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メタボリックシンドローム(その1)
札幌医科大学第二内科斎藤 重幸さん
糖質や脂質などの代謝が滞って・・・
●はじめに
昨年来、新聞紙上などで「メタボリックシンドローム」という言葉が流布されています。この「メタボリックシンドローム」とはどのような病気なのでしょうか?なにが問題なのでしょうか?
ごく簡単に言うと、「メタボリックシンドロームだと、心臓病や脳卒中になるから、メタボリックシンドロームにならないように、あるいはもうすでにメタボリックシンドロームならばそれを克服しなければならない」ということです。病気の原因となるものを危険因子といいます。このシリーズでは心臓病や脳卒中など循環器病の危険因子を取り上げてきましたが、メタボリックシンドロームも循環器病の危険因子の1 つなのです。
これから数回にわたりこのメタボリックシンドロームのことについて述べて行きます。今回は、何故、今、日本で、メタボリックシンドロームなのか(それが重要なのか)ということについて考えてみたいと思います。
1.「シンドローム(症候群)」とは?
「シンドローム」とは日本語に直すと「症候群」のという言葉になります。「症候群」とは、病気にまつわるいくつかの病状や症状がまとまっておこっている様子をいいます。たとえば皆さんがよくひく「風邪」は医学用語では「カゼ症候群」といいますが、これは、「くしゃみ、はなみず、鼻詰まり、咽頭痛に発熱」といういわゆるカゼの状態を表しています。また「ネフローゼ症候群」といえば浮腫(むくみ)、蛋白尿(尿に体の構成成分であるタンパク質が漏れ出る)、低蛋白血症(血液中のアルブミンというタンパク質が極端に少なくなる)、高コレステロール血症などが同時におこる状態で、腎炎や糖尿病のときにみられます。蛇足ですが、「症候群」はこの意味から転じて最近では医学以外に用いられ、「青い鳥症候群」、「結婚しないかもしれない症候群」、「のび太・ジャイアン症候群」など社会現象を言い表す用語として使われるようになりました。このように「症候群」はある特定の状態や流行について、生じるさまざまな現象を代表して言う便利な言葉なのですが、症候群(シンドローム)を付けるとなんだか全てが分かったような気になるから不思議です。
2.「メタボリック(代謝)」とは?
では前半の「メタボリック」とはなんでしょうか。日本語にすると「代謝」と訳します。広辞苑によると「代謝」とは「古いものと新しいものがいれかわること」と説明してあります。「新陳代謝」という言葉は皆さんご承知でしょう。医学用語で「代謝(学)」とはまさにヒトの体内での多くの物質の入れ替わりを調べる学問ということになります。皆さんが口にする食物は「消化・吸収」されてより簡単な成分となって腸から体内に取り込まれます。その取り込まれた食物(物質)は、血や骨や筋肉になり、あるいは筋肉や脳細胞を活動させるエネルギー源となり、さらには餓えに備えるために蓄えられます。そして最後に使い道のなくなったものは老廃物として排出され、体内を移動し変化していきます。ヒトが生きている限り、好むと好まざるとに拘らずこのことを続けるのです。この物質の流れが「代謝」ということです。ヒトが取り込む物質には数えきれないモノがあるのでしょうが、絶えずそれぞれが体内で代謝され、利用されるものは利用して、不必要なものは排泄されていきます。そして、時にはある物質が足りなくなる場合もあるでしょうし、過剰になる場合もあるでしょう。いずれにしろこの「代謝」が滞ると、不都合がおこり病気になるのです。代表的な「代謝」の病気が、糖の流れが上手くいかなくなる「糖尿病」です。また脂肪の流れが滞るのが「高脂血症」です。(これらのお話は後程詳しく致します。)
3.「メタボリックシンドローム」とは?
<三大栄養素の役割> 糖質エネルギー源(1g当たり4kcal)となる
グリコーゲンとして一時的に体内に貯蔵される
中性脂肪に変えられて貯蔵される
血糖として体内を循環し、必要時にエネルギーを供給する
非必須アミノ酸の合成に用いられる
タンパク質エネルギー源(1g当たり4kcal)となる
筋肉や内臓の構成成分となる
ペプチドホルモンを合成する
神経伝達物質を合成する
免疫機能を高める
脂質エネルギー源(1g当たり9kcal)となる
体脂肪として貯蔵される
血液成分となる
生体膜(細胞膜、角膜etc.)の構成成分となる
ステロイドホルモンの原料となる
そこで「メタボリックシンドローム」は「代謝」の滞りに基づく、特有の種々の症状が集まったもの(症候群)ということになります。では、まず、どのような物質の代謝に異常が起こっているのでしょうか?一言でいうと主に「糖質」と「脂質」の代謝の滞りということになります。小学校や中学校の理科や家庭科の授業では食事の三大栄養素というものを教わります。糖質、脂質、タンパク質が三大栄養素で、食事に含まれる多くの成分がこの糖質、脂質、タンパク質に分類されるわけです。体内では代謝によってこれらの物質はお互いに変わりうるのですが、体内ではそれぞれ重要な役割を担っています。三大栄養素の役割を表にまとめました。この三大栄養素はいずれも身体の中ではエネルギーのもとになります。糖質、タンパク質は1グラム4キロカロリー、脂質は1グラム9キロカロリーの熱をつくることができます。(1キロカロリーは水100mlを0度から10度にするのに必要なエネルギーです。)そして、この「糖質」と「脂質」を中心とした食物= エネルギーの滞りが「メタボリックシンドローム」なのです。
私たちが受け継いだ 生き延びる仕組み
4.メタボリックシンドロームの始まりは?
