★最後の警告

 「いいか、これが最後の警告だ。持っている金を全部出せ」

 追い剥ぎ?強盗?いいえ、これは正真正銘、れっきとした国家公務員様のお言葉。

 サハリンへ渡る直前、中継地のハバロフスク空港に到着した時に最初に迎えてくれたロシア人は、泣く子も黙る国境警備隊の入国審査官。そこはパスポートと、ビザをチェックして、割とすんなり通してもらった。だが、実は外国人にとってけっこうやっかいなのが税関だった。

イラスト ロシア入国時、税関には申告書を出すが、これにはきちんと所持金やビデオカメラ、パソコンなどハイテク製品、高級品の有無を書き込んでおかねばならない。「どうってことないさ」などと甘く考えていると、ロシアではえらい代償を支払う羽目になりかねない。  たとえば出国時に自分の持ち物なのにもかかわらず、ロシアから輸出する品物と見なされ、関税を掛けられる恐れがある。それどころか税関職員の気分次第では、持ち出しできないことにだってなりかねない。

 さらに出入国時を問わず「所持金を全部出してみせろ」といわれることもしょっちゅう。これも「ロシアで利益を得たら、税金を払わないと出国させない」という、税関職員としての愛国心のなせるわざ。国家財政の危機とはすなわち給料の遅配につながるから、みんな必死。だから下手にごまかそうなどとすると、かえってあらぬ疑いをもたれ、もう大変だ。

 彼らは二言目には言った。「コントラバンディースト(密輸業者め)」と。

 初めてロシアに入国した際には、比較的トラブルはなかったのだが(別室に連れて行かれて「所持金を全部出せ」「なんでこんなに大金を持っているのだ」と尋問はされたが…)その後、一時帰国してロシアに再入国する時、きわどいことがあった。

 本当はロシア国外に持ち出すことも、国内に持ち込むことも禁じられているルーブル紙幣が財布に残っていた。前回の出国時に子供に見せてやろうと持ち出して、そのまま財布に残っていたのだった。しかし、正直に申告するまでもないと思っていたら、しっかり見つけられてしまったわけだ。「財布を見せろ」といわれたら、隠しようもない。さぁ、言い訳するのにひと苦労。

 税関職員の目が一瞬厳しくなった。脂汗が流れた。

 「ごめんすっかり忘れてた。財布の中に残っていたんだ…」  照れ笑いしながら説明したら、なお胡散臭そうな表情を見せながらもなんとか許してもらえた。「危ない。危ない」

 ところで所持金が多いときなどは、日本の空港でもらった税関の申告用紙ではなく、ロシア語で書かれた用紙に書き込むよう求められることも少なくない。

 日本製の申告用紙は、日本語と英語が併記されている。英語の苦手な人にも便利なのだが、ロシア語しか書かれていない申告書では深刻だ−などとしゃれを言っているわけにもいかない。

 郷に入っては郷に従え。といえばそれまでだが、初めてロシアを訪れた人がロシア語しか書かれていない用紙を出されても戸惑うのがふつうだろう。「英語などなにするものぞ」というロシア人の気概は立派なのだが、日本人にとってはけっこう面倒だ。もっともたいていの日本人は英語にも往生するのだが。

 銀行の体制が不備な極東では、日本からロシアの銀行を通じて送金が確実に行われるかどうか不安がある。万一倒産したら、「はいそれまでよ」ということにもなりかねない。  いや、「万一」ではなく、「毎日」といってもいいくらい、銀行の経営は不安定だ。ユジノ支局の経費など、ある程度まとまった金額を自ら携えて渡航していたが、その際、毎度のようにロシア側の用紙に書き直しさせられたものだった。

 できればロシア語、せめて英語を話せたら良いのだが、ジャパニーズオンリーでは、出入国の際に苦労をすることもあるだろう。ただ、なまじ話せるよりは全く話せないほうがむしろ良いのかもしれない。日本語の通訳をロシア側が連れてくるか、身振り手振りでも通じないと分かると、案外見て見ぬふりをしてくれるかもしれない。といっても最初から期待はしないほうが良い。

 まぁ多少ロシア語の知識があると便利は便利なのだが、ロシア語がわからなくても覚えておかなければならないなにより大切なことは、その書類に税関の判を押してもらって、出国までなくさずにもっていることだ。繰り返しになるが、出国の際にそれがないとあらぬ疑いをかけられ、所持金やカメラなどを持ち出せないことすら珍しくないのだ。

イラスト また、ロシアに持ち込んだ所持金より持ち出す金が1ドルでも多ければ、脱税や密輸の疑いをかけられてやっかいな目に遭いかねない。税関や国境警備隊の職員は、極めてまじめで、そして怖いということをくれぐれもお忘れなく。

 特に、やっかいな目に遭いやすいのは、ロシアと日本を行ったり来たりする人だ。

 知人のA氏の場合がそうだった。彼は、サハリンで写真店を経営していた。日本とサハリンの間をしばしば往来していたが、その際に持ち金を全部は持ち帰らず、ユジノの事務所に一部を残しておいた。しかし、何度目かの帰国の際、日本の印画紙を仕入れる資金として、まとまった金を日本へ携帯しようとしたのが災いした。

