★レディファースト

 サハリンに赴任して間もない時、つい切れ掛かったことがある。

 事務所のあるサヒンセンターの正面玄関で、ドアを開けようとして手前に引いた途端だった。

 一歩踏み込もうとした矢先に、中から若い女性がサッと飛び込んできて、つんのめるこちらを尻目に、あれよあれよと思う間もなく外へ出て行っちゃった。

 「なんだあの子は…。こっちが開けたドアに飛び込んできて、何様のつもりだ」。

 カチンときた。しかし、一瞬脳裏に浮かんだのがこの言葉。

 「レディファースト」

 そう、欧米では、ごく常識となっている慣習が、日本では正反対の対応となるケースも少なくない。

 それぞれの国に文化があり、流儀がある。それを忘れてはいけない。

 でも、ロシアでレディファーストが一般化しているとは思っても居なかった。

 こちらのイメージとしては、「男も女もすべて平等」という思い込みがあった。ガイドブックにもそんな事は全然触れてなかった。

 しかし、レディファーストがアメリカやフランスの専売特許のように考えていたこちらが浅はかなのだ。(注:写真の女性は、日本の商社駐在事務所で働く秘書。お招きを受けて、小生がほいほいと顔を出した次第で、文中の内容とは関係ありません)

 「うーん、女性に優しいと言うことは、悪い事じゃないな」

 ちょっと反省。以来、日本男児がロシア人からそしりを受けることのないようにと、私もせいぜいレディファーストに努めた。

 これが慣れてみると、どうって事はない。要は、習慣の問題だ。

 ただ、それが当然という顔してツンと済ませたまま通り過ぎる女性も少なくない。にこっと笑って答える女性もいるが、何人かに1人でも笑顔が見えたら、それで良しと考えることにした。

 どこの馬の骨かわからん外国人に、いちいちニコっとしろと言う方が無理な注文だろう。

 ただ、人間、それが当たり前だと思い始めると感謝の心を忘れる。日本でもそうだが、人と人のつながりというのは、あまりドライになると息苦しい。

 ところで、翻って日本人のマナー、社会的な思いやりの心はどうだろう。

 日本に帰って、「日本人っていやだなぁ」と思うのは、ドアの開け閉めだ。レディファーストはともかくとして、ちょっと考えて欲しいときがある。

 デパートのガラスドアは、強度を保つ必要もあって結構分厚く、そして重い。

 このドアを開けるときにもそれなりに力がいるのだが、大抵の人は開けた後のことは考えていない。

 ぱっと手を離して後は知らんぷりだ。

 うしろから続く人が、お年寄りだったり、子供だったらどうだろう。反動で元へ戻ろうとするドアは結構重く、勢いがある。力の弱い人には大変だ。

 レディファーストというのは、女性蔑視の裏返しみたいな部分も見受けられる。でも、ロシアでは後ろに続く人を気遣っている姿がしばしば見られた。

 日本人も昔はそういう思いやりがあったのだろうけど、どうも近頃はまったく冷たい気がする。

 そしてドアを開けるときのマナー一つをとっても、自分さえ早く入れば良い、出られたら良い−というような身勝手な考え方をせず、ともに生きる地域の仲間として互いに思いやる気持ちが必要では。

 車の運転でもそうだ。我先に強引な運転をするせっかちもの、傲慢な輩が日本には多すぎる。