★人の命

 「ズドラスチェ(こんにちは)。今日は広報課長さんいらっしゃいますか?」
 ユジノの中心部にある内務局、いわゆる警察の2階。いつものように広報課へ顔を出して、最近の治安事情を尋ねようとした。

 日本の新聞記者は、任地と離れている地方の警察署や、常駐している警察記者クラブを取材のために離れた時など、警察の広報担当へ電話を入れて事件・事故の発生の有無を確認する。

 しかし、こういうシステムはサハリンではない。朝昼晩と、警察に電話で問い合わせれば「うるさい」と、言われかねない。といって、国内のように日本に関係したり、関心の持たれる警察ネタがしょっちゅうあるわけでもなく、張りついていられるほど暇でもない。だから、時折顔を出しては話を聞く次第だが、地元テレビの報道や協力関係にある地元紙からの情報協力に頼ることもある。

 この日も、一見壁の一部のように偽装されている広報課のドア(なぜか、ロシアの役所は、こういうスパイ小説にでてきそうな、隠し部屋のごときところがある)を開けて、なじみの広報課長を訪ねていった。

 「課長は、先日殺されてしまったのよ」
 少尉の階級を持つ女性の民警が、ぽつりと言った。

 「えっ、どうして?」
 これには驚いた。捜査の一線にいるわけでもなく、恨みを買うようなこともないはずだが、あまりに唐突な死だった。

 あらましはこうだ。
 郊外へドライブに出た広報課長は、道すがら立ち往生している車を見つけて声をかけた。しかし、どんなやりとりがあったのか、何が気に入らなかったのか、車の男は侮辱されたといって、課長をナイフで十数カ所も滅多刺しにしたという。

 捜査中ということで、詳しいことは教えてもらえなかったが、いくらなんでも「侮辱された」だけで殺すなんて、信じられない思いだった。

 「いや、ロシアではそれは十分殺人の動機になるんですよ」

 助手のジェーニヤ君は、珍しいことではないという表情で話す。ロシア人は、名誉や誇りを大事にする。基本的にロシア人は誇り高き民族だ。経済や政治の混乱で、時に自信を無くしているように見えることもあるが、けっして見くびってはいけない。