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市民フォーラム「願いは健やかハート」
主催:北海道心臓協会/北海道新聞社
後援:北海道看護協会/北海道薬剤師会/北海道栄養士会 協賛:武田薬品工業株式会社
講演「賢い患者になるには」
(1/1)
柳田 邦男氏(ノンフィクション作家・評論家)
本来なら終演の時間なのに待っていただき、大変感激しております。
柳田 邦男氏
きょうのテーマは「賢い患者になるには」です。私は長年医療問題を取材してきましたが、ちょうど「私の患者学入門」(注)という本を書いている最中で、6月頃には新潮新書として出る予定です。そんな折でもありますので、この話をしてみたいと思いました。 最近は医療不信とか医療事故で気持ちが暗くなるし、エイズやさまざまなことで医療界は大変です。ですが、ただ医療不信とか告発するとかだけでは済まないことで、一人一人が健康を維持してより良い人生を送るためには、医療者という専門家と一緒になって医療あるいは健康を作っていく心構えなり、取り組みが必要だと思います。そんな意味で私は医療者に色々要求しますが、患者さんにも心得として持って欲しいこと、取材を通じて考えたことや身近な患者体験から、こうあった方が良いと思うことを整理している最中です。後ほどお話しますが、その前に身近なエピソードをいくつか紹介します。
*3年間に8回手術、でも笑顔
たまたま昨日、癌の患者会でもお会いしたのですが、60歳近くなるご婦人がここ3年間に8回手術を受け、8回目はつい2月のことでしたが、とてもそのようには見えない元気さでした。どこに病気をお持ちかと思うほどで、笑顔が立派で、本当に驚きました。三浦さんとおっしゃる帯広の方で、2000年の春先に血便が出て大腸癌であることが分かり、肝臓に転移もあり、家族には密かに「半年もつかどうか…」と告げられました。治療方法がないわけではないが、診断した地元の病院では無理とのことでした。東京・戸山にある国際医療センターで看護婦をしていた娘さんが、勤務先の先生に相談し東京で治療することを勧め、それを受け入れ、長期戦覚悟で病院の近くにアパートを借り、一方、娘さんは勤めを辞めてお母さんと住み、それまでの職業知識をケアに注ぐことにし、闘病が始まりました。最近の医療傾向として、完治しなくても日常生活の水準をより高く維持して生きること、つまりQOL(Quality of Life:生命生活の質)を大切にするようになってきました。このような観点から治療・手術が検討され、3年前の2月にS字結腸の所を10cmほど切り、肝臓には局所的に抗癌剤が行くようにリザーバーをつけました。10カ月後、肝臓に広がりそうなので切ろうということになり、転移があった右葉に門脈閉塞手術を施し、2カ月後に右葉の転移癌を切除しました。この時は大変な手術で、ご本人は臨死体験をしたと話しておられます。それでも回復しましたが、8カ月ほど後に肝臓にパラパラと再発癌が見つかり、今度はラジオ波で焼きました。この手術が2度あり、次に肺への転移が見つかりました。しかも右にも左にもあり、切るわけにいかず、5カ月おいて2度、胸腔鏡手術で癌の摘出を行いました。
退院して1年ほど元気に過ごし、今年2月初めには患者会のフォーラムでこれまでの7回の手術体験を元気に発表されておりました。ところが話が終わったら「来週入院します。また肺に出てきました。腫瘍マーカーの数値が高くなってきました」とおっしゃるではありませんか。しかも、満面の笑顔で。こんなにも生命力が強い方がいるのです。一体何が支えなのでしょうか。家族の支え、医療側の連携などがありますが、何よりも本人の生きる意志、意欲でありましょう。
なぜこのような話をするか。最近「癌と闘うな」「抗癌剤は意味がない」などと主張される医師が増えていますが、果たしてそうでありましょうか。このような主張をする医師にかかり、手術もしないで実に悲惨な最期を迎えた友人がいます。私は医療とは医者と協力して作品を創るようなものだと思っています。残された人生を生きる、あるいは回復し元気になって生きることが作品です。患者もしっかりと病気を認識し、治療の方法を選ぶなど主体的に関わって、医者と協力して医療という作品を創ることが大切だと思います。三浦さんがまさにそうでありましょう。
