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No48 |
京都新発見
〜お寺、診療所そして禁煙〜
(4/6)
在宅の看取りの意味はもう一つありまして、それは小さい子どももそのおじいちゃん、おばあちゃんが亡くなっていくプロセス、経過を見るんですよね。これは非常に大事ですね。理屈や教科書で学ぶよりかは、自分で見る死の教育です。人間というのは年とって、もうおしっこ垂れて、こうなって死んでいくんやでということを目の当たりで見るというのが非常に大きな教育だと僕は思います。
実際にこの方じゃないですけど、80歳を越えた患者さんで肺がんだったと覚えていますけど、小学校の小さい小さいお孫さんが、亡くなるまで同じ部屋で横に一緒に生活されていましたね。それはその子どもにとっても、ずっと小さいときからかわいがってくださっていたおじいちゃん、その亡くなっていく過程を見るということは非常に大きな教育的な意味がありますね。命を、だからどう大事にしなければならないかということを口で言わなくても、実際その場で感じてくれるわけです。在宅でそういう看取りをとるということは、非常に大きな意味がありまして、自分自身なかなか難しいですけど、医師と僧侶、僧医の仕事をやっているがために、できる限り患者さんの希望に応じてそういう対応をしようと思っております。
ただ、この在宅の看取りにはいろんな要素があります。ご家族がやはり理解がないとだめですよね。おうちで看取ってあげたらええんやないのと周りがいくら言っても、物理的にできない方もありますので、それがすべてとは僕は思いません。病院で亡くなることも決して悪いことではないと思いますが、できることであれば、そういう在宅で亡くなるということのすばらしさを皆さんは知っていただいてほしいし、実際現代の医療では結構もうそれはできる体制にあるのです。あまり苦労しない。わざわざ病院じゃなくてもそういったことは十分できます。
ここまで話を聞いていただきますと、やっぱりそんなに坊さんが医者をしてもおかしくないし、仏教と医療というのは本当に関係があったんやなということはよくわかっていただけると思うのです。仏教と医療というのは本当に実は非常に関係が深くて、593年に大阪の四天王寺を聖徳太子が建てたとき、そこに四箇院という四つの施設をつくっておられます。
一つが施薬院といいまして薬局、お薬。聖徳太子は偉いですね、もうこの頃からこんなことを全部やっているわけですから。一つは療病院。さっき出ましたね。府立医大の前身の療病院という言葉はここからもらっています。病院です。悲田院といって、社会福祉施設がお寺の中にもう既にありました。敬田院というのがお寺です。中国のほうから仏教が入った時点で、聖徳太子はこれだけの施設をちゃんとつくっているわけですね。歴史的にも、だから仏教と医療というのは非常にかかわり合いが深いものだということは、これを見ても十分に感じていただけたと思います。
じゃあ、もっとさかのぼってお釈迦さんはどうだったかといいますと、実はお釈迦さんも医学の勉強をしっかりしている。何でかいうと、お釈迦さんというのは王子さんやったんですね。王子さんやから医学の勉強をしますので、その周りに耆婆(ぎば)という弟子がおりました。お釈迦さんの時代に、これは僕もびっくりしたんですけど、頭を開ける手術とか蓄膿の手術をしていたんですよ。開頭術。紀元前にですよ。びっくりするでしょう。麻酔って非常にかけるのが大変ですけど、麻酔のかけ方も非常におもしろいですね。どういうようにするかというのは、塩水をいっぱい飲ます。塩水をいっぱいいっぱいいっぱい。今日は循環器のフォーラムですから、塩水とり過ぎたらあかんですけど。塩水を一時的にとり過ぎますとのどが乾きます。のどが乾くと何ぼでも飲めるんで、お酒をごくごくごくごく飲ます。酩酊状態にして手術していたというのがちゃんとお経の本に書いてあるんですよ。びっくりしますね、昔のそういう麻酔方法。そういう開頭手術や蓄膿手術を紀元前やってはった。お釈迦さんの時代に。
日本に仏教が入ったときに、昔のお坊さんはこれだけ勉強していました。仏教の教義、五明といいまして、内明、因明、声明、工巧明、医方明、これだけの勉強をお坊さんはしないといけない。ちゃんと医学が入っているんですよ。昔の坊さんはちゃんと医学も勉強したのですね。
声明というのは皆さんご存じでしょう。声明というのは本当訳のわからんですが、仏教音楽ですね。坊さんがあっと声を出して、私もできるのでちょっとどんなんか、やってみようかな。ちょっとやってみますと、「ゼ〜ン〜・・・」。ちょっと声が変わるでしょう、しゃべっている声とね。(拍手)これお寺で聞きますと、非常に仏教の音楽なのですが、キリスト教の音楽と全然違います。声明だけのコンサートというのも最近はあるのですけども、結構ええもんです。声明というのはそういうことで仏教の音楽なんですね。こういうのを昔のお坊さんはちゃんと勉強しておりました。
その中でお経というのは皆さんご存じやと思うんですけど、お経というのは実は三蔵法師ってご存じですね。中国で猪八戒とかあの辺の話が出てくる三蔵法師ってあるでしょう。あの三蔵法師の三蔵です。三蔵というのは、インドに経・律・論という三つの種類のお経をとりに行った坊さんやから三蔵法師という名前がついとるわけですけど、経というのはお釈迦さんが教えたお経です。律というのは戒律です。お坊さんが集団生活の中でする規律。論というのはそれの解説。この経・律・論というのが三蔵というんですよね。
三蔵の中で律という、その決まりの中にいろんな決まり事があります。それが養生訓。一つ、睡眠を十分とりなさい。現代のいろんなことに通じます。二つ、飽食をしない。食べ過ぎてはいけない。三つ、お酒は飲んではいけない。僕もちょっと飲むので、飲まれてはいけないと拡大解釈していますが。四つ、体を清潔にする。五つ、手洗いとうがいをする。六つ、楊枝で歯を手入れする。ブラッシングですね。七つ、掃除をする。この時代からちゃんとこういうような指導があるんです。こういう自分の健康を守るための一つの決まり事というのは、お釈迦さんの時代のお経にちゃんと載っているのです。
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