★責任

 「どっ、どついたろか、このあほんだら。ええかげんにせいよぅ!」

 ユジノサハリンスクの、あるホテルのフロントで罵声が上がった。知り合いの日本人、K氏だった。完全に堪忍袋の緒が切れていた。

 聞けば、彼氏が怒るのもまぁ無理はない。長期滞在を終えて帰国する彼は、1カ月分の宿泊料を払って帰国しようとした。問題は、宿泊日数だった。

 「30泊したのやから、30泊分の料金を払えばええやろう。なんで31泊分も請求するのや?うーん」と、フロントの女性にくってかかるK氏

 「そやけどお客はん、31泊分払うてもらいますぅ」

 フロントの女性も、なかなか引き下がらない。

 「ほならなぁ、おまはんのホテルじゃ1泊2日滞在したら、なんぼになるんや。いうてみぃ」

 「1泊分の料金ですねん」

 「カレンダーを見てみいや。わいは今月、30泊31日滞在したのやから、30泊分の料金やろ。その前の月は、31泊32日だったんやから31泊の料金を払ったんや。領収書をよく見てみんかい。そう書いてあるやろう」

 「それを書いたのはウチとちゃいますう。そやからウチの責任やおまへんでぇ。その領収書を書いた人が悪いわ。ウチはなぁんも悪くないですやろ」

 K氏の怒りはさらにエスカレートした。
 
 フロントのカウンターを激しくたたき、いかにもつかみかからんばかりとなり、さすがに見かねて私が止めた。経理係の女性は、金髪の美人。

 私ならずとも、どちらかと言えば女性に応援したくなる。このままでは「世間」が美女に味方するのは目に見えている。

 K氏が興奮しすぎて暴れたりしたら、その結果帰国できないことにもなりかねない。それもまた大変だ。私としては、結果的に「両方に味方」したつもりだ。

 「不満があるならお客はん、副支配人に言うてください。明日にはでてきますやろ」

 「あほんだらぁああああ!ボケ、カス、スカタン!!!!ワイは今日帰国するんや。おんどれこそ一昨日こいや!」

 こんなやりとりに、周囲もあ然とし、やっぱり恐れていた通り、ホテルのロシア人ガードマンまでやってくる騒ぎとなった。

 どうやら、フロントの女性は足かけ31日だから31泊分の料金だと勘違いしたか、先月の支払いが31泊分だったから今月も31泊分と思いこんだかのどちらかのようだった。

 ただ、さすがにK氏がカレンダーを指さしながら、「1泊、2泊…」と数えているうちに、自分の間違いに気づいたらしい。やれやれ仕方ないという表情をしながらも「今日のところはお客はんのいう通り、30泊分だけでええですよ」と、譲歩した。

 事実上、彼女はK氏の主張を受け入れて精算を完了したが、自らの過失責任は認めなかった。

                        

 ロシアでは一度「ニェット」(だめ)と言われると、どうにもならない事が少なくない。そして今回のように「それは私の責任ではない」という言葉も、何度と無く聞かされた。

 当時函館市長だった木戸浦氏がユジノサハリンスクを訪れた際、「ユジノサハリンスク市長(後に州知事となった、ファルフトジノフ氏)が函館市長と共同で会見を行うことになった」と、ユジノ市役所の広報担当から連絡を受けた。

 この広報担当、自称詩人で、仮にアレクサンドルとしておこう。

 彼は、市の庁舎ではなく、車で30分はかかる郊外のユジノ空港で会見すると伝えてきた。

 「行って帰るだけで1時間だが、次の取材予定には間に合うだろう」

 私は気楽に考え、空港へ向かった。もちろんその時、「サハリン時間」がここでもまかり通って、多少は時間がずれ込むだろうと思ってはいた。

 案の定、約束の時間になっても両市長は現れない。地元マスコミも駆けつけたが、ほかの取材があるといって帰っていった記者もいた。

 アレクサンドルに「どうなっているんだ」と聞けば、「スコーラ(まもなく)」という。ロシアではこの「まもなく」がくせ者だ。

 ロシアの時間感覚は、日本人にはとてつもなく長い。まもなくが半日後とか、まる1日後だったりもする。この時点で「ニィパニマーユ(わからない)」「ニズナーユ(知らない)」などといわれたら、それはもうあきらめた方がよい。

