★マフィア

 「あいつはマフィアですよ。レストランを経営していて、市場も仕切っているんです」
 取材で訪ねたある高級ホテル。そのロビーで友人のロシア人記者が、耳打ちした。すれ違った若い男が新興マフィアのボスだという。人相のよくない男が3人一緒に連れ添っていただけに、「やはり…」と、思った。
 
 「なにしに来たんだろう。ここはサハリンで一番“治安の良い”ホテルだと聞いていたけど。入り口に警備員を配置して、胡散臭いのは閉め出していただろう?」

 「もちろんここでは何もしませんよ。サウナに入りに来たんでしょう」
 「ここのサウナは入浴料は、ロシア人の平均月給の3割くらいにはなるぞ。べらぼうに高いんだよ。さすがに金をもっているんだね」

 彼の仕切っている青空市場は、品物が豊かで、国営商店などで売っている商品よりはるかに質がよい。赴任当初は見たことも無かったニュージーランドのキウイフルーツやリンゴまで売りだすようになった。韓国からの輸入ルートを確保したらしく、ロシアの貧困な流通ルートを補い、ユジノ市民にさまざまな韓国の製品をもたらしていた。

 いわゆる自由市場は、市役所に使用料を払えば誰でも営業できることになっている。しかし、消息筋は「実際にはさらにマフィアにも御かじめ料を払わなければならないんだ」という。そのせいか、当時リンゴ1キロが3900ルーブル。日本円で2、300円に達し、サハリンではけっして安い値段では無かった。国営商店では、時折、あちこち傷んだリンゴがその半分以下の値で売られていたが、品物の質は比べようもない。

 もっとも、傷一つあっても売り物にならないという日本のほうが、実は異常かもしれない。

 ロシアの大衆的なウオツカ「ルースカヤ」とほぼ同じ値段で、サハリンでは生産されていないタマネギが1キロ300〜400円、平均月収が1、2万円という地元の人にとってはけっこうな値段だ。

 ところで、米たばこのキャメルが1箱100−150円ほどで売られていた。日本に比べたら異常に安い。当然、裏があるはずだと思った。

 地元のマスコミ関係者はこういう。「どうもアメリカで売れ残って古くなり、味の落ちたものを大量に安く仕入れているらしい。おまけに税関の職員には賄賂を贈って、コンテナごと脱税しているので安くなるのさ」と。にせブランドだという説も聞いた。もちろん真偽のほどはわからない。この種の話は裏付けを取りにくい。

 ただ、ロシアの物価を考えると、彼らにとっては日本人が考えるほど安いわけではないのだが、キャメル、ラッキーストライク、マルボロ、その他多様な米国たばこがあちこちで売られているのは、やはり反映の象徴、アメリカへの憧れもあるのだろう。日本人だって、なぜか高い輸入たばこを好きこのんで吸っているが…。

 サハリンの街頭では、キオスクと呼ばれる小さな小屋の売店が目に付く。ただ、なぜか火事が多く、丸焼けになっている店も珍しくなかった。

 「このごろキオスクの火事が多いみたいだね。火の始末がだらしないのかな」
 「言うことを聞かないから、マフィアに火を付けられたのでしょう」

 つまり、一帯を取り仕切るマフィアに上納金を支払わなかったりすると、キオスクといえど容赦しないというのだ。確かにキオスクばかりが次々に燃えるのは不自然だが、物不足の生活苦から嫉妬心に駆られて放火というケースもありそうだ。

 また、あるレストランの関係者は「うちの店が開店する前に、こんなことがありましたよ」と、うち明けてくれた。

 「サハリンのマフィアの親分たちが会議を開いて、うちをだれの縄張りにするか勝手に決めていたんです。それで縄張りに決まった親分が『俺が仕切るから安心しろ』と挨拶に来まして、驚いちゃいましたよ」

