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創設の頃
高桑栄松顧問
社会に役立つ健康作りを視野に
協会創立から20年も経ったのかと真に今昔の感に堪えない。昔々のことを顧みると、長年月を要して結核の撲滅が云々されるようになり、予防医学の対象はガンに焦点が置かれて早期発見早期治療が社会的に大きな関心事となった。しかし、この頃既に次の目標に視点を置くことを考えていた若い研究者達がいた。
20数年前のことである。私のところへ2人の研究者が訪ねて来た。菅野盛夫・北大医学部第二薬理学教授と尾山洋太郎・斗南病院呼吸器循環器内科科長であった。「これからの健康問題は心臓・循環器が重要なテーマである。今こそその予防に着手すべき時ではないでしょうか」と演説を打たれて、我が国の主要死因の変遷を見るにつけ予防医学者の私は全く同感で、すっかり其の虜になってしまった。然し具体的な方法論を描いたわけではなかった。2人は診療所を持って患者を診ながら同時に予防活動を展開したいという考えのようであったが、諸般の事情を勘案して先ず心臓血管系疾患の知識の啓蒙普及を計りながら機会をみて次の段階を考えるということに落ち着いた。
私は心臓血管系疾患の教育啓蒙をするための構成は出来るだけ幅を広くし、加えるに啓蒙宣伝のメディアとして新聞社の協賛を得たいと考えた。そして協会の理事長には経済界の重鎮、伊藤義郎・伊藤組社長にお願いしたところ充分に理解されて、私に「貴方が腰を据えてやるなら引き受ける」というお墨付きを頂いた。伊藤氏が理事長なら、という事で渡辺喜久雄・北海道新聞社長が副理事長を快諾され、私は医学界を代表する立場で副理事長になった。そして北海道心臓協会の発足と共に協会の賛同者は経済界、学会、医師会等を中軸として拡大されていった。特に北大・札医大・旭川医大の3大学の専門家集団による真摯な協力は真に有り難く感謝に堪えない。
その後、私は環境庁・国立公害研究所副所長に転出して東京在住となったので副理事長を辞し(昭和58年)、後任は我が国に初めての循環器内科学が設置された北大の初代教授・安田寿一氏にお願いした。その後は平成4年より飯村攻・札幌医大第二内科学教授が就任され、平成13年に安田氏の後任の北畠顕・北大大学院医学研究科循環病態内科学教授に引継がれている。
この間心臓血管病予防の啓蒙パンフレット「すこやかハート」の発行は76号(2001年9月)を数え、心臓血管病予防の講演・健康相談は全道各地に及び、時宜を得た北海道新聞の教育啓蒙の記事と相俟って、生活習慣病としての理解は道民の間に深まり定着する様相が窺われる。上述の菅野、尾山の両氏は今もなお変わりなく協会の事業の発展に情熱を傾けていることを報告したい。
我が国が世界有数の高齢社会である事は我々の誇りであるが、ただ長命にとどまらず社会に役立つ健康作りを視野において、協会の益々の活動発展を期待して止まない。
