★冬

 赴任からひと月、3月下旬になって、ようやく寒気が緩んできた。東京はもう桜の季節だろうなと、物思いにふけっていたら24、25日とものすごい猛吹雪に見舞われた。地吹雪とでも言うのか、ここはやはりサハリンなのだった。

 25日には、運転手のユーラ君がジェーニヤ君を通じて、「今日は出勤できない」と伝えてきた。

 ジェーニヤ君は「われわれはどうしますか」というので、「遅れてもいいから出ようや」というと、信じられないといった様子ながらも「はいわかりました」。
 「サハリンだもん。雪ぐらいふったって当たり前じゃないか。俺は新聞記者だぞ、少々のことで」

 などとぶつぶつ言いながら、ホテルを出たとたん「これはしまった」と、思った。半端な吹雪ではなかった。歩道は完全に吹きだまりとなって歩けない。みんな車道を歩いている。車は全然来ない。まっすぐ前を向いて歩けないほどの強風だ。

 「サハリンの冬を甘く見ていた。やはり助手の意見は聞くべきだったか」と、ちょっぴり反省。

 それでも歩いている人がいるから「さすがは冬に強いロシア人だ」と、妙に感心する。

 それにしてもこんな日にどこへ行くのだろう。自由市場が開いているとも思えないし、日本企業に働く人がそんなに多いとも思えない。「みんな職場に行くのか」とも思ったが、女性が多いし、時間的には仕事初めの時間はもうすぎている。

 ところどころ吹きだまりで、腰まで雪に埋まった。車道ですら除雪が行き届かないのだから、歩道は全く手つかず状態。日本のように隣近所の人が出てきて雪かきをするというわけでもないようだ。やっとオフィスのあるサヒンセンターまでいつもの倍の時間、30分程歩いてやっとたどり着いた。

 サハリンでは氷点下20度くらい珍しくもない。普段でも、ズボン下なしでは足がぴりぴりする。耳や頬も凍てついて痛くなる。ましてこの日のように風が吹き付けると、体感温度は一段と下がる。

                      

 ジェーニヤ君は「靴の中もジーパンの中も濡れちゃった」と、おかんむり。

 「俺だって濡れているよ。それより見ろ。女の人だってあんなにたくさんこの雪の中を歩いているんだから男の癖に弱音を吐くなよ」

 「だから女は馬鹿なんだ。男はこんな日はうちでウオツカを飲むしかないんだということを、よく知っていますよ。それに彼女たちは仕事ではなくてパンを買いに行くのですよ。きっと」

 ロシアは基本的にレディファーストの国。女性には優しいのだが、どうも本音部分では「女性を可愛いだけの存在」と見たがる一般的傾向があるようだ。

 「でも日本じゃ台風だろうが、吹雪だろうが、みんな働きにでるよ。同じサヒンツェントルの中の日本の商社だって出勤しているだろう」

 「いや日本人は出ていないんですよ。だからロシア人スタッフはウオツカを飲んでいます。田村さん、ウオツカをやりましょうか」

 赴任以来、「なにはともあれウオツカ」という習慣には、私も段々慣らされてきたらしい。確かに取材先はどこも相手が出てきておらず、ここは助手の意見の方に説得力がある。

 酒にまつわる話はロシアでは種が尽きることがないだろう。しかし、ある日本企業の現地事務所では、こんな大変な出来事もあった。

 「なにやってんだ?いったい…」

 ドアを開けた途端、Sさんは仰天した。なんと若いロシア人スタッフが友人を集めて朝の9時から酒盛りを繰り広げていた。テーブルには、シャンパンスコエ(ロシア製スパークリングワイン、当時日本円で600円程度)が何本も開けられ、酒の臭いがぷんぷんとしていた。

 Sさんは怒った。

 「ここをどこだとおもってんだ。朝はまずするべきことがあるだろう」

 「年に1回くらいはいいでしょう」

 「ばかやろう。朝から酒を飲んで良いのは、正月くらいだ。それに誰かお客さんが来たらどうする。うちの事務所が朝から酒盛りをやっているなんて、悪い評判が本社に届いて見ろ。俺もおまえも首だぞ」

