★テレビーザル

 旧ソ連時代のことはわからないが、新生ロシアにおいては、テレビーザル、すなわちテレビは立派な不可欠の娯楽だ。

 こちらのつたない語学力では、あまり良く分からないことが多かったが、テレビゲームの当たる子供向けゲーム番組や現金の当たる大人向けクイズ番組、歌番組などが人気を呼んでいた。日本や欧米の民放と、似たり寄ったりの企画だった。

 ただ、旧ソ連時代からの名残か、軍隊を取り上げた番組もあった。愛国魂を訴えるその種の番組は、日本とは違って結構国民に受け入れられていた。

 強いものへの憧れは、ロシア人に共通しているようだ。歴史上の人物でも、スターリンやイワン雷帝、ピョートル大帝のように、専制君主タイプに人気がある。その圧制下でいかに人民が苦しい思いをしていたとて、対外的に強く、ロシア人の誇りを守ったという点では頼りがいのある人物だからだ。

 さて、テレビに話を戻して、なかには日本のドッキリテレビのようなものもあった。

 モスクワの繁華街で、星条旗のマークが入った宇宙服のアメリカ人がさまよう。

 「アメリカはどっちですか」

 ロシア語で道を尋ねるアメリカの宇宙飛行士というのもお笑いだが、この仕掛け人にひっかかった人の良いバーブシカ(おばあちゃん)が、一生懸命に考え、「あっち」と指差す。どこの国でも優しい良い人はいるものだ。ただ、微笑ましいそのシーンを見ていて、ふと思った。

 人の善意を笑い者にして視聴率を稼ごうという風潮が、ロシアのテレビ界でも浸透しつつあるのだろうか。

       

 ところでNHKの「おしん」は、イスラム圏で大変な人気を呼んだという。苦労に耐えて生きる姿に、自分たちの暮らしを重ね合わせ、その努力が報われる喜びに共感したらしい。でも、ロシアではさっぱりだった。

 逆に、メキシコのドラマで、マリアという貧しい女性がすてきなお金持ちに見初められて玉の輿に乗るというようなドラマが人気を呼んだ。

 辛気くさい苦労話より、ある日突然、救世主のような人に苦難から開放される。そういう夢みたいなお話がロシア人の好みのようだ。果たせぬこの世の夢を、せめてドラマに託したいということだろうか。

 サハリンでは、アンテナとチューナーさえあれば、日本の衛星放送を見る事が出来た。

 うちのオフィスでも受信していたが、阪神大震災の時など、関西出身の日本人駐在員らが「衛星放送を見せて」と駆け込んできたものだ。

 ブラウン管に映し出された惨状に、皆一様に打ちのめされた。「国際電話がつながらないんで、心配なんですよ…」と、こぼしていた姿が今も忘れられない。

 残留日本人、韓国・朝鮮人の家庭でも、衛星放送を見かけたことがある。もっとも外にアンテナを出したままにしておくと盗まれかねないので、黒い袋で覆っていたり、見るときだけ外に出しているケースもあった。

 ある残留韓国人の方の家では、「大相撲を見るのが楽しみなんですよ」と言われた。旧ソ連時代、日本のラジオ放送を聞くことすらはばかれたそうだが、時代が大きく変わったということだろう。

 言葉の壁もあり、日本の自動車ほど、タレントや歌手がロシアで知られているわけではないが、サハリン州と北海道の交流が進み、ロシアの経済的安定が進めば、もっと文化交流の輪が広がるのではないかと期待している。

 ところで、テレビと言えば、ロシアの一般家庭では、テレビの電源コードとコンセントの間に、妙な箱をつないでいる事が多い。これは電圧を一定に保つトランスだった。

 ロシアの電力事情は、経済危機の影響でかなり深刻だ。停電など日常茶飯事だ。

 発電所は、まずしい国民から電気料金を十分吸い取れず、国の補助がないと発電用の石炭を買う事も出来ない。

 石炭鉱山は、石炭代金が入らず、鉱員に給料を払えない。採炭も思うように進まない。鉱員は給料をもらえないため電気代を払えない。発電所は、設備の更新もままならず、不安定な発電状態を繰り返すし、突然停電にもなる。これがテレビの故障を招くのだ。

 サハリンでは、日本製のテレビも出回っていたが、こういう次第でトランスなしでは調子のおかしくなる事も少なくなかった。

 私の知人も、突然の停電の後、うんともすんとも言わなくなったテレビにさんざん悪態をついて、修理業者に持っていった。そのテレビは某日本メーカーのものだったが、生産地は東南アジア。

 メイドインマレーシアのマークを見た知人いわく、「このテレビは東南アジアの企業が、日本のメーカーのブランドを付けたニセモノじゃないかね」。偽物がやたらと多いロシアならではの反応かもしれない。