★ごろつき

 「タクシーで一緒に帰りましょうよ。送りますから」
 「いやぁけっこうです。すぐ近くですから大丈夫ですよ」

 夜も更けたユジノの郊外。とあるレストランの前で、ある日本人駐在員Nさんは、そう言って知人と別れた。そして1人で、夜道をとぼとぼと歩み始めた。

 Nさんの自宅は、そのレストランからわずか数百メートルの距離。

 「どうってことないよ。すぐ近くだからね」

 確かに日本国内ならどうってことはない。しかし、ここはサハリンだった。

 サハリンに何年も駐在し、事情をよく知るベテランの彼は、警備員付き高級アパートに住居を構えるほど安全管理には慎重だった。元々は市内のホテル暮らしだったが、居室の狭さや調理の不便さからこのアパートへ移った。ふつうのアパートでは、強盗に入られるケースが後を絶たず、安全対策上心もとなくて、わざわざガードマン付きのアパートを選んだのだ。
 用心深いNさんは、いつもはけっして夜道を1人では歩かない。タクシーで送ってもらうか、ロシア人の友人と連れだって歩くなど、必ず2人以上で行動していた。それがサハリンで日本人が身を守る最善の術だった。

 だが、Nさんはその夜、自宅がレストランから間近であることを過大評価した。せっかく友人が送ると言ってくれたのに、申し出を断ってしまった。それが大きな誤算だった。

 ユジノの街角では、街灯の灯る明るいメーンストリートなど数えるほどしかない。Nさんの歩いていた道筋は人通りも少ない、暗い道だった。

 Nさんはテクテクと歩いた。アパートが目と鼻の先に近づいた時、道端から14、5歳の少年が3人飛び出してきた。金が目的なのは明らかだった。彼らは何も言わずにNさんの腕をつかみ、腰に抱きついて道路わきの林の中へ引っ張っていこうとした。

 「かっ金ならやるっ」

 ロシア語が堪能なNさんは、とっさにそう叫んで財布をポケットから出そうとした。だが、少年たちはそんなNさんの言葉を無視するようにさらに林の方へと引き立てようとした。Nさんは暗闇の中で激しくもみ合いながら思った。

 「林へ連れ込まれたらおしまいだ。何をされるかわかったもんじゃない」
 さらに「金ならやる」と繰り返し大声を上げながら、その場に踏みとどまろうともがいた。

 ちょうどその時、1台の車が通りかかった。車のライトが、もみ合っているNさんたちの姿をくっきりとらえた。これが幸いした。少年たちは、慌ててNさんを突き放すと林の中へと走り去っていった。

 Nさん曰く。サハリンでは、ソ連崩壊後、社会の規範を失って青少年の非行が急速に増えているという。そういう「ごろつき」が、もっとも質が悪いそうだ。

 「マフィアは、はした金のために危ない橋は渡らないからね。むしろ、組織にも属さない非行少年たちの方が何をするかわかんないよ」

 Nさんは結局、顔にかすり傷を負った程度で済んだが、サハリンに駐在する邦人の中にはついに命を失う人もでた。

 

 94年7月19日、ユジノ市内中心部、繁華街のすぐ裏に建つ5階建てアパートで惨劇は起きた。

 その最上階の一室で、Qさん(享年54歳)はくつろいでいた。Qさんは道内で水産業を営んでいた。サハリンのカニを北海道へ輸出することに目を向け、93年からユジノに事務所を構えて営業を続けていた。Qさんをよく知るサハリン駐在の友人の話では「息子さんを市内の大学に入学させ、いずれは後を継がせてロシアとの取引を任すつもりだった」。

 ロシア内務局の調べによると、惨劇はこのように行われた。

 朝の8時過ぎ、ドアホンは鳴った。「息子が来た」と思い、ドアを開けたQさんは、3人の賊に押し込まれてしまった。Qさんは普段、用心深くドアにいくつもの鍵をかけていたが、不用意にドアを開けてしまったのが災いした。

 犯人たちは、抵抗するQさんにガス銃を放ち、さらに鈍器で頭などをめった打ちにした。Qさんは脳挫傷を起こし、翌20日の午前6時半(日本時間の午前3時半)、サハリン州立病院で息を引き取った。

 検視所見によると、Qさんの顔は打撲と脳内出血で腫れ上がり、別人のような様相となっていた。肋骨が8本、前歯も軒並み折られていた。

 「殺すつもりはなかった」という自供とは裏腹に、あまりに残虐な犯行ぶりだった。

 犯行のあった現場は、まさにその痕跡を残していた。飛び散った血が赤黒く床を染め、散乱している荷物が犯行時のQさんの抵抗ぶりを物語っていた。早朝に強盗がやってくるとは、誰が想像できたろう。

 変わり果てたQさんの姿を、息子さんが発見したのは犯行から30分ほど後のことだった。奪われたのは100万円余りの現金と、ラジカセ。

 ロシア側の検視を受けたQさんの遺体は21日、空路函館経由で帰郷した。

 Qさんの事務所を訪ねたとき、居合わせた友人らの話では事件の少し前に事務所荒らしの被害に遭っており、現金を別のところに移すと、今度はそっちが襲われるという目に遭っていた。なぜか内部情報が漏れていたようだ。ほどなく逮捕された3人の強盗犯たちは、「Qさんの家に現金300万円があると聞いて、5日前から見張っていた」と、計画的犯行であったことを認めた。

 そしてうそか本当か、「留守かどうか念のためドアホンを押したらドアが開いた」という。
 「殺すつもりはなかった」と殺意を否定していたが、結果はあまりに悲惨だ。

 統計が当てになるような、ならないようなロシアだが、年間の殺人事件は1万件とも2万件ともいわれ、その数は年々増しているという。