 日本と同じやり方で、日本と同じ状態に事務所を運営したいと思っていたSさん。あまりに自分の常識とかけ離れたスタッフに、あきれるやら、情けないやら、やるせなかった。

 しかし、Sさんが驚く言葉はまだ続いた。

 「でも、今日は私の誕生日なんですよ」

 「…いいか、いくら誕生日だからといって朝から事務所で酒を飲むなんてニリィジャー(絶対だめ)だ」

 「はーい、よーくわかりました」

 Sさんは、もうほとんど怒る気力も失い始めていた。

 と、そこへ先ほど追い出したばかりのスタッフの友人がドアを開けて首をつっこむ。

 ぼそぼそと内緒話をしたスタッフは「あの5分だけいいですか」と、赤ら顔で外へ出ていった。しかし、なかなか帰ってこない。どうなってんだと、思ったSさんが廊下にでると、同じビルの中にある日本企業の会議室から騒ぎ声が聞こえるのに気づいた。

                      

 訪ねてみると、なんのことはない。先ほどのスタッフをはじめとする友人ら一同が、そこの会議室で誕生祝いをやり直していた。

 もうSさんの顔は、ひきつっていた。怒りを通り越してしまった。

 やっとの思いで事務所へスタッフを引き戻したところへ、今度は取引先の秘書から電話が入った。

 「あのボス、私の誕生祝いをしてくれるというのですが、お客さんの会社だから顔出した方がいいでしょうね」

 Sさんは、言った。「どこへでも行け。もう帰ってくるな」。

 もちろんこんなケースがどこにでもあるわけではない。

 さて私たちが雪の中を事務所までたどり着いたその日、道新の提携紙、ソビエツキー・サハリン紙のウラジーミル・ソロチャン編集長がやってきた。吹雪は相変わらず続いていたが、情報提供にわざわざ来てくれたのだった。

 仕事も取り敢えずは開店休業状態だった私は、わざわざ雪の中訪ねてきた彼に、こう誘った。

 「寒いですから一緒に(ロシア製の)ブランデーを飲みませんか」

 「いや、まだ印刷工場長と打ち合わせがあるんだ。部下が働いているのに飲む訳には行かない」

 そう言って、ソロチャン編集長は笑いながら吹雪の中を帰って行った。

 ソロチャン氏は「君たちは日本人を見習って働きたまえ。私は君たちがその机の前に何時間座っているかではなく、どんな記事を書くかで給料を決めるんだ」と、日頃から部下に話していた。

 彼はモルダビア系ロシア人と聞いたが、ロシア人にも色々タイプがあるものだと思う。「日本では、新聞広告をどうやって集めるの」とか、新聞経営について非常に研究熱心な人だった。

 いずれにせよ「ワーカーホリック(仕事中毒)」だのなんだのと言われる日本人の勤勉さが認められたことは、ちょっとうれしかった。こんなことを思う私も、多少は仕事人間なのかもしれないが。

 それはさておき、私は会社の求める仕事と、助手の求める「親睦」とを両立させ、足下の明るいうちに再び腰まで埋まる雪をかき分けながらホテルへと帰って行った。

 そして翌朝、目覚めるとホテルの前の道路はすっかり吹き溜まり状態。立ち往生した自動車が何台も雪の中に埋もれていた。それを見つけて私はにんまりとした。

 「やはりまじめに仕事に出たロシア人たちは少なからずいたんだ。だから車が雪で立ち往生…」と、思った瞬間、私は目を見張った。なんと、よく見るとどの車もワイパーはおろか、タイヤまでそっくり盗まれていた。

 「あんな吹雪の中でこんなまねをできるなんて。もしかしてこの町で一番仕事熱心なのは泥棒か…」

 ちょっと悲しいような、感心したような複雑な思いだった。

 ちなみに、こんな小話がある。

 エリツィンの乗った乗用車が、フィンランドからの帰路、道に迷ってしまった。

 運転手は窓を開けて通りかかった人に握手を求め、道を聞こうとした。

 「ここはどこですか?」

 するとあっという間に運転手の腕時計が奪い取られてしまった。

 「あぁやっと帰ってきた。ここはロシアだ」