| No.80 |
この先の自由について
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講談師三代目 神田 山陽 氏
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本日は、健康のセミナーの後にご指名がありまして、一席やるような、どうやらお題ではないんです。それで今、私があの一番こう思っているようなこと、自由が自然ではなくなったというようなことに気づくためのささやかなヒント、もしくはそのきっかけのようなものを話したいと思います。
私たちは講談という過去のことを探りながら、未来のヒントを語ることを江戸時代から職業にしています。例えば、赤穂浪士の討ち入りがあったら、それをただ面白おかしく伝えるのではなくて、言ってみれば、過去のことを解説しながら、未来に何か通じるエッセンスになるような物語を作っていくのが、講談の仕事だと思っております。
私が講談師になった頃は、弟子になった途端に自由はないよと言われるんです。好きなことは何もできないんだよ。1日でも早く先輩になった人の言うことは、何でも聞かなきゃならないんだよ。その時、私は、それまで自由がないようなところで生きたつもりはなかったので、ひょっとしたら初めて自由っていう言葉に出会ったのかもしれません。
前座生活はずっとカツカツで暮らしているところに、初めてテレビのレギュラーの仕事を頂きました。NHKで梅沢富美男さんと前川清さんが全国回って、お芝居をやったり、歌ったりする番組の前説でした。
ところが、その頃、父がちょっと具合が悪くなったんで、見舞いに行こうと思ったが、番組があるので、行けない。自分が生活するって、この好きな商売をやりながら何か生きていくということと、お見舞いっていうのを天秤にかけなきゃならないってことになった時に、あれ待てよ、これ自由っていうのはだいぶ難しいことだなと思ったんです。
自分の自由を通そうと思えば、自分のやりたいことを強いることになってしまって、自由というものがどこかで破綻するという。逆に誰かの言うことに付き合うようなことになると、自分の本当にしたいことということから遠ざかってしまうようなことがある。それとの折り合いをつけながらいかなければならないんですけれども。折り合いをつけるという時点で、それは純粋な自由と言えるのか。
自由という言葉を訳した時にリバティですか、その言葉の中に自由以外の意味があるんですよね。自由っていうのは概念なので、好きなことができるフリーとは違うっていうんですよ。あの、ご自由にお持ちください、なんていう時にはフリーってなってるじゃないですか。そのフリーではなくて、信念のある自由っていうものが一方にある。
私も故郷の北海道で地に足を据えながら、子供の未来を考えながら自由という捉えにくい物語を作っていこうというのが、この20年間の挑戦だったんでございます。
