★1.5リットル

 蛇口をひねれば水が出る。日本では当たり前。だが、外国では必ずしもその通りにならない。そして水が出たとしても、そのまま飲めない国がけっこう多いのだ。

 日本だって、東京で勤務していた時、水道の水がまずくてまずくて辟易としたものだ。勢いペットボトルに詰められたナントカ名水にしばしば手をだした。

 でも、名水人気は、日本だけの話ではない。サハリンでも天然の水、わき水に対する人気は高い。やれ元サハリン州知事・フョードロフ氏お墨付きの水だとか、色々とキャッチフレーズが付くほどだ。

 ただ、ここの人たちがわき水を求めるのは、単においしいからではない。安心して飲める水を求めているからだ。日本でも韓国でも、水道水のまずさや目に見えない発ガン物質の存在が指摘されているが、サハリンではもっと目に見えて分かりやすい。鉄錆などを含んで濁っているし、うそか誠か、時には肝炎ビールス、ジフテリア菌、サルモネラ菌を含んでいることもあると、地元紙が報道していた。

 実は駐在当時、サハリンでは食中毒、肝炎、ジフテリアの流行は、ほとんど毎日の天気予報のように報道されていた。

 「コルサコフではジフテリアが下火になりました。一方、ユジノサハリンスクでは肝炎が流行の兆しを見せております」「今月のジフテリア患者数は245人。来月はさらに上回るでしょう」と。

 人々はしかたなく水道の水を使うときは必ず沸かして、そのうわ水(私も沸かして、コーヒードリップでろ過したことがある)を使うようにしていた。

 ただ、気をつけていたのだが、長年の慣習はぬぐい去りがたい。ついまちがえて水道の水を口に含んでしまって、慌てて身近にあった「スコットランドの命の水」、ウイスキーでうがいしたことがある。水道水で歯磨きもできないのだからたまったものではない。まして調理の際、水を使うときはそれなりの注意と、覚悟(あきらめ)が必要だ。

 といっても、沸かした水がすべてOKかというと、そうでもない。なお濁っているし、まずい。老朽化して錆びた水道管が多く、赤水はもちろん、何がふくまれているかわからない。市内の大半の水道管は、戦前の日本時代のものか、取り替えたとしても雨ざらしになっていた水道管だという。

 ついでながらわき水も絶対安全という保証はない。人々が飲んでいるという事実があるだけだ。これもやはり沸かして飲む方がよい。サハリンは、かつてキツネを養殖していた地域でもあり、エキノコックスの心配がないとはいえない。

                       

 そのわき水すら手に入りにくい時は、ホテルの売店のお世話になるが、これが日本製の天然水とかいうやつで、1・5リットル、500円近かった。ほぼ日本の倍の値段だ。

 ちなみに友人のハバロフスク駐在記者Y君は、しばしばロシア名物の断水に悩まされた。ひねれば水がどんどんでるというのは、ここでは常識ではないのだ。しかも、ホテルの中だというのにだ。

 彼は、便器にそそり立つ香り高き山脈に恐れをなして、高価なミネラルウオーターを惜しげもなく注いだと言う。

 「ひと月に4万円もミネラルウオーター代をつぎ込んだ」ことすらあるという。日本に暮らしている人には信じられない出来事だが、これは嘘でも脚色でもない。

 4万円も払うくらいなら、ハバロフスクを流れる大河、アムール川の水をバケツでくんできて流すという手もないわけではない。ロシアで生き抜くには努力と工夫が大事だ。

 だが、私には彼を笑う気になれない。水をくむのに使うポリタンクやバケツがいつでも売っているとは限らない。それに第一、トイレへ行くたびに数百メートルも離れた川へ水くみに行ってられるもんじゃない。

 ところで、Y君にはもうひとつのエピソードがある。ホテルで暮らしていた時の話なのだが、なんと市街地の有名ホテルにもかかわらず、毎晩ネズミに悩まされていた。夜な夜な、ネズ公が暴れ回るのに悩まされ、ついにねずみ取りを仕掛けた。

 すると、ひと月に27匹も捕まえたという。さすがに経済混乱の続くロシアとはいえ「これはひどい」と、地元の新聞にまで載る騒ぎとなった。まったくご苦労さんでした。

 さて、ミネラルウオーターに話を戻すと、ホテルのロビーでよく見かける光景がある。

 フロントへやってきた日本人観光客がペットボトルを手に「ミネラルウオーターある?」と尋ねた。

 日本語で強引に話しかけ、身振り手振りで交渉の末に結局「ニエット」と断られることが少なくない。ロシアに限らず欧米では「ミネラリナヤバダー」(ミネラルウオーター)というのは、炭酸水を指すことが少なくない。いわゆるわき水・地下水一般をさしているわけではないようだ。

                   

 ちなみにフロントのすぐそばの売店には、某社の水が当時一本8500ルーブル(当時のレートで約500円)で売られていた。

 言葉がうまく通じない時は、なまじミネラルウォーターとはいわずに、「バダー」(水)とだけ言えば通じたのかもしれない。そういえば昔、私が訪中した際に北京の免税品店でミネラルウオーターといったら、炭酸水を渡されたことがあった…。

 さてさて、それにしても売店を案内してあげればよいものをと、我々は考えるのだが、フロントの女性はあくまで聞かれたことを答えたにすぎないというだろう。

 日本人客に何か別の物を用意しよう思う気配り、心遣いは彼女にはなかった。それは彼女が自分の仕事ではないと考えているからだ。水ひとつ飲むのも大変である。