★ポコパイチェ(買ってよ)

 にらむような目をしたその女は、ムスリとしたまま小銭を投げてよこした。

 「お前なんぞのために口などきいてやるものか」といった態度がありありとしている。

 「何なんだこの女は…」

 小銭を財布にしまうのが遅れようモノなら、「じゃまだよ」と罵声を浴びせてくる。

 その女は、カッサ(会計係)だった。国営商店の売り場では、「最高の権力者」ともいえるだろう。客など目じゃない。「売ってやる」のだから、それが当たり前なのだ。

          

 経済混乱の続く、日々の暮らしの中で、少しでも安い品物をと、人々は国営商店に足を運ぶ。そして陳列棚の品物の値段を確認すると、カッサに値段を言ってお金を渡す。カッサは、むっつり黙ったまま金を受け取ると、レジスターで売ったレシートに手で切れ目を入れて客に渡す。客はそれを押し頂いて、陳列棚の店員のところへ行き、ようやく品物と交換してもらえる。

 この間、客はカッサに頭を下げ、店員に頭を下げ、「スパシーバ」とまで言う人も見かけた。この国では、物を持っている人間が偉いのだ。

 俺は、「これも経験だ」と考えた。そうして何度か国営商店に足を運んだが、ばからしくなってそれっきりやめた。確かに、パンも野菜も安かったが、偉く気分が悪くなる。

 「冗談じゃないってんだよ」

 白い目で見られた挙げ句、もたもたするななどと言われてだれが買い物などするか。それにしても、なぜ、旧ソ連はこういう不合理なシステムを開発したのだろうか。確かに、この方法なら客に品物を盗まれることはないだろう。料金を取りはぐれることもない。競争もないのだから、客の気を引く必要もない。でもなんでこんなやり方を選んだのか、どうもよくわからない。

 結局、国営商店にはおさらばし、私はもっぱら自由市場や露天の店、キオスクで買い物をしていた。なかでも気に入ったのが、自由市場だ。そこには競争があり、売り手は懸命に商売していた。場所代を払うのだから、売れませんでしたではすまない。

 子供のころ、札幌市の狸小路の近くに住んでいた俺は、市場のにぎやかな雰囲気が好きだ。転勤で暮らした小樽でも、市場は良く通った。猥雑で、喧噪に包まれてはいるが、そこには売り手と買い手のコミュニケーションがある。

 「ポコパイチェ、マラドイチェラビェク(買ってきなよ、若い人)」
 おばさんやら、おじさんやらが一生懸命に売り声をあげている。

 残留韓国・朝鮮人のおばさんも、店を出している。

 時々「あんた日本人かい?」と声をかけられた。

 「よくも私たちを置き去りにしていったね」と、戦後の日本の仕打ちを怒られるかなと思ったら、「これ食べなさい」とキムチをただでもらったこともあった。

                 
 
 「いや売り物をいただくわけにはいきません。お金を払わせてください」と、さすがにこの時は、こちらが頭を下げてお金を払おうとしたのだが、一向に受け取ってくれない。

 あまり善意を無にするのも失礼だと思い、その時はありがたくいただき、その次からはそのおばさんの店で買うように心がけたりもした。

 自由市場では、野菜も果物も豊富で、国営商店などに比べると高いのだが、品物も断然良い。どこにこんなのが眠っているのかと不思議になるくらいだ。
 特に、残留韓国人の二世、三世らが、故国の韓国に渡って仕入れてきたビールやキウイフルーツなどの果物、唐辛子入りインスタントラーメンなどが私のお気に入りだった。

 魚については、オケアンという専門店があったが、ほとんどが冷凍物か缶詰。たまにカニとか鮮魚が入るらしいが、店の従業員にコネがないと、いつ入荷するかもわからず、また、そのために仕事を開けるわけにもいかず、ほとんど買ったことはなかった。

 それでもハバロフスクへ出張したときには、大きな店でタラバガニの缶詰を大量に仕入れたことがあった。日本では、1缶3000円はする代物が、なんとここでは500円だった。これを買わない手はない。

 カニ入りのお粥やサラダ、あれこれに入れて満喫した。カニは、日本レストランでマルゆでしてもらったことが2度ほどあるが、やはり日本よりやや安い物のそれなりの値段にはなる。その点、缶詰ではあるが、胡散臭い冷凍物よりはうまくて安全だ。

 実は、冷凍のカニをもらったこともあったのだが、どうも冷凍と解凍を繰り返したような代物で、鮮度が悪くて食べられなかったことがある。君子危うきに近寄らずだ。

 一方、肉となると、これはすさまじい。

 自由市場の一角には、肉の売場があり、解体された牛だの豚だのがどんと置かれている。口から血を垂らしている牛の生首や、半身が並んでおり、売り手も威勢がいいったらありゃしない。

 「ポコパイチェ」の連発だ。「うちのはうまい。サハリンで一番だ」などと、だれが決めたんだと聞きたくなるようなアピールの熱心さで、隣の売り子と激しく競争している。やはり競争があるということは、良いことだ。ロシア人がなまけものみたいに思っている人もいるが、競争のないソ連社会でノルマさえ果たせば働いても働かなくても給料がもらえるシステムの中では誰だって働かなく。一生懸命働いた分実入りが増えれば、人間はよく働くのは自明の理だろう。

 値段を聞きながら、品定めをしてあるくのも楽しい。もっとも肉の検分は助手のジェーニヤ君に相談することが多かったが。これはというのを決めて、商談が成立すると、ロシア人のおばちゃんがうれしそう顔を見せて、「あんた健康を祈っているよ」とリップサービス。この一言がうれしいのだ。