★春闘

 「エリツィン大統領の給料が45万ルーブル(当時10万円相当)。***会社の社長は100万ルーブル。それに比べて君の仕事の内容から言えば、500ドルはそう悪い給料じゃないだろう。しかもドル払いだし」

 ユジノのある日本企業駐在事務所で、ロシア人スタッフからベースアップの要求が出た。

 といっても、駐在日本人スタッフ自身が労組員であり、経営陣の一角にいるわけでも何でもないから妙な立場なのだが、会社側に代わって対応せざる得ない。冒頭のように、大物に引けを取らない額を支給していることをアピールした。

 しかし、スタッフたちも負けてはいない。

 「大統領は家も、食費もいっさい自分で負担していない。***会社の社長は広告主が食品を送り届けている。家も買わずに住んでいる。モスクワッ子の私は、ユジノに親戚もいないし、誰も助けてくれないのですよ」

 「しかし、君にも友人はいるし、第一若い君(24歳)と大統領や新聞社の社長と同じレベルでは評価できない。今の君には十分高い給料だろう」

 「極東には親戚も友達もいない。知り合いと友人は違います。誰も助けてはくれない。いま、町で良い車を乗り回している連中を見ましたか。年寄りは一人もいない。16歳から24歳くらいの男ばかりです。頭の良い奴はそれなりにかせいでいます。日本の○○○商社の秘書が、何もしてなくて、座っているだけで月400ドルももらっているんですよ」

                    

 ロシアでの平均給料は100ドルから200ドル程度といわれていた。

 しかし、サハリン大陸棚の石油天然ガス開発という金の成る木を目前に、外国企業の進出が相次いでいる中で、彼らとしては「日本企業の仕事をしているのだからもっと給料が良くてもいいはず」「給料の高い仕事さえあれば別の会社へいつでも行こう」といったわりきった気持ちがあることは否めない。

さらに旧ソ連時代以来、流通の不備が原因で品不足となり、物価も高くなる極東(モスクワの倍)では、入植者を増やし、労働力を確保する目的から、ロシアの企業はモスクワの2倍の給料を払い、1カ月の夏休みと帰郷費用まで出していた。

 そうした事情もあって、日本人社員並みの待遇に加えロシア企業の伝統的慣習をも日本側に求めてくる。

 企業側としては、当然現地の物価に応じた給与を支払いたいところだ。「日本に比べると物価の安いロシアで、日本人並みの給料を出したら月の半分も仕事に出てこなくなる」と言い切った日本人もいた。

 それは極端としても、ロシアの物価水準から見てそこそこの額に抑えたいのは企業の論理だろう。

 少なくとも日本人並みの給料を支払った上で、1カ月の夏休みをとらせ、帰郷費用まで企業が支払うということは、日本の本社としてはうんと言うはずも無い。

 しかし、都会生活に憧れるのは世界の若者に共通している。人口14万人のユジノで新たな人材、特に日本語を話せる人材を確保するのはそう簡単ではない。

 地元サハリン教育大学に日本語科はあるが、語学力ばかりでなく、社会人としての経験不足も考えると人材養成には一定の時間が必要なのも事実だ。


 「正直、疲れる。特にロシア人相手の交渉は…」。

 その日本人駐在員は疲れた顔で、さらに手強い交渉相手の上司へと国際電話をかけていた。