみんなは結婚して、ここにおりませんから、「私と家内の2人しかいない」と言いました。そうすると、「奥さんに話すことはいいけれども、奥さん以外の人には、日本時間の午後6時45分までは絶対に発表してはいけない」と言うのです。その時間は、ノーベル委員会がその年のノーベル化学賞の受賞者を発表する時間なわけです。それまでに絶対に発表してはいけないと言うので、わかりましたとお話ししました。
このことから、いかにノーベル委員会の口が固いか、前もって漏らさないかがおわかりいただけるかと思います。毎年10月になりますと、ことしのノーベル賞の授賞者はこういう人が候補に上っているという記事が新聞などに出ますけれども、ほとんど当たりません。ことしも全く当たりませんでした。つまり、ノーベル賞受賞者は当たらないというのは、ノーベル委員会の口が非常に固いからです。これは、ストックホルムへ行って聞いた話ですが、ノーベル委員会は、その年のノーベル賞の受賞決定についての資料や広報を50年間発表しないことになっているそうです。
こういうことで、その年の12月にストックホルムに行ってノーベル賞をいただきましたが、そのときの様子をお話しします。
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