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No.71 |
三浦雄一郎氏チームドクターが語る
〜挑戦者の命を守り夢をつなぐ仕事〜
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大城 和恵氏
英国国際山岳医、医学博士、北海道大野記念病院
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私が三浦一郎さんと初めて出会ったのは、2012年、エベレストに行く1年前の年でした。チームドクターとして同行しないかと声をかけられたときに、三浦さんの心臓には二つの変化がありました。
一つは不整脈、もう一つは心臓の動脈硬化です。冠動脈という血管に動脈硬化がありました。登山中、それまでに何度か不整脈の発作を起こしていましたので、エベレストの前までにカテーテルの手術を行って不整脈は治った状態でした。
心臓以外にも、高血圧、脂質異常症、あとは糖尿病の境界型という予備軍の方が世界最高峰のエベレストに登るのです。
エベレストの登り方というのは、山頂へ一直線に標高を上げて登るわけではなく、ちょっと上げて体を休めて、ちょっと上げて休めての繰り返しで登っていきます。
三浦さんの場合、標高を上げると血圧が上がるので、少し慣らして血圧が落ちついたらまた上がってまた慣らす、体にも心臓にも優しい登り方が成功の絶対条件です。
山で運動をすると、吐く息から水分が奪われる、高所頻尿といって、登山に行くとおしっこがたくさん出るので水分補給がすごく大事です。体の血糖値が下がると、山での心臓死が増えているというデータがあり、栄養補給も大事です。
三浦さんは70歳、75歳でエベレストに登頂しているのですが、80歳で同じように登るのは無理だと考え、全く新しい登山をするというのです。
普通は標高をちょっとずつ上げて、一番長くいるベースキャンプまで行くと、1回おりて、標高を下げます。そうすると、1,000メートルくらい標高が下がるので、酸素が濃くなります。酸素が濃くなると、すごく疲れがとれます。一度、体を休めて、癒やして、戻ってきて最後に、山頂を狙おうという戦略です。
しかし、80歳の三浦さんには、この方法はやめて、ベースキャンプから近いところまでちょっと登って降りてきて、ちょっと登って降りてきます。その分、低酸素にはさらされないので、酸素ボンベを早めに使う戦略に変えました。
そうして、2013年5月23日に、三浦雄一郎さんは80歳でエベレスト登頂というすばらしい偉業を成し遂げました。80歳だからといって諦めたりせず、方法を変えてチャレンジしました。
それから6年たって、ことしの1月、今度は南米大陸のアコンカグアにチャレンジすることになりました。
この6年間で三浦さんの体は、狭心症を起こすほどではないが、動脈硬化が中程度に進行し、心臓の筋肉が肥大した状態で、目に見えて悪い病気が増えていました。さらに、高血圧、高脂血症はそのまま、予備軍だったはずなのに立派な糖尿病になって、心臓は心不全を積極的に予防しなければいけないステージBになっていました。体重もさらに増えて、90キロ弱ぐらいです。ですから、心臓の負担がすごく大きな状態で行くことになりました。
ほかの患者さんであれば、絶対に行くなと言います。しかし、私がだめと言っても三浦さんは行くし、私が行かないと言っても勝手に行ってしまうので、私も一緒に行こうという気持ちになりました。
さて、標高を上げると血圧が上がるというのは、アコンカグアでも同じでした。三浦さんの血圧は、エベレストのときは、1日、2日で落ちていたのですが、3日か4日しないと落ちず、薬を1錠増やせば血圧が下がったのが、やはり2錠増やさないと下がらなくなり、6年前とは違うことを感じました。
私は、6,000メートルのキャンプで三浦さんと豪太君と3人で同じテントで過ごしました。登山というと、山を登ってばかりいると皆さん思われがちですが、実は生活している時間のほうが長いのです。昼間に何時間か登って、残りの10何時間はテントの中で普通の生活をします。
寝るときに横になって、ベッドがないので床から起き上がる。そして、トイレに行くときには立ち上がり、テントは低いからかがんでテントを抜けて、トイレで、かがんでいきむというすごく労作がかかる状況です。それを酸素ボンベを持ちながらなので大変です。生活の動作一つ一つがすごく心臓の負担になります。心不全では避けなくてはいけないはずの行動ばかりです。
山では高所頻尿と言って何度もトイレに起きるのですが、起き上がるときに息をこらえます。そうすると、酸素が少ないので、窒息しかかります。寝返りを打つときもまた息をこらえる、そして、排泄をするとまたいきむので息をこらえます。本当に、はあ、はあと呼吸困難な様子にちょっとあぶないなと思いました。
毎日、脈をとっていると、ある日、不整脈が出始めて、血圧も高くなり、最大量の薬を飲んでも、血圧がもう下がらなくなりました。
お顔を見てわかるように、むくみが出てきて、数日たっても回復せず、すこしずつ悪くなってきました。しかも、ここから先の登山行程は、1日ずつ標高を上げていくので、自然環境はどんどん悪くなるばかりです。これは、心不全どころか、心臓がとまるかもしれない状態でした。ご本人さんは、登りたくてしようがない、やる気はいっぱい、好調ですといいますが、私の見ている状態とは大きな開きがありました。
私が今まで見てきた、山で死んでしまった方や事故を起こした方は、そういう主観的な評価と客観的な評価に開きがありました。そういうことが死を招くということは私の中では明らかだったので、ためらうことなくドクターストップの判断をしました。
私がドクターストップの話をしたときに、三浦さんにとっては、本当に寝耳に水だったと思います。20分ぐらい、じっと黙っていました。年を重ねて、しかも病気をもっているといつでも登頂できるわけではありません。それを登らないという判断をするのはなかなか難しいと思いますが、現地で生きて帰ることを選択してくださった三浦さんには本当に感謝をしています。
三浦さんは、心不全の中では一番軽いステージのときに私はご縁をいただいて、一緒に工夫しながら世界の名峰を登ってきているのですが、三浦さんは、6年前に比べると、次のステージに進んでしまって、山にすぐ入ると、もう一つ上のステージに上がってしまいます。
でも、そんな三浦さんでも、予防したり、注意したり、ケアをすれば、こういうチャレンジをすることができて、今、生きていることができます。
心臓の病気というのは、予防とか、早く気づいてうまくつき合っていけば、人生を楽しいものに変えたり、新しいチャレンジをすることができると思っています。
きょうは、心不全は怖いところもあるけれども、このように人生を楽しんでいる人もいるということを知っていただいて、もし皆さんが不安な症状などがありましたら、私どもを頼っていただいて、今後の健康な生活に役立てていただけたらいいなと思ってお話をしました。