話は少し変わりますが、人類の発生は現代人の祖をホモサピエンスとすると10万年前に遡ります。この時、当然ですがマクドナルドも、コンビニも、冷蔵庫もなかったわけです。なにを言いたいかというと、その太古の昔、人類は必要最小限の自然にあるもの(食糧)を自分で見つけ、自分の手でとることにより生きながらえてきたのです。そしていつしか狩りをして他の動物を捕らえることを覚え、集落が出来、食べ物を蓄える知識が生まれ、田畑を耕すようになる。そしてこれらの智恵や技術が集積して、途方もない時間の末に文明が発生します。数千年前のことです。身の回りのものを取りあえず口にして生き延びた人類発生時に比べると格段の進歩です。しかしひもじい思いは文明が生まれても同じだったでしょう。洪水や干ばつなど自然現象による飢饉が絶えずおそっていただろうことは想像がつきます。そして、このことはごく最近まで続いているのです。天明の大飢饉が220年前、天保の大飢饉は170年前、ごく最近では60年ほど前の食糧難の時代を経験されている方も多いでしょう(もっとこれは天災というより人災)。このごく最近まで続いたこの「飢饉の時代」にメタボリックシンドロームなんてなかったのです。でもこの飢饉の時代があるから今、メタボリックシンドロームが流行しているのです。
5.そして現在、食糧と身体は?
さて、現在の日本です。現代の普通の日本人で飢餓を心配している人はいないでしょう。なんとか自然現象に左右されず食物が得られるようにと智恵を最大に発達させた結果、現在の日本があるわけです。戦争は飢えることだと身にしみた世代がまだ健在ですが、今は、コンビニやマクドナルドに入れば1コインで1日の必要カロリー摂取量の相当部分は確保できます。皆さんのご家庭の冷蔵庫には最低でも2〜3日分の食糧の備えはあるでしょう。そうなのです、日本の普通の人たちは、いつのまにか、苦労しないで、「意識しないで」食物が手にはいる環境に住んでいるのです。お腹が空けば食事を取る(お腹が空かなくても…)。そして実際にその食物が手にはいる。ほぼ全ての日本人は無意識のうちに、このことが当然のこととなってしまっています。
そこで、私たちの身体の方はどうでしょうか。10万年前のホモサピエンスと現代人では、あるいは、220年前の天明の大飢饉のころの日本人に比べて、現代の日本とでは「からだの仕組み」に違いがあるのでしょうか。現代人、つまり私たちの方が220年前の人々より高級であるような感じはしますし、そうであって欲しいという願望もあります。でも現実は生物としてみると、現代人と開祖のホモサピエンスとでは殆ど「からだの仕組みに」変わりがありません。目がふたつ、口が1つ、鼻の穴が2つ、指が片手5本、このように体の構造はすべて遺伝子で決定され、この遺伝子は太古から今日まで「我々の体の構造と仕組み」を伴って、延々と受け継がれているのです。さらに天明の飢饉から220年位の時間では日本人の遺伝子の変化は起きていなのです。江戸時代と現代とでは体格も違うし、運動能力も違うと言う方もいるかもしれませんが、それは食べ物を含む環境が変わっただけで、身体の仕組みをつくる遺伝子は全く変わっていないのです。
6.飢餓を生き延びるために
そこでお気づきになると思います。古代のヒト、飢饉の時代のヒトが自然の中で危険が満ち溢れていて、食べ物がない環境を生き延びるための仕組みが、今、現在のわれわれに受け継がれているということを。「危険に満ちていて、食べ物がない環境を生き延びるための仕組み」とは、まさに人類が生存するために必要であったはずです。この仕組みを持たなければ死に絶えてしまった。この仕組みが発達した生物だけが過酷な自然の中で生き延びられた。生き延びられたからその子孫たるわれわれが存在する。ではそれはどのような仕組みなのでしょうか?種々の仕組みがあるのですが、主なものが「免疫のシステム」、「止血システム」です。自然のなかで裸の人類は、感染症から体を守り、怪我をした時、出血死しないためにこれらシステムを獲得して、遺伝子の中に保存し、わたしたちに伝えてくれたのです。
さて、「メタボリックシンドローム」です。ここで問題となるのは、人類が生き延びるために獲得した「エネルギー節約・備蓄のシステム」です。周囲に食糧が不足しているとき、冬を迎えたとき、出来るだけエネルギーを使わないでいることが必要になります。エネルギーの蓄えがなくなると、凍えて死んでしまいます。基本的な生命現象のために必要とするエネルギー(基礎代謝)が少ないヒトが、限られた食糧のなかでは生き延びられる確率が高くなります。また食糧のある時に出来るだけ「食べて」身体の中にエネルギー(熱源)を蓄えることができたヒトが、食糧がない冬の時代を乗り切れる可能性が高くなるのです。この生存に有利と考えられる「エネルギー節約・備蓄のシステム」が延々と私たちの身体に受け継がれてきているのです。
そしてこのことが、日本人の4人に1人のメタボリックシンドロームを発症させるのです。(続く)