 予定時間を1時間近くも過ぎたころ、両市長は到着した。だが、さらに「ミヌートチクー(もう数分)」という。この「もう数分」というのも、30分や1時間はざらなのだ。

 「セクンドチクウ(もう数秒)」といわれたら、まぁもうすぐだと考えていいだろう。

 ロシア人は、元来おおらかでおおざっぱというか、無政府状態的な気ままさを好むようだ。

 ただし、その反面、厳しい秩序を望む傾向もある。

 二律背反するテーマだが、「ロシア人は急いだだけの成果を見込める時には、実にすばやい。日本人には想像もつかない早さだ。うっかりしていると出し抜かれるんです」と、ロシア通の人はいう。

 ロシア人をなめてはいけない。やるときはやるのだ。

 北方領土が地震と津波に襲われたとき、助手を島へ送る船の確保を州政府の幹部に頼んだら即決で手配して、その日のうちに乗り込めたし、現地の写真撮影を依頼して島へ渡ってくれた色丹在住のゲンナージ・ベレジューク氏は翌日、ヘリでユジノへ戻る人にフィルムを託して届けてくれた。

 そして彼はその後、北海道新聞の通信員に採用されることとなった。

 とはいえ会見を待たされたこの時は、「まぁ、ここは時間がゆっくり流れるサハリンなんやから」と自らをなだめつつ、かなりいらいらしてきた。そうしてさらに2、30分も過ぎたころようやく「会見をする」という段取りになった。

 さぁ、その会見場に招かれて驚いた。なんのことはない。両市の関係者がテーブルを挟んでまさにお別れのパーティーを始めんとしていた。双方の市長が互いに挨拶を交わし、乾杯。

 その後ろに立たされた日ロの取材記者に向かって、杯を手にしながら「さぁ君たち、聞きたいことは何かね」ときた。思えば、両市長が空港到着後も我々が待たされたのは、このパーティーの準備に時間がかかったからだろう。

 こんな記者会見など聞いたことも、見たこともない。パーティーの準備にかける時間があったら、その間に会見を開いて、それからパーティーを開けば良いではないか。

 第一、いわゆる記者懇談の場だというならまだわかる。しかし、これは明らかに性質が違う。パーティーをやるから取材においでと案内されたのでもない。

 少なくとも二つの国の自治体の首長が、公式訪問を終えてその成果を有権者にメディアを通じて発表しようと、記者を招いたのだ。

 記者会見は記者会見だ。日ロ交流の成果を発表して、「あれは酒の席での発言だ」などといわれても困る。
 
 共同発表があるわけでもない。ただ、お別れパーティーの余興のように記者を侍らせて、自分たちはいすに座って乾杯を重ねながら「聞きたいことがあったらどうぞ」だけである。

 新聞記者が特別偉い−とは思わない。たかが記者である。されど記者でもある。

 伝えるべき公共性のあるニュースがあると思うから来たのである。そして今回は少なくとも向こうが「会見をやる」といって呼んだのである。ただのパーティーに何時間もかけて待つほど、暇ではないし、取材価値があるわけでもない。

 新聞記者は読者、すなわち有権者に代わって質問するのだ。それでも記者を特別扱いをしろとは言わない。だが、公式な会見を開く気がないなら初めからそう言えば良いのだ。

 もちろん函館市の関係者に責任があるわけではない。こういう段取りをしたユジノ市側に責任があるのはいうまでもない。

 やはりソ連時代の残滓を引きずっているのが要因と言わざる得ない。共産党独裁政権の時代ならいざ知らず、「あきれたね」とタス通信のロシア人記者もさすがに不機嫌さを隠せずにいた。

 しかし、当の広報担当、アレクサンドルはまったく自分の責任を認めない。

 「話がちゃうやんか。時間はずれているし、こんなんは記者会見とちゃうでぇ。ほかの取材の時間がなくなったやないけ。パーティーなんか準備しているひまがあったら、その間に会見の席を設けたらよかったやろう。もうおまえなんか信用せんわ」

 さすがにカリカリしていた。こんな奴との付き合いはこれっきりになってもよいという覚悟でぶちまけた。

 それに対して彼の答えはまったく責任の自覚がなかった。

 「僕もこんな風になるなんて思ってなかったんや。まったく僕のせいやないよ。僕が会見をセットしたんとちゃうよ」

 まったく何を言ってるのやら。記者会見に呼んでおいて、きちんと仕切れなければ、広報担当など無用だ。

 日本ならこんな広報課長は、記者クラブから袋叩きにされたあげく、身内の上司からも見放されるのがオチだ。

 「いいや、おんどれに全責任があるっちゅうとんねん。成り行きに任せっぱなしやないか。なぁんもせんかったやないか。何をすべきか考えるべき立場にあったんやおんどれは。なんのための広報担当なんや」−というようなことを助手を通じて言ってやった。けんかできるほど、ロシア語の力はないもんで…ハハハ。