*癌を患って17年、何時も前向きに
もう一人は宮尾茂子さんです。出版社の編集者をしていた50歳半ばに乳癌になり、60代初めにかけて3回再発手術をしております。この間、仕事は辞め、ホスピスや老人ホームでのボランティア、ホスピス研究会やホスピス視察ツアーに参加するなど、最後の日々をよりよく過ごすため、生命や闘病の仕方など体を張って勉強してきました。本も書きました。闘病生活が始まってから10年ほど経って「終末期医療への願い」、さらにその後「がんを道連れに13年」。その中で、自分がどう病気を受け止め、どう治療に励んだか、お医者さんとうまくやりながら、どう自分なりに納得できる日々を送ってきたかを書いています。一昨年、とうとう骨への転移が見つかりました。宮尾さんは手紙で大略このようにおっしゃっています。「17年も患者をやっていますと、不幸と思うより生きてきて良かったと思うことが多いのは、多分、長く生きられたからだと思います。74歳になりました。癌を患って17年、もう抗癌剤は使わず緩やかな治療を選びました。ホルモン剤を処方してもらい、向う3年間2週間に1回通院することになります。落ち込んではいません。17年も命をいただき、自分の生き方を見詰めてきました。私にとって生きることとは、後悔しないで死ぬことです。これで良かった、と時々自分で納得できればそれでよしとしたいのです」。すごい人だと思います。宮尾さんもしっかりと自分の生き方を見詰めたのだろうと思います。
闘病は一種の情報戦だと思って取り組んだらどうでしょうか。病気と治療方法を正確に知り、病気を背負ってどう生きるかをしっかり考えることがとても大事です。自分の生き方をしっかり持てば、嫌でも応でも病気について知らなければと思うようになりますし、努力もするようになります。
*生き甲斐療法実践会の方々
とてもいい闘病の仕方だと思うのが、生き甲斐療法実践会の方々です。倉敷市・柴田病院の伊丹仁朗先生が80年代に始めた心神医学的なアプローチで、癌の患者さんが生きる意志、生き甲斐を見失わずに病気に立ち向かうための取り組みです。生き甲斐といっても難しい。そこで具体的な目標がはっきり分かり、しかもそれに向かって自分の気持ちを集中できる象徴として山登りを始め、ついには富士登山やモンブラン登頂を実現しました。癌になっても全身が癌になったわけではない、心まで癌になったわけではない、心こそ大事なものであって、心は癌になんか負けてたまるか、残された日々を自分らしく生きるんだ、の思いです。使える機能に目を向け、それを納得できる目標に向かって使おうということです。生き甲斐は俳句でも和歌でも旅行でも、研究室で実験することでも舞台を続けることでもいいのです。心が目標に向かって生き生きすれば生命力の活性化、免疫力のレベルアップに繋がります。また、皆で山に登るということは、同じ病気を持った人たちがお互いの悩みを親身になって分かち合い、生きる力を取り戻せることにもなるという意味もあります。
*まず病気と治療法を正しく理解
病気を患ってどう生きるか、心得を整理してみました。病気と闘うには知ることがとても大事です。病気と治療法について正しく理解し、生き方について自分なりの道をしっかりと考える。病気なんかに負けないで心を前向きにして、納得できる人生を送るということです。具体的にどうすればいいのか。病気と治療法について知るには(a)診断を受ける医師本人(b)インフォームド・コンセント(c)健康書・医学書(d)インターネットでの情報検索(e)医療機関の相談窓口(f)患者会(g)セカンドオピニオン等があります。書籍は、特に看護婦向けのハンドブックや雑誌の特集などが、分かりやすくまとめてあって大変参考になります。インターネットの情報は膨大で、時には危ないものもあるので注意しながら読む必要があります。患者会は各地にあり、機関誌や患者さんの手記を出しており、非常にいい情報源で、助けになります。セカンドオピニオンは言い出し難いことでもあり、医師によっては良い反応がないこともありますが、行政も医師会も受け入れ方針を打ち出しています。現実には千差万別色々ありますが、医療界としては受け入れる方向にきています。患者さんにとっては自分の命に関わることですから、勇気をもって、お医者さんを説得するぐらいの気持ちで対応してもいいと思います。
