★通信

 サハリンに駐在している日本人やロシア人には受けても、観光で訪れた日本人にはなかなか受けないアネクドート(小話)がある。どうも小話の背景にあるロシアの事情を理解してもらえないせいらしい。

 この小話もその一つに入る。


 ユジノサハリンスクのホテルで、男は一生懸命受話器に向かって大声を上げていた。
 「もしもし、ネベリスク(本斗)ですか?聴こえますか、もしもし」
 男は、繰り返し大声を上げ、時にはいらいらのあまり、机をたたいてもいるようだった。
 隣の部屋には、日本人が泊まっていた。
 あまりの大騒ぎに驚いたその日本人は、ついに心配になってフロントに電話した。
 「隣の部屋の男が大声を上げて騒いでいるんだが、どうしたんだ。酔っぱらいか」
 フロントの女は、またかという様子で事もなげに言った。
 「何でもありません。彼は、ネベリスクと話をしようとしているだけですわ」
 この答えを聞いて、日本人の男はちょっとほっとした。
 しかし、そのすぐ後で、「だからロシアは困るんだ」とでも言いたげにこういった。
 「事情はわかった。でもうるさいから彼に”電話“で話すように言ってくれ」

                      

 この小話のポイントは、話し声の聞こえにくいロシアの長距離電話の実状を被虐的に笑い飛ばす一方で、ハイテク社会の便利さに慣れきった日本人が、地元の事情もわからずにロシア人を馬鹿にしていることへの皮肉が込められている。

 ロシアでは、一部地域はダイヤル直通で長距離電話もかけられるが、多くは交換手を通して通話することになる。

 地方の電話局へ行くと、個室がいくつかあり、長距離電話を申し込んだ後、しばらく待ち、指示された番号のボックスへ入って通話する。

 ユジノでは、モスクワなどの都市にダイヤル直通で市外局番を回して通話できたが、長距離は電話交換機や回線の事情でなかなか話し声が聞こえにくい。
 ネベリスクも、同じサハリン島内だが、老朽化した回線、電話交換機の影響でやはり大声を上げないと、話が通じにくいこともあった。そこでロシア人の男は、相手に聴こえるよう大声をあげたのだ。

 一方、日本人は、ダイヤル直通で長距離どころか国際電話すら可能なハイテク社会に住んでいる。電話の声が聞こえにくいということなど、めったに経験していない。

 だから電話で大声を出すことなど考えも付かず、「大声を上げているロシア人は、向かいの建物にでもいるネベリスクという人物に大声で話しているのだろう」と思いこみ、「電話という便利な道具を使えよ」と、おごり高ぶった言い方をしたという設定だ。この辺に、日ロ間のギャップが見て取れる。

 電話で困ると言えば、こんなトラブルもあった。

 ホテルの自室でくつろいでいると、いきなり電話が鳴った。
 「誰だろう?」と思い、受話器を取ると知らないロシア人が電話にいきなりでた。しかも、なんか様子が変だ。向こうが「あんたはだれだ。何のようだ」という。しかも、はるか彼方、カムチャツカはペトロパブロフスク・カムチャツキー市の人だった。サハリンでは良くあるいつもの間違い電話とはちょっと違う感じだった。

 「あれ、カムチャツカの協力紙ベスチのイスカンダル・ハキーモフ編集長から取材の誘いの電話でも来たのかな」と、思った。

 しかし、「ハキーモフはよく知っているよ」と逆に言われてしまった。

 どうも変だ。「こちらから電話していないのだけど」というと、「交換手の間違いだな」ということでケリが付き、お互い電話を切った。

 にも関わらず、再びベルが鳴り、先ほどと同じ人物が電話に出た。

 こちらからは電話していないのだが、相手は呼び出されたという。これは奇怪。

 困り果てて、ジェーニヤ君に電話して、調べてもらった。すると、ほどなく事情がすっかりわかった。同じホテルの別の部屋の者が、カムチャツカへ長距離電話を申し込んだのだが、自分の部屋の電話番号を間違えて交換に告げていたため私のところへ2度も電話がかかってきたのだ。ダイヤル直通とはいかない電話事情が、こんな形でも飛び火した形となった。

 これには参った。そうでなくても、あまり込み入ったロシア語はよくわからない。「これはいかん」と、サハリンでもあらためてロシア語の先生を頼むことにした。もっともせいぜい週1回のペースが限界で、結果的にはそう大きな成果は上がらなかったが。

 ところで、日本では学生ですら部屋に電話を引いたり、携帯電話を持っていることが珍しくないが、サハリンでは電話のない家庭も珍しくない。そこで緊急時の連絡には、いまでも電報が活躍するというわけだ。

 さて、国内はともかく国際回線については、いささか事情が違う。

 英国の大手「ケーブル・アンド・ワイヤレス」が1992年、ロシアと提携して誕生した「サハリンテレコム」、さらにフョードル元州知事の発案で1990年に開設された州政府出資のサハリン最大の事務所ビル「サヒン・ツェントル」と米国の「パシフィック・リム・テレコミュニケーション」が合弁で設立した「クリリオン」もサハリンテレコムに半年遅れでサービスを開始した。
 また、国際的なパソコン通信網「エーステレメール」もアクセスポイントを設けており、私のような新聞記者が原稿をファクスやパソコン通信で送ることも既に可能だった。

 しかも、私の帰国するころには、ポケットベルのサービスが始まりそうな段取りになり、急速にサハリンの通信事情は改善されそうな気配だった。

 ただし、問題は前章でも紹介した停電だ。
 パソコン自体は、バッテリーで多少の間は持つが、ファクスはそうは行かない。電話も停電の影響を被る時もある。とてもじゃないが、仕事にならない。
 そこで一時帰国の際に、無停電電源装置を日本から持って帰った。いわばバッテリーのようなもので、電気が途絶えると、蓄えていた電気をパソコンやその他の電気器具に供給してくれる。

 それは良いのだが、ロシア入国の際、「それはなんだ」と訪ねられて、ちょっと返事に困った。無停電電源装置などといういかめしい日本語ですらどうかと思うくらいだ。税関の審査官に下手に説明すると、「ハイテク機器だ」と評価されて課税対象にもなりかねない。

 「エータ バタリー」(これはバッテリーですよ)

 税関のところまで迎えに来てくれていたジェーニヤ君が、助け船を出してくれた。

 それでも審査官の表情は、納得がいかないようだ。確かにデスクトップパソコンの本体くらいの大きさがある。自動車のバッテリーよりはるかに大きいのだ。胡散臭く思われても仕方がない。そこでだめ押しにこう言ってみた。

 「そう、そうだよ。サハリンは停電が多いから必要なんだ」

 この一言でようやく税関側も「そうかそうか」と、思ってくれた。停電とは、実に説得力のある言葉だった。停電の煩わしさは、みんな身にしみているのだろう。