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No65 |
ココロノ弱さ、強さ
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曽田 雄志氏
北海道教育大学岩見沢校 スポーツマーケティング研究室専任講師
僕は2001年からコンサドーレ札幌でプレーをし、今から約7年前に引退しました。最初はなかなか試合に出られなかったのですが、2年目の途中から、レギュラー選手としてずっとコンスタントに試合に出場するような機会に恵まれました。2007年ころは、今のコンサドーレと同じような状態でJ2を首位で戦っていて、J1に昇格できるすごく充実したシーズンでした。
しかしそのころ、左膝に違和感を覚え、整形外科で検査すると、左膝の半月板がだめだと診断され、手術をすすめられましたがシーズン中だったので、僕は手術をせずに2007年のシーズンを終えました。翌シーズンせっかく優勝してJ1に昇格しましたが、僕はリハビリからスタートして左膝の手術と腰の手術をしました。これが僕の初めての大きな手術でした。
二つの手術のあとリハビリに4カ月間かかりました。サッカー選手にとって、トレーニングを1週間休むと体力も筋力も著しく低下し、全く走れなくなります。
長期のリハビリを経て復帰しましたが手術前と比べると、筋力とかパフォーマンスにまだ納得がいかず、試合にも数回しか出場できませんでした。
そのうちに、両膝にまたすごく強い痛みが来ました。調べたら、今度は膝の軟骨がもうぼろぼろになっていますねと言われました。
当時29歳ぐらいでしたが、膝の軟骨がすり切れぼろぼろでした。残念ながら、膝の軟骨というのは現代の医学でも修復できないと言われ、大変な絶望感を味わいました。やむをえず両膝を同時に手術しましたが、本当に大変でした。3カ月間、自分の体重をかけて立てない歩けない状態になり、装具をつけ、松葉づえか車椅子でずっと過ごしました。
そうして3カ月たって装具をとってみると自分の足が、腕ぐらいの細さになり全く筋肉がなくなりました。歩くのも、壁をつかみながらで、階段は本当に無理でした。自分の体はもとに戻らないだろうと思いました。
そのころはクラブハウスに行ってお風呂で温まり、トレーナーにマッサージをしてもらって、誰よりも最初に帰る、これが日本人で一番高い給料をもらっていたプロサッカー選手としての僕の仕事でした。また、サッカー選手としての価値が著しく低下していました。自分の仕事のスキルとか能力が著しく低下すると、人間としての質も低下してしまったのではないかと思うようになりました。
そんな日々を1年半ぐらい過ごした秋口のころか、当時の強化部長から、やめようとか思っていないかと聞かれました。もしそうなら、シーズンが終わってからやめると言われても記者会見ぐらいしか開けないが、シーズンが終わる前に決めてくれたら、最後の試合にベンチ入りして試合に絡む機会もつくれるし札幌ドームで引退のセレモニーもやれる。貢献してくれた選手に対して感謝を伝えたいと言ってくれましたが、まだ迷っていました。
そんなころ、夕方にサッカー場でひとりジョギングをしていると、場内のナイター照明が点き、そのとき目にした緑の芝生があまりにきれいで立ち尽くしました。いままでずっと見ていたのにこれは自分の中のなにかが変化したのだと思いました。自分にとって違う何かすてきなものが来てくれる合図だと思いました。そして、よし、やめようと心の中で叫んでいました。そのまますぐにクラブハウスに向かい、スタッフに、俺、今年でやめることにしたと言いました。スタッフも泣きながら、僕の引退を受け入れてくれました。
その瞬間から曽田を10日後のホームゲーム最終戦にベンチに入れようというプロジェクトが立ち上がりました。そして、試合当日、もし自分が試合に出ることができたとしても、本当に数分だなとか、いや拮抗した展開だと試合に出られないかもしれないとか思いながら試合会場に来ました。対戦相手は横浜FCで、結局、僕が出場することになったのは後半残り7分間、2対1の場面で、追いつかれる可能性もあるから、とても不安でした。そのような中、地鳴りのような大声援を受けて僕はガチガチに緊張しながらもPKを決めることが出来ました。
たった1個のボールがあの枠に入っただけで、いい大人が汗でびちゃびちゃになって抱き合ったりするというのは、普通はありません。あれだけ立ちっ放し、ジャンプしっ放しで応援してくださる方とか、泣きながら応援してくださる方とか、こんなラッキーですばらしい仕事はないなと思いました。
僕は、心が強い人というのは余りいないと思います。強そうに見えるだけで、じつはみんな弱いと思います。ただ、環境によっては、強くなり切れず、弱いままでいなければいけない方もたくさんいると思うので、簡単にこうやったらいいとは言えません。しかし自分の中の小さな勇気を見つけて、どれだけ行動できるかということは重要だと思います。
僕は勇気がなかなか出ないときでも、自分の体の中に絶対に勇気が残されていると無意識に信じています。それは、自分の親が送ってくれるパワーだったり、家族が送ってくれるパワーだったり、恋人が送ってくれるパワーだったり、先生が送ってくれるパワーだったりするかもしれません。自分にないものは外から吸収することも大事だと思っています。
座長:三浦哲嗣先生(札幌医科大学循環器・腎臓・代謝内分泌内科学教授)
プロサッカー選手としてのご経験から、弱さをどうやってコントロールするかというお話を伺いました。お話を伺って思い出すのは、ある臨済宗のお坊さんが、不動心、動かない心というのは、動かない心なのではなくて、柔軟な心だ、揺れ動くのだけれども、その柔軟な心が実は不動心なのだというお話を聞いたことがあります。今日の曽田先生のお話は、弱いと強いがちょうど表裏一体で、一方がネガティブで一方がポジティブというわけでもないような印象を持ちました。
最初のスライドで38歳ということでしたが、孔子の論語の中で、孔子は40歳にして惑わずと。孔子は40歳で惑っていないけれども、何か、曽田先生は2年早く惑っていないような気がして、さすが、教育委員会から声がかかるのも当然かなと思いました。