*患者としての自分を知ってもらう
患者さんとしては、診療の受け方も非常に大切です。10か条にまとめました。まずフルネームで自己紹介し、病状や再来、初診などの背景を説明する。患者取り違えの事故が結構あります。横浜市大で肺癌の患者と心臓弁膜症の患者を間違えて手術、気がつかないまま両方終わってしまったことがあります。これは同姓同名からではなく、部屋への送り込み間違いでしたが、福島では妊娠で定期検診に来た若いお母さんが、中絶を予定していた患者さんと間違えられて掻爬された事件がありました。これは同姓同名で間違えられたケースです。横浜市大の調べによりますと、年間約6万人の患者のうち音読による同姓同名が実に約1万人いるそうです。氏名の表記が同じ、病名が同じ、病気の部位まで同じカルテがあり、住所をみたら違う人だった、という例もあるそうです。医療者側が注意しなければならないと同時に、患者も自分の身を守るために、まずフルネームで名乗り、カルテと照合してもらう。事故防止のためだけでなく、医師との信頼関係を築くためにも大切です。先生のフルネームと専門を尋ねる。自分の命を診てもらう人です、よく知っておきましょう。症状や先生への質問をあらかじめメモしておく。分からないことは何度でも聞く。診察中はあれこれ気遣って、メモなどできないものですが、家へ帰ってからでは遅過ぎます。大体忘れてしまいます。診察を終え廊下に出たら、新鮮なうちに直ぐメモをしましょう。薬は間違いなく自分の物であるかどうかも確認する。手術など重要な説明や告知がある時は、独りではなく家族や友人に同席してもらう。不安な時はセカンドオピニオンで確認する。初診では無理ですが、大きな手術を受けたりする時は、自分の死生観のようなものをお医者さんにも看護婦さんにも理解してもらう。そうしないと医療者側で勝手に判断してしまいます。お医者さんは神様ではありません。限界があるということを絶えず考えておくことも必要です。
*闘病記やエッセーで心を耕す
生き方は、人それぞれ違います。モデルはありません。ですが、応用問題を解くような意味で、色々な人の闘病記やエッセーを読んでいると、病気に真正面から向き合えるような心が少しずつできてきます。患者会やボランティアで生きることについて学び、体で覚えましょう。お医者さんとも、あそこが痛いここが痛いだけでなく、時には、皆さんこういう時どんな生活をしているんですかとか、こんなに体が不自由になってどうしたらいいでしょうかと相談すれば、経験を話してくれるかもしれません。家族や友人の支えも欠かせません。病気の効用に気付き、生き方の転換を図ることが大切です。今まで大事だと思ってやってきたことよりも、もっと大切なものがあるかもしれません。旅立つまでやっておくべきこと、「充分にやった」と思える目標を見つけましょう。非常に大事な課題です。病気を知る、治療法を知ることと、生き方を知ること―二正面作戦という意味で取り組むと、必ず人生あるいは闘病の仕方が違ってくると思います。
*医療側も応分の対応を
患者さんが自覚的に主体的に生きるようになった時、お医者さん側、看護婦さん側、薬剤師さん側も対応できるだけの心構えと仕事の仕方をしてくれないと困ります。医療界への要望として、お医者さん側でもちゃんと挨拶し自己紹介をしましょうとか、色々とお願いしています。特に大事なのは会話です。患者さんに分かりやすく、しかも、叱ったり命令したりするのではなく、主体的な生き方、闘病の仕方を支えるサポーティブなアドバイスなり、一言を添えるなり、あるいは患者さんの悩みにきちんと耳を傾ける対応、コミュニケーションを大切にして欲しいのです。特に、セカンドオピニオンの要請があった時、しっかりと医療者として対応してもらわないと、患者さんは納得というものを手にできないことになります。きょうは長い時間、遅くまでありがとうございます。
(注)「元気が出る患者学」として6月20日発売に。