★伝統と待遇

 ユジノのオフィスでは、代々の上司が、助手と運転手の昼めし代をおごる慣習になっていた。駐在が始まって以来、そういう慣習だ。

 なぜかと言われても困るのだが、そうなのだ。代々通っていたのは、地元のテレビ局、サハリン放送センターの社員食堂。世間相場より安く、それなりにうまくて重宝していた。

 3人で食べて、6千ルーブルから1万ルーブルだ。当時、千ルーブル60円なので360円から6百円だろうか。日本人の経済水準からするととても安い。

 しかし、経済の混乱が影響してか、一般客、つまりサハリンテレビ関係者以外の人が増えすぎたため、部外者が入り込まないように見張りが立つようになった。会社が補助金を出しているから、余分な支出が増えては困るということなのだろう。

 助手たちと私は、サハリンテレビの構内に事務所を持っていたある人を訪ねるついでに寄っていたが、日本語で「最近は暑くなってきたね」などと話ながら歩いていると、警備員もうるさいことを問いただしもしなかった。

 実は、サハリンテレビと取り引きのあった日本の商社はフリーパスで、その商社と協力関係にある某国策会社の駐在員も同局から口頭でフリーパスのお墨付きをもらっていた。

 それならば当方もマスコミ同士のご縁でと、サハリンテレビの幹部に利用させてもらえるよう了解を取り付けた。ただ、文書とかプロプーストク(身分証明)をもらっていたわけではなかったため、時には警備員との間で「身分証明は?」「幹部には許可をもらっているよ」というやりとりは避けられなかった。

 それがある日、警備が徹底的に厳重になってしまった。旧ソ連軍の将校だったのだろうか、昔の勲章をいっぱい付けたおじいさんが警備員として立ちはだかっていた。門をがっちり閉ざして、鍵までかかっていた。

                  

 「許可はもらっている」と、いくら話しをしても聞く耳を持たない。まるで旧ソ連共産党の幹部か、KGBのような頑固さ。「サハリンテレビの幹部に会うのだ」といってもらちが開かない。当然、門は開かない。

 そこへやってきた某国策会社の駐在員氏は「許可をもらっているのに入れないとはどういうことだ。責任をとってもらうぞ。私の食事はどうしてくれる」と、得意のロシア語で迫った。

 しかし、それでも「お達者で」と捨てぜりふを浴びる始末。

 あらためて正式なプロプーストクをもらおうと、サハリンテレビへ行きたくても入るに入れないのでは話しにならず、こちらもばかばかしくなってサハリンテレビへ行くのはそれっきりやめてしまった。

 ちなみに一般のレストランだと、1人1万ルーブルから4万ルーブル。6百円から2千4百円くらいだろうか。

 当時、一般的に給料が遅配がちで、しかも平均的な月給が1万円程度という話を聞いていただけに、やはり外食は、庶民にとっては贅沢なのだろう。それでも時折、夫婦やカップル、仲間同士でテーブルを囲む姿は時折見かけた。

 ロシアのレストランは、音楽が付き物。生バンドが入っていることも珍しくない。それはタンツァバッツア、つまりダンスが欠かせないからだ。

 ちょっとした社交の場、憩いの場としてレストランがあるのは、日本とはだいぶ違う。

 そして、子供連れは意外に少なかった。やはり、レストランは大人の社交場という役割を背負っているようだ。

 ただし、ユジノでは日本食レストラン以外にも、韓国レストラン、国籍不明の中華レストランなどバラエティには富んでいたが、ただ、私が「これはうまい」と思ったロシア料理のレストランは数えるほどしかなかった。

 私の知る限り、サハリンでは家庭料理の方がはるかにうまい。それはまさに団らんをともにするという、極上のスパイスがたっぷり効いていたからだろう。

 ロシア人は、客を歓迎するホスピタリティーについては日本人以上に温かいものを持っている気がする。