★サハリンの闇

 「俺は刑務所を出てきたばかりだ」
 どこかで聞いたような間抜けたセリフ。だが、男の目は笑っていない。
 「俺から金を取るなら、この店に火をつけてやる」
 日本人支配人のMさんは、思わずひるんだ。「これはただの脅しではない。本気だ…」

 サハリン沖石油天然ガス開発プロジェクトの進む中で、サハリンへしばしば訪れるようになった日本人。それを当て込んで開店した日本食レストラン「A」。日ロ合弁によるこの店は当初、日本人の板前が包丁を握り、日本の味覚を提供していた。極東でのビジネス開拓のため駐在していた日本人や一部の裕福なロシア人が常連客となっていた。サハリンを外国人に開放した象徴でもあった。当然、地元では高級レストランといえる。

 しかし、この店も混沌とした世相の荒波に揉まれ続けた。

 Mさんにすごんだのは地元マフィアの幹部。さんざん飲み食いした挙げ句、ロシア人女性ウェイトレスに請求書を突きつけられると、居直ってしまったのだ。

 旧ソ連時代ならいざ知らず、ソ連共産党崩壊後のロシアは、戦後の闇市のような力の支配がまかり通っている。Aでも、入り口に用心棒を雇ってはいたが、相手がただのチンピラならいざ知らず、本物のマフィアとなると、そう簡単に店への出入りを止められるものではない。

 Mさんは恐る恐る言った。
 「お金はもういらない。帰ってくれ」

 一瞬、時間が凍り付いた。Mさんの背中に冷や汗がたっぷりと流れた。従業員たちも、店内の客もが皆、押し黙って男の返事を待った。

 男は、ニヤッと笑うとドアへ向かった。「また来てやるぜ」

 Aの悲劇はこの事件にとどまらない。
 板前のSさんは休日の夜、妻と一緒にユジノサハリンスクのアパートで静かな時を過ごしていた。

 そこへ突然、数人のロシア人が拳銃を手に押し入ってきた。「イポーンスキー、ジェンギ ダバイ」(日本人、金をよこせ)。Sさんの胸に拳銃を押しつけながら、ロシア人たちは部屋中の中をかき回しては現金を探し始めた。Sさんも奥さんも、恐怖で声が出ない。

 賊の男たちは、電話線を切り、階段の要所要所に見張りを立て、他の住人のドアののぞき窓にはガムテープを貼っていた。犯行を目撃されたり、通報されないよう、極めて用意周到に仕組んでいた。

 日本人の板前が良い給料で働いている−どこからかそんな情報が悪党どもの耳に入ってしまったのだ。引き出しにしまっていた30万円余りの金を手にすると、男たちは立ち去った。Sさん夫婦が無事だったのは、不幸中の幸いといえる。

 運良く、ベッドに隠していた100万円には悪党どもも気づかなかった。しかし、Sさん夫妻はこのほかにもトラブル続きだったことに嫌気がさして、ほどなく日本へ引き揚げてしまったという。



 ホールドアップを食らった日本人は、Sさん夫妻ばかりではない。

 商社マンのKさんは仕事を終えてユジノサハリンスク市内のアパートへ帰宅した。異国での仕事に疲れた体をいやすには、ゆっくりと風呂に入ってビールを飲むのが一番。そんな思いを抱きながら階段を上り、自室前にたどり着いたとき、「待ってました」と迎えてくれたのは、拳銃を持ったロシア人の強盗2人組だった。

 「ジェンギ ダバイ」

 Kさんは、その日運悪く、現金を150万円も持っていた。逆らってろくなことにならないのはよくわかっていた。しかし、このときあっさり手渡す気にはとてもなれなかった。なぜなら、強盗に遭うのはこれが2度目だったのだ。

 「ちくしょう。なんで金があることを連中は知っているんだ…」

 現金を持ち歩くのは決して良くないとわかってはいても、事務所に置くのはもっと心配のタネだ。ロシアの金庫破りは、聴診器で音を確かめながらダイヤルを回して鍵を開けるような、職人芸的な仕事はしない。極めて荒っぽいのだ。

 どうやって運べるのかと思うような大型の金庫ですら、まるごと持ち去ってしまう。

 野原で、バールのようなものを使って解体し、中身だけを持ち去る。とても信じられないのだが、「車庫ごと車を盗まれた」という話もあった。Rさんが現金を手元に置きたくなる気持ちは、サハリンに住んだことのある日本人なら「無理からぬことだ」と思う。

 では、「銀行に預けたらどうだ」と言われそうだが、問題はそう簡単ではない。

 ロシアでは民間銀行が雨後の竹の子のようにたくさん登場したが、不安定な銀行が多く、好きなときに必要な額を簡単に引き出せないことも珍しくなかった

 そして当時、エリツィン大統領が発令した大統領令により、ドルで預金しても引き出すときはルーブルでしか下ろせない決まりとなっていた。

 しかも突然、紙幣の変更やらデノミが行われ、旧紙幣が紙屑になる。急いで新券に替えたくても両替の金額に制限があったりした。仕方なく人々はもっぱらドル紙幣をタンスに貯め込む。ドルならば物価に連動して価値を維持できるし、情け容赦ない政府の「魔の手」を免れるからだ。

 「グリーンちゃん」。ロシア人は、ドルのことを、紙幣の色にちなんでそう愛着を込めて呼んでいた。自国のルーブルに、そんな愛称をつける人はいなかった。それがロシアを象徴していた。

 ところで、ロシアで得た利益を日本に持ち帰るには複雑な手続きが必要で、日本から進出した企業はみな苦労していた。そして、体力の弱いロシアの企業はもっと深刻だった。利益の90%近くを搾り取るロシアの各種税金、社会保険料などを逃れるため、所得の実状を補足されるのを恐れて、銀行に口座を設けない企業もある。自らの財産を守るには、国家とマフィアと泥棒の目に触れないようにしなければならない。しかし、その一方で脱税の横行は国家財政の破綻をますます深刻にしていった。