★虐殺の村

 「みんなが朝鮮人を殺している。行かない方がいいぞ」
 敷香(ポロナイスク)に近い山間の村、上敷香(レオニドボ)。その手前に広い川がある。そこにかかる橋のそばで、1人の日本人が卞徳万さんに話しかけてきた。

 終戦直後の8月18日だった。


 卞さんは、隣町の仕事先から自宅へ帰るところだった。気になって恐る恐る村の様子を見ると、上敷香警察署が燃えていた。慌てて逃げた。1カ月半後、戻ってきたときには跡形もなかった。しかし、隣人でナガヤマと日本名を名乗っていた同胞から、重大な証言を聞いた。

 「警察にみんなが引っ張られていったんだ。日本人たちは最初、署内で俺たちを射殺しようとしたのさ。その後で火を放った。おれはけがをしたが、運良く生き残り、遺体を積み重ねて天窓から逃げたんだ」

 そのナガヤマと名乗っていた人は旧ソ連軍に虐殺の経過を証言後、北朝鮮へ渡ったというが、その後の行方は定かではない。

 この事件は91年8月、韓国・ソウル在住の主婦、金景順さん(68歳)が遺族として東京地裁に賠償請求を提訴したほか、この虐殺事件を追跡調査した林えいだい氏の「証言 樺太朝鮮人虐殺事件」(風媒社)によって詳しく紹介されたこともあって、注目を集めた。

 金さんの訴えによると日本の警察や憲兵が8月17日、「朝鮮人がソ連のスパイをしている」として20人前後の人を上敷香署に連行し、翌18日、同署に火を放ち、虐殺した。金さんは、事件の日、燃える警察署前で父と兄の助命を訴えたが、「お前も殺すぞ」と脅され、遺体を確認できぬまま避難したという。

 94年8月、当時もなおレオニドボに住んでいた卞さんを訪ねた。卞さんは、現地では唯一の残留韓国人1世だった。

 卞さんは、住宅地の外れにある空軍基地のコンクリート塀へと私を案内してくれた。塀沿いの道が二股に分かれている草地の中に、小さな慰霊碑が立っていた。金景順さんが92年9月、虐殺された父親の金慶白さん(当時53歳)、兄の貞大さん(同18歳)をしのんで上敷香署の跡地に建てたものだ。

 卞さんは、「あの時、金さんの父親と同じ目に私も遭っていたかもしれない…」とつぶやいた。そして「私が教育を受けていたら、この事件の本を書くのだが」とも。

 既に事件発生から、半世紀を経て当時の名残をとどめるのは上敷香署の土台の破片だけだった。雨がシトシトと降り続け、なんとも暗い空模様の下で「この事件をこのまま風化させてよいのだろうか」と、やるせない思いにかられた。

 95年7月、金景順さんの訴えは「賠償請求期限の20年を既に過ぎた」として東京地裁に棄却されてしまった。納得できるはずもなく、金景順さん控訴した。

 その5カ月後、金さんは連邦保安局に保管されていた資料から、上敷香事件に関する旧ソ連軍の調査結果などを知ることができた。

 事件に巻き込まれながら助かった申学淳さんの尋問調書によると、8月16日、仲間6人と、金景順さんの父慶白さんの家で酒を飲んでいた時、日本の警察官が来て全員スパイ容疑で上敷香署に連行された。署内にはほかに11人の朝鮮人がいたが翌17日、2人ずつ呼び出されて銃殺が始まり、申さんも胸と足に銃弾を受けたがどさくさに紛れて逃亡、その後同署から火の手が上がった。また、事件から13日後に行われた現場検証では、手錠されたままの3人の遺体が見つかるなど、18人の死体の具体的な状況が書かれていた。

                 

 実は、在任中にこういう資料があるはずだと、保安局の前身の連邦防諜局に何度も求めていたのだが、「ない」という一点張りだった。保安局側が、なんらかの事情で判断を変え、公表に踏み切ったのだろう。

 この事件は、日本の警察に協力していた朝鮮人の密告が発端で、その人物は旧ソ連の軍事裁判で反ソ行為などの罪で懲役刑となり、同署の警察官ら7人もその後、有罪判決を受けていた。

 この事実を、金景順さんは控訴審で訴えた。だが、96年8月、東京高裁は一審同様、請求期限切れを理由に訴えを退けた。金さんは「金が目的ではなく、日本政府は事実を認めてほしかったのだ」と、新証拠について何も言及しなかった判決に強い不信感を示していた。

 終戦直後、サハリン各地で同様の虐殺事件が相次いで起きたという。ユジノサハリンスク市の成点模サハリン韓人問題・民族文化研究会会長(当時)は「強制連行された人々を証拠もなく殺すなどあまりにひどい仕打ちだ」と、訴えていたのが今も耳に残っている。戦争という極限状況では、日本人だけが残虐な行為に走ったわけではないだろう。しかし、日本人がアジアで胸を張って活躍するためにも、平和な時代の今こそこういう歴史に目を背けてはいけないのではないだろうか。

 大げさな歴史観やイデオロギーを語ろうとは思わない。自分の親兄弟が同じ目に遭ったらどう思うか、そこに目を向けたい。もちろん犯人は許せない。ただ、国はともかく日本人全体が共犯者とはいえないとしても、わだかまりは残る。それが自然な感情だろう。それを乗り越えて、日韓の両国民が新しい時代を築くには、日本人が過去をきちんと清算すべきではないだろうか。