ロシア名物酸化鉄温泉


 「こんな褐色のお湯が出たのはニセコの昆布温泉だったかなぁ」

 そんな思いにかられたのは、ロシア到着最初の夜、ハバロフスクのインツーリストホテルだった。蛇口をひねるとバスタブに飛び出したのは、酸化鉄温泉そっくりの赤茶けたお湯だった。ちなみに、かつて中国の長春(旧新京)で泊まった長江賓館という迎賓館(金日成も泊まったところだそうだが)も、やはり褐色のお湯だった。

 ただ、インツーリストだけの特別サービス(?)というわけではない。町中のあちこちでなのだ。「遠来の客のため、どこの蛇口からも褐色の温泉が出るように日々努めているのだろうか」と、憎まれ口のひとつも言いたくなるのだ。

 友人のハバロフスク駐在記者のアパートでも、やはり酸化鉄温泉があふれていた。ホテル同様、バスタブは年季の入った良い色合いに染まり、雛びた温泉宿(?)を思わせてくれる。
 この温泉ムードを味わせてくれるためにわざわざ配水管はできるだけ長期間使い、赤みの頃合がちょうど良いよう錆を保ち、鉄分不足にもならぬよう時々錆を湯の中に流し込んでくれているのではと、思うほどだ。

                   

 というのは悪い冗談だが、これも皆、社会主義計画経済がもたらした負の遺産だ。競争のない社会では、必要のない物が割り当てられる反面、必要な時に必要な物を確保できないばかりか、ノルマさえ果たしていれば、粗悪な製品を作っても責任を問われない。顧客の満足度も関係なく、ただ作ったという事実だけが一人歩きする。

 施設については、経営事情やロシア自体のインフラの問題もあるのだから割り引くとしても、顧客の満足度を考えない体質は色々な場面で出てくる。

 ユジノサハリンスクのホテル「L」は、ある日本のガイドブックが紹介記事をかくため部屋数などを聞いたのに対して「企業秘密だ」と答えた逸話がある。
 おそらくとっさに答えられなくてごまかしたのか、水道などが故障していて、使えない部屋が何室あるか答えるに答えられない状況だったのだろう。それにしても、利用者の利便を図るという意識がない。日本ならさしずめとっくにお客に見放されている。「競争のなさ」が、こういう結果招くのではないか。

                   

 ところで、ロシアの「秘密主義」を皮肉ったこんな小話がある。

 イワンはその日、やけ酒を飲んでいた。
 党の幹部に起用されず、ついやけ酒をあおったのだ。
 そして彼はけっして言ってはならないことを言ってしまった。
 「ブレジネフは大馬鹿だ。俺を見る目がないなんて…」
 その言葉が終わるやいなや、近くにいた二人の男がKGBだと名乗って、イワンを逮捕した。
 「なんだ?俺は共産党員だ。国家に背いたことなどないぞ」
 イワンは激しく抵抗した。
 すると、KGBの捜査官はこういった。
 「大人しくしろ。おまえの罪は、国家の秘密を暴露した事だ」

 さて、ユジノサハリンスクの宿舎にしていたホテルでは、幸いにして、出がらしのせん茶程度の色合いのお湯で助かった。ある日突然、大量の錆がどぼどぼと出てきたこともあったが、ハバロフスクに比べれば、恵まれていた。「何かホテルの記念日か何かで、温泉好きの日本人に対する特別サービスなのだろう」と、仲間内で冗談を言える余裕があった。

 地元のアパートで暮らすSさんという日本人が、赤錆の風呂で皮膚炎になったというエピソードがあるだけに、風呂ひとつとはいえ時には深刻なことにもなる。
 ただ、地域暖房サービスの給湯とは違い、滞在していたホテルでは自家給湯体制を採っていたので有り難かった。それでも、いつも熱いお湯がでるとは限らなかった。今日7時に出たとしても、明日は同じ時間とは限らない。日曜の朝など、待てど暮らせどお湯が熱くならないことが何度もあった。

 それでもお湯がでてくれればめっけものだ。地域集中給湯・暖房体制のロシアでは、夏は給湯施設が稼働しておらず、お湯のでないアパートなどザラだからだ。

                  

 カムチャツカで「十月」(もともとは共産党の保養所だったらしい)という名前のホテルに泊まった時、現地は既に寒さが募る9月だった。しかし、まだお湯が出ず、水風呂に震え上がった。それでも私の助手ジェーニャ君は「慣れているから大丈夫」と、水のシャワーを浴びて私を驚かせたものだ。

 そこでお湯の中に電熱線のお化けのようなものを入れて電気でお湯を沸かす器具が人気を呼ぶ。全身に大火傷を負って、札幌医大で治療を受けたコースチャ少年(コンスタンチン・スコロプィシュヌイ)もそういう器具で沸かしたお湯の中に落ちたのが原因だった。

 「まぁせっかくの酸化鉄温泉なのだから、ここは楽しむ方が利口」と、わたしは白い入浴剤を足して、楽しんでいた。アトピー体質の私は、何日も風呂に入らないと湿疹になりやすいので、少々濁っていようが、お湯がぬるかろうが、なるべく入るようにしていた。それに風呂好きの私としては、お湯の中でほっとする時間が楽しくもあった。

 ところで、停電の多いサハリンでは、ロウソクの灯りの中でも入浴した。これをオツだと考えるか、惨めだと考えるかはその人の気持ちの持ちようだろう。ひなびた田舎の電気もない温泉に入っていると思えば、気のせいか心豊かに…なるわけではないが。人間、贅沢を言ってはいけないのだ。ただ、サービスの割に法外な料金を取る点だけは頭に来ていた。


さて、不思議なことにこれほどの「名泉」が出るのに、なぜか水が出ないことがある。

 ユジノサハリンスクの某NHK駐在員のアパートは、お湯は出るが水が出なかった。

 「自宅でトイレを使えない」と、泣いていた。

 また、ハバロフスクのある駐在員宅でもなぜか、水がほとんど出なかった。彼は蛇口から出る一滴ずつの貴重な水を、広口瓶にためていた。

 トイレの水は、一日がかりで一回分くらいはたまってくれるのでなんとかなるという。ある日、そんな事情も知らずにトイレを借りて、貴重な水を一気に流してしまった。申し訳ないことした。今更ながらスマン!。