★夢

 メリリン・モンロウ−。

 ロシアでは、マリリン・モンローのことを、そう呼ぶ。たまたまハバロフスクで、ナターシャさんという若い女優とお話する機会があり、彼女の名前がでてきた。

 聞けば、彼女の憧れだという。

 「私も彼女のようになりたいわ」
 夢見るように語る25歳の女優の一言に、多少ひねくれ親父の俺はどうも素直に「ハイそうですね」とは言えなかった。

 マリリン・モンローは、確かに世界の男に愛された。しかし、何人もの男たちにひどい目に遭わされたり、悲しい思いも繰り返し経験したという。そして俺の知る限り、「セックスシンボル」としてばかり注目されることに、彼女は傷ついていたという。彼女が本当に求めていたのは、華やかなスターの生活ではなかったかもしれない。

 そればかりではなく、恋愛関係にあったといわれるジョン・F・ケネディに絡めたCIAの謀殺説や、マフィアによる暗殺説などもあって、悲劇的な最後を遂げたことが印象深い。

 だからひねくれ親父としては、ロシアの若い女優がモンローの華やかな姿にばかり注目しているのが気に入らなかった。

 「モンローの人生はいいことばかりじゃなかったし、夢ばかり見てないで、足下のロシアの現実を見ることも大切でしょう」と、つい説教までしてしまった。完璧にオヤジ症候群である。

 というのも、ロシアの若者たちを見ていて、歯がゆかったからでもある。みんな現状に不満は持っている。が、だからといって社会を改革していく意欲はすっかり薄れているように思えたからだ。なにかといえば、華やかな生活、贅沢への憧れが口をつく。テレビ番組も「ある日突然、玉の輿」みたいな物語に人気が集中する。イランでNHKの「おしん」が人気を呼んだのとは正反対だ。

 ロシアの暗い世相に嫌気が差していたからこそ、人々は明るい話題を夢見たということもあるだろうけど、どうもロシア人の気質でもあるような気がする。

 まぁ、たまたまそういう若者に出会ったケースが多かっただけかもしれない。今になって、冷静に考えるとそういう気もするのだが、当時はロシアの若者に失望していた。選挙も有効投票率に満たなくて、二度三度と選挙自体が無効になったこともあったし、なんでもっと若者たちがしっかりロシアを作り変えるパワーを見せてくれないんだ−と、不満を感じていたのも要因だと思う。もっとも日本の若者にも、同じような不満を感じているのだが、これってやはりオヤジ症候群。

 そういえば、昨今の日本の成人式もひどいもんだが、俺のときは、野坂昭如に刺激されて、「お上に成人したと認めてもらって喜ぶような優等生にはなりたくねぇ」と、親の期待を裏切って成人式には出席しなかったのだが。

 そんなこんなで、それでついお説教めいたことをいってしまったのだが、ふと「あぁ俺もすっかりおじさんになったなぁ」と、我に返った。

 考えてみると、夢見ることはけっして悪いことではなく、憧れが明日への活力にもなる。若者たちが夢を語れるようになったことのほうが、むしろ明るい材料なのだろう。政治に絶望したら、自分の夢にかけるしかないのでは。そんな風にこのごろは感じる。よくもあしくも政治は争いだ。血を流さない戦争という見方もある。ロシアの歴史に翻弄されてきた若者たちが、政治よりも文化、芸術や豊かな生活のほうに目が向くのはむしろ自然かもしれない。

 混沌としたロシアで、明日の可能性と閉塞感の両方を彼らは感じていたのではないだろうか。今、彼らロシアの若い世代に必要なのは、夢なのだろう。そんな気がしてならない。