                        

 もちろんすべてのロシア人が無責任などというつもりはない。だが、責任の問題を曖昧にしておくと、かえって怖い思いをすることもある。何にせよ、人任せではいけない。常にこちらも確認が必要だと改めて思った。
 
 日本人の場合、潔いことが倫理的であり、美徳でもある。「私の責任です」と謝罪するのは最低限の責任の取り方だ。

 責任の所在をめぐりごたごたしたときなど、場合によっては自分のせいでなくても「罪」をかぶってしまったりもする。

 原因を曖昧に処理することで、双方の関係を維持したり、相手に貸しを与えたつもりで次のチャンスを待つことが得策という考え方もある。内心、納得できない場合でも「長い物にはまかれろ」とあきらめたりもする。それが長く付き合うための日本人の処世術でもある。これは協力し合わなければ生きてこれなかった、農耕民族の歴史が育んできた文化なのかもしれない。

 ではなぜロシアでは「私に責任はない」という言葉をよく聞くのだろうか。

 そこで私なりに推理した。まず基本的に欧米では自分に原因があると認めることは、罪を認めることであり、責任を負うすなわち、賠償にも応ずるということになる。

 特に訴訟社会とまでいわれるアメリカでは、利害関係には慎重になった方がよいという。謝るのは、因果関係がはっきりしてからの方が良さそうだ。

 謝れば許すし、謝れば許してもらえる−というのは、日本人的な感覚ではないだろうか。

 もっとも「謝りゃいいんだろう?」などと開き直る「たこ助」が日本には多いからこそ、「ごめんで済んだら警察はいらない」という「迷言」も日本にはあるが。

 ワシントンが「木の枝を折った」と、父親に正直に告白したら許されたという話は、日本人が好むお話だが、こういうもっともらしい話が語られるのはむしろ、正直に責任を認めない人が欧米に少なくないからではと疑いたくもなる。

 海外で交通事故に遭ったある日本人が、自分の車の方がぶつけられたのに、うっかり相手の金髪女性に挨拶代わりに「エクスキューズミー」と言ってしまった。

 「エクスキューズミーといったのだから、彼の方に責任がある。私には責任がない」

 駆けつけた警官に、その女性は自信満々に語り、結局相手の修理代まで払わされたという、信じられないようなエピソードを聞いたことがある。

 ましてロシアでは、長く続いた社会主義・官僚主義体制が災いして、自らの責任を認めたら最後、身の破滅につながりかねなかった歴史的な背景がある。

 ロシア革命に貢献したブハーリンのような大物ですら、やってもいないスパイ行為、反革命行為を認めてルビヤンカ(旧KGB)で銃殺されたことか。そういう歴史が影響していないだろうか。

 ロシアの工場の責任者は、翌年のノルマを党中央に申告する際、前年度と同じ生産量では能力が無いと思われるから多少上積みするが、さりとて工場の生産能力いっぱいにノルマを設定したりはしない。

 原料が予定通り調達できなかったり、なんらかのトラブルが発生してノルマを達成できなかったときは、責任を問われるからだ。やや低めに数字を示しておけば、少なくとも責任を問われるリスクは減る。仮にノルマ以上の成果が上がれば、もうラッキーということだ。

 それがソ連という官僚主義社会で生き残る道だったのかもしれない。

 しかし、世渡りの狡猾さはあったとしても、ロシア人は誇り高い民族だ。いかに物質的な豊かさで西側先進国に見劣りしていても、卑屈になることはない。「自分たちにはいつか豊かになれる力がある」と、固く信じている。

 「この広い大地の豊かな資源があれば、他の国が最後には助けを求めてくるいつかはロシアの時代、ロシアの天下がくる」

 ここにロシア人の長期的戦略、時間感覚の「雄大さ」が生まれるのではないか。

 ところで、近年、道内の港を訪れたロシアの漁船員たちが、プライドを傷つけられるケースが度々あるという。

 日本人の側に盗みをするのではないか、乱暴をするのではないかという不信感や、ロシア人の風俗・習慣の違いからくる誤解もある。

 確かに中には問題のあるロシア人もいるし、彼らも日本をしらなすぎるが、日本人も彼らをしらなすぎる。悪いロシア人ばかりでもない。責任感の問題とは別に、日本人とロシア人のギャップを埋める何かが必要だ。

 サハリン大陸棚の開発や水産物貿易を通じて、接触が深まれば深まるほど、それが急務となる気がしてならない。