 そのレストランには、さらにこんな話もある。警備のため内務局(警察)に協力を依頼し、ガードマンもやとい、怪しい人物は店に入れないようにしていた。そのうえ日本人客が安心して利用できるように、ホテルまで送るサービスもしていた。

 ところがある日、内務局の刑事の1人が「知り合いのロシア人を入れてやっても良いか」と、許可を求めてきた。支配人は「知り合いならば顔を立ててやろう」と認めてやった。そうしたら、入ってきたのはマフィアの幹部。支配人がぶったまげたのはいうまでもない。警察とマフィアがお仲間だからこそ、店は安全ということなのか。

 あるナイトクラブが、ホステスやウェイトレスを集めるのにとても苦労した。声をかけた女性たちがみな「マフィアが怖い」と、尻込みしたからだ。マフィアは、まずこうした女性たちをターゲットにして店を締め上げる。金を要求するばかりか、肉体を要求するということも珍しくもない。拒めば命さえもが奪われかねない。

 支配人は「大丈夫だ。マフィアには手を出させない。保証する」。そう説得してやっと人手を確保した。その支配人は交渉の末に、マフィアからなんらかの保証を取り付けたのではないだろうか。

 晩秋のある日、市内有数のホテルのナイトクラブ支配人が、非業の最期を遂げた。道産子の貿易関係者らと飲み歩いている最中に、いつの間にか姿が見えなくなっていた。その人は「酔いつぶれてどこかで寝込んでいるか、早めに引き上げたのだろう」と思っていた。

 しかし、翌朝、支配人は刺殺体となって発見された。詳しいいきさつは結局わからなかった。あくまで噂だが、そのホテルは近くにできた新しいホテルとの間で常連客の奪い合いがあったという。その問題にマフィアが介入して、なんらかの理由で支配人が襲われたと聞いた。これも事件は解明されず、真偽のほどはわからなかった。しかし、ありえない話と言えないのがサハリンの夜の世界でもある。そして得てして真実は、噂という形で流れてくる。

 そんな事情だから、まともなホテルやビジネスビルのロビーにはたいてい警備員がいる。日本のガードマンとはちょっと違う。むしろ用心棒のイメージだ。けっしてガラが良いともいえない。「おまえはなんの用だ?」。ロシア人の助手と出入りしていて、そんな言葉にしばしば面食らった。




 さて、極東マフィアにとってシノギ(稼ぎ)として大きなウエイトを占めるのは、やはり自動車だろう。当時、サハリンの街角では、見る車、見る車、ほとんどが日本車=写真=だった。日本では5万円以下でしかない中古車は携帯品扱い。日本側の関税もかからなかった。

 日本ではめまぐるしいモデルチェンジのため見向きもされなくなった車だが、さすがメイドインジャパン。性能の良さは折り紙付き。サハリンで、ひっぱりだこの人気だった。当時はまだ、○×商店などというロゴの入った車もあったりして、漢字のロゴを付けた車が街角を走る光景を見るたびに、まるで日本にいるような錯覚さえ感じた。

 その中でもロシア人に最も人気が高かったのは、RV車。ちょっと郊外へ出ると、すぐ悪路になる。舗装道路の限られているサハリンでは、やはり貴重だった。

 それにしても経済が不安定なのに金持ちはいる。モスクワの街角ならともかく、ユジノでベンツやBMWなどの高級車を見かけたときは、さすがに驚いた。

 この人気商品の売買を黙ってみているほど、ロシアンマフィアは間抜けではない。直接ディーラー業を始めたり、息のかかったディーラーから売り上げを吸い上げるほか、中古車が集積している駐車所の警備を手がけるグループも出てきた。

 なにせ泥棒の多いサハリンだけに、中古車のディーラーといっても日本の中古車展示場とは大違いだ。敷地の周辺に金網を張り巡らし、有刺鉄線まで巻き付けられている。さらに夜間の照明、番犬のシェパード、ガス銃を持った警備員。ほとんど完全武装といっても良い。このガス銃というのは、高圧ガスで弾を発射する護身用の銃と聞いたが、道警によると殺傷能力は十分あるという。

