★アパースナー(危ない)

 アムールの大河に寄り添うハバロフスクのまちは、ポプラの綿毛が飛び交う初夏のたたずまいを見せていた。

 都心部を走る電車は、ゴトゴトと揺れながら駆けていた。車内はけっこう混んでいた。私も吊り革につかまりながら、電車の揺れに身を任せていた。

 その時、突然だった。

 「パジャール!(火事だぁ)」と、叫び声が上がった。

 声の方を振り向くと、窓の外で、車体の下の方から白煙が上がっていた。同時に、きな臭い匂いも立ち込めてきた。

 「おいおい、なんでだよー」

 車内がどよめいた。みんなが叫ぶ。「止めろ!止めるんだ」。

 しかし、電車はなかなか止まらない。私も「ちょっとやばいぞこれは」と、青ざめた。こんな電車の中でパニックになればどうなることやら。

 すると、ようやく電車が止まった。みんなの叫び声で運転手がようやく気付いたらしい。

 運転手は、電車を降りて白煙の上がったあたりを見に行った。しかし、乗客は降ろしてもらえない。

 「どうなっているんだ。ドアを開けろ」

 「助けて」

 乗客たちが次々に叫ぶ。

                  

 やっと、運転手が戻ってきてこういった。

 「もうこの電車は運転できない。みんな降りてくれ」

 まったくもう、どうなっているのか。

 乗客たちも納得できずに運転手をののしっていた。

 そりゃそうだろう。乗客の安全を最優先すべきなのに、乗客を閉じ込めたまま運転手が降りたら、かってに逃げたと思われても仕方がない。

 いったい、運転手は乗客が料金を踏み倒すとでも思ったのだろうか。

 火を噴く電車も恐いが、乗客の安全をおろそかにする運転手はもっと恐い。まぁ運転手にも言い分はあるのだろうが。

 そんな恐い電車を降りて、テクテクと市街を歩いていると、急ブレーキとともにボーンという衝撃音が響いた。

 黒山の人だかりができた。みると、やはり乗用車に男性がはねられたのだ。男性はぐったりとして、アスファルトに横たわり、ぴくりとも動かない。

 見たところ外傷はないようだが意識はない。

 ロシアでは、けっこうみんなスピードを出して走る。

 警官が時折取り締まってはいるが、なかなか安全運転は普及しない。

 助手のジェーニヤ君に言われたのは、「自分の身は自分で守るしかない」ということだ。

 「車は止まってくれる」などと思ってはいけないのだ。

 道路を渡っていても、車はスピードを落としたりはしない。それがロシアだ。
 車の走っているところを渡るほうが悪い−ということになる。

 信号が青でも、危ないときは危ない。逆に信号が赤でも、危ないと思わなければみんな信号を無視したり、斜め横断も平気なのだ。

 それにしても、事故に遭った男性はまだ横たわったままだ。

 だれも助け起こしもしない。都会の冷たさなのか。それにしても救急車はどうなったのだろう。

 ずいぶん時間が経ったがさっぱりこない。これはまずいと、私もなにか手助けしなければ思うのだが、さて救急車を呼ぼうにも、たまたま訪れたハバロフスクの町の地理も、救急の電話番号もわからない。

 「どうしよう」と、思った途端、ようやく警官がやってきた。

 ほっとしたものの、救急車はまだこない。

 気がかりに思いつつ、「警官が来たのだから」と、私もその場を離れたが、「車には最大限気をつけなければ」と覚悟を決めた。