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No44 |
世界最高峰を目指すための「超健康法」
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三浦雄一郎氏
伊藤義郎理事長が主宰する北海道心臓協会の催しでお話しする機会をいただき、大変光栄です。伊藤理事長は、実は、私どもスキー界の世界的なリーダーで、国際スキー連盟副会長、全日本スキー連盟会長等として尽力されており、そして、この度は世界ノルディック選手権札幌大会を素晴らしい形で開催、成功をおさめられました。ちょうど今、水泳の世界選手権がオーストラリアのメルボルンで行われていますが、欧米ではスキー、アルペンもそうですが、とりわけノルディックこそが最高のスポーツのひとつだということで、水泳よりも人気があり、人々は札幌での世界ノルディック選手権に釘付けだったとのことです。
きょうの演題には「超健康法」などという随分仰々しい言葉を使っていますが、忍者や仙人になるような特別な修行、あるいはそれに類する方法ではなく、ごく普通の、誰でもできる健康法の延長線上にエベレストの頂上までのステップが存在するんだということをお話したいと思います。
世界最高峰は誰でもできる健康法の延長線上に
私の父親、三浦敬三は去年1月5日に亡くなりました。101歳まで元気で、1年ちょっと前はまだスキーを元気でやっておりました。100歳を超えても年賀状が1,000枚近く届き、いちいち万年筆で返事を出したりと、101歳を超えてもまだまだ元気でやっておりました。99歳でヨーロッパで一番高い山モンブランの氷河を滑りました。シャモニーという町からロープウェーで上がっていくと、富士山の頂上よりちょっと高い約3,900mの所に着きます。そこからスタートして25kmの大氷河を滑るのを白寿でやるんだと張り切って練習して、成功させました。オリンピックのあったアメリカのソルトレイク、ここは私の子供たちも学校に通い、スキーをやりましたし、私自身も1961年からソルトレイクを拠点にアメリカを中心にスキーをやり、私たち家族にとって、ここがある意味で第二の故郷みたいなもので、父親も同じようなことを随分いっておりました。そこで100歳の記念に、ソルトレイクのロッキー山脈のスノーバードという約3,300mの所からスキー滑降をしようということになりました。親子四代でということで私の孫のちびまで含め、札幌からもたくさんご参加いただきました。170人ほどと、現地アメリカのスキー仲間たちも加わり、200数10人の大滑降になりました。ちょうどこの時、アメリカの元大統領ジミー・カーターさんの政治集会がスノーバードでありました。なぜかアメリカは政治集会や学会をスキー場でよく開きます。カーターさん、民主党のスポンサーたちが大勢集まって毎日のようにスキーをやって、夜はパーティー、コンベンションです。カーター元大統領は三浦さん一家が来ている、ぜひ会いたい、一緒に滑りたいということでしたので、大喜びでご一緒させていただきました。このように、人間は元気に歳をとって、そして自分に趣味あるいは専門的な何かがあれば、いつまでも人生を楽しむことができるし、仲間も増えます。ある意味で、楽しくそして有意義に生きられるということだと思いました。
子供の時からの心臓病患者
ところで、きょうの北海道心臓協会の講演には、私が一番ふさわしいのではないかと思います。どういうことかといいますと、実は私は心臓病患者なんです。小学生のころから心臓に不整脈がありました。私の父親は、先程いいましたように101歳までぴんぴん元気で、まさにぴんぴんころりの元祖みたいな人でしたが、やはり心臓病でした。私の家系はおばあちゃんの代も含め、心臓病が持病のようにあります。さっき島本先生がお話になったメタボリックシンドロームでも家系のことがでてきましたが、そのとおり私にも伝わっています。昭和20年、中学校受験の時に縄跳びをさせられましたが、軍隊のお医者さんみたいな人が私のところへ来て「お前、心臓おかしいぞ」という。要するに不整脈だから、こんな子供は中学校に入る体力、資格がないということで見事に落第しました。私は今、職業のひとつがプロスキーヤーです。中学校の入試に滑って以来、滑ることがずっとつきまとって今でも続いているような感じです。
70歳、不整脈を騙し騙しエベレスト山頂へ
2003年にエベレストに登った時は、もう死ぬんじゃないかと思うような不整脈が富士山の頂上くらいの高度で出ました。胸にセンサーをつけ、スイッチを押すと心臓の拍動を計れる装置を着用していました。その時はルクラという所から歩き始め、10日ほどかけて2,500m、2,800mと高度を上げてきておりました。ペリチェという所に着けば病院があります。ヒマラヤの高山医学研究所です。そこまでたどり着こうということで、約3,900m地点のシェルパの家でお昼ごはんを食べたのですが、何だか心臓があんまり動いてない。動いてないって変な表現ですが、60くらいしか動いていないのです。今皆さんがいる平地なら60でいいのですが、ほぼ4,000mで、高さにまだ体が慣れていない状態では90くらいないと心配になります。高山病はまず風邪の症状、下痢の症状がひどく出ます。もう既に途中のナムチェバザールという3,600mの所で高山病が発症しており、騙し騙し歩いていたのです。どうかなと気にしながら、お昼にビスケット、紅茶、バナナなどを摂り、10sくらいの軽いリュックサックを背負って歩き始めたら、くらくらっときました。心臓が空回りしているんです。脈を診たら計測不可能。多分200以上。要するに心房細動という、長島茂雄さんが脳溢血を起こしましたけども、あの現象が起きたのです。血液が空回りして心臓の中で血液が固まりつつあるという状態です。すーっと気を失いかけ、はっと気がつくと心臓が動き始めた。診ると28か30くらいしか動いていない。3回くらいそういう状態になりました。歩くと、階段を上ると、くらくらっときて、気がついたらあの世でうろうろしてるか、あるいはカトマンズの病院のベッドの中かと、しばらくそんな不安に駆られていました。寒気がするので頂上に登るくらいの羽毛服を着、ストックを突いてよろよろ歩きながら、普段なら1時間半くらいで行くところを、やっと4時間かけて高山医学研究所のドクターのところへ辿り着きました。もちろん、途中シェルパの家で休んだり、10分に1回くらい休憩して少しづつ水分を摂りながらでしたが、不整脈は続きました。
高山医学研究所は日本人の登山の好きなお医者さんたちが作った病院で、もう30年ほどたちます。世界中の山好きなボランティアのお医者さんたちが交代で勤務しています。その日はシアトルの登山家でもあるお医者さんが当番でいました。私の話を聞いて「お前か、エベレストをスキーで滑った奴は。もう70にもなったのか」。今までの症状をいったら、山へ来たら当たり前だし、そんな歳でここまで無理をしたんじゃ当然だ、とおっしゃる。先生は、もしこの不整脈でエベレストに登れたら不整脈の新記録ができる、なんて変なことをいってましたが、「エベレストは生きるか死ぬかよく分からない所だから、まあ行ってらっしゃい」。貰ったのは下痢止めの薬が5、6個だけ。随分のんきな先生でした。それからは、どういうわけか、何となく心臓は動いてくれました。止まるな、あまり速く動くな、と騙しながらベースキャンプまで辿り着きました。この不整脈の原因は、先程いいましたが、家系的な要素と子供の頃からのものです。
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