 さて、羽振りの良いマフィアの上前をはねようとしたのがロシア政府だといったら、言い過ぎだろうか。国内自動車産業の保護を名目に、輸入車に高関税をかけた。日本のある商社の駐在事務所が日本からRV車を輸入した時、日本で380万円の車が480万円に化けてしまった。

 それでも最近は、昔のような1台5万円以下で携帯品扱いとなるような車とは違う、もっと良質の中古車が市場をにぎわしている。漁船や貨物船の船員らが買い込んだり、中には船員手帳を金で買ってにわか船員になって仕入れにくるロシア人が後を絶たないのは、船員の場合、輸入関税がかからないからだ。

 ただ、ロシアのディーラーを経ずに独自に日本車を輸入する場合、危険もつきまとう。

 ある日本のマスコミが、日本からRV車を取り寄せたとき、地元サハリンテレビのアドバイスもあって、内務局に協力を求めた。

 コルサコフの港に着き、輸入手続きを済ませてからスリルとサスペンスのドラマは始まった。民警の刑事2人が自動小銃を手に乗り込み、ユジノへさぁ出発。

 「途中が一番危ない。ヒッチハイクが手を挙げても絶対に車を止めるな」

 マフィアはどんな車が陸揚げされたかを全部把握していて、めぼしい車があると強奪してしまうというのだ。白昼、カラシニコフ突撃銃で武装した強盗が、アメリカ人商社マンの事務所を襲撃した事件もサハリンでは起きている。自動車強盗などさもありなんという感じだ。

 そう指示されたそのマスコミの現地スタッフは、ひたすらユジノへと突っ走った。すると、道すがらなんの偶然か、路肩に2人のロシア人が立ち、手を挙げて車を止めようとしていた。ロシアではエンストも珍しくないし、交通事情の悪さからヒッチハイクも珍しくはない。だが、事が起きてからでは遅い。同乗してくれた刑事の指示通り、スタッフはすっ飛ばしてその場を通り過ぎた。君子危うきに近寄らず。これはロシアで生き延びるのためのお約束だ。

 そのスタッフが神経質になるのも無理のない話だった。それまで使っていた車は、協力関係にある地元サハリンテレビの鍵付き車庫に保管していたのだが、ある日、同じ車庫内に保管していたサハリンテレビ4WDの車が盗まれる事件があった。鍵があってもそうなるのでは油断もスキもあったものではない。4WDは、サハリンではベンツに匹敵する価値がある。万全を期すのは当然のことだ。

 実は、この大搬送劇の少し前に、マフィアの幹部が殺されたという事件があった。この種の騒ぎはうやむやになることが多い。しかし、事件後にひとつの噂が飛び交った。

 内務局が日本から取り寄せた4WDの車が、マフィアに略奪された。その腹いせに民警の特殊部隊が幹部を狙撃して殺したのだと。

 にわかには信じがたい話なのだが、サハリンではそんな話が違和感無く耳に入る。いい加減な公式情報より、噂やアネクドート(小話)の方が真実を語っていると信じられていることが少なくない。

 このほかマフィアが手を伸ばしている商売には、不動産業もある。かつてアパートは国が支給してきた。しかし、私有財産や、居住の自由も認められるようになり、ゆとりのある人は新しいアパートや家を求めるようにもなった。そこに市場が生まれた。

 都心部のアパートについて、むごい話を聞いた。

 地元の新聞に載った話だが、ユジノ市内のある老婦人のアパートに突然、窓から手榴弾が投げ込まれた。おばあさんは、片足を失った。

 実は、その人の隣の部屋は、マフィアの息のかかった業者から立ち退きを迫られていた。アパートをほしがる客に高く売るためだ。被害に遭ったおばあさんは、どうも隣の住民と間違えられたのではないかという。犯人は、結局挙がらなかった。

 ここまで派手ではないものの、年寄りをだましてアパートを乗っ取る話は絶えない。新しいアパートと等価交換してやるといって、手数料を取り、かってに不動産登記を自分のものにし、居住者から奪うケースもあった。書類が整っている以上、役所の側もどうにもならないのだという。

 「ひどいじゃないか」と、助手のジェーニャ君に問いかけると、「ここはロシアですよぅ!なんでもありますよ。日本とはちがうんですから」と、あきらめたような答えが帰ってきた。

 ところで、私が駐在していた当時、ユジノ空港に近い郊外に、立派な家がいくつも建造されていた。その新築の豪邸は、たいがいはマフィアかそのおこぼれをもらっている連中、さもなくば新興成金の家がずらりと並んでいると、噂を聞いた。

 このほか、興業や麻薬、賭博など、合法、非合法を問わずさまざまな商売に手を出しているのは間違いない。ただ、かっぱらいや空き巣など荒っぽいシノギはちんぴらの役割だという。強盗もマフィアの本業ではない。そういうマフィアもいるにはいるが、大物とは評価されないようだ。大物たちは政治家はおろか警察、税関にまで浸透し、合法的なビジネスの分野にも力を入れてきている。

 その一つが銀行だ。サハリンでこそ具体的な話は聞かなかったが、モスクワではマフィアの言う通りにならない頭取を殺し、自分の息のかかった頭取にすげ替えるというショッキングな話が飛び交っていた。

 そのほかにもさまざまな分野のマフィアがいるという。日本の商社マンらの話を聞くと、「マフィアにも色々ある」のだそうだ。ビジネスに協力してくれる、いやむしろスムーズな商売のためには欠かせないパートナーさえいるようだ。資材流通や警備、行政との橋渡し、その他いろいろな形で協力してくれるとか。

 ギャングのような連中ばかりでなく、たとえば本の流通を手がけている連中もいる。本に関わらず、日常品を扱う闇屋とでもいうか、配給や整っていない流通機構の隙間を埋めるブローカーが人々の暮らしには欠かせない存在となっている。

 モスクワの日本文学翻訳者、ガリーナ・ドゥトゥキナさんが来日した際、東京のプレスセンタービルでインタビューしたことがある。彼女が著した「モスクワ・ミステリー日記」(新潮社)−ガーリャの日記1992−の中で、本の闇商人についてこんな風に触れていた。

 「相当に食えない男であることは確かだが、真の愛書家であり、注文を受けた本の入手は金儲けの手段を越えて、名誉の問題とみなしている。自由な時間がまるでない私は、モスクワの街角という街角に出現した青空本屋をいちいち物色してもいられないので、引き続きわが闇売人のお世話になっている」

 需要のあるところに、供給は生まれるというわけだ。

 だからこそ「この国を支配しているのはエリツィンではない。それはマフィアだ」というロシア人の指摘が、もっともらしく聞こえる。

  法律は不備で、政権も経済も不安定。警察の力は弱く、捕った者が勝ちという世情では、人々の不満も高まる一方だろう。

 テレビのインタビューなどで、年配のロシア人がよくぼやく。「スターリンの時代はこんなことはなかった」と。閉塞状況の中で、ある日突然、無実の罪で自由はおろか、生きる権利すら奪われかねない時代だったし、誤った経済政策で餓死者が大量に出たこともあったのだが。それでも治安だけはよかったということか。

 「飢えた狼は速く走る」という諺がロシアにはある。戦後の闇市時代のように、欲望の赴くまま力のある者だけがうまい汁を吸えるような社会が続く限り、マフィアは衰えることはなく、その手先となるちんぴらも後を絶たない。そんな社会がはじけたらどうなるか。考えるだけで怖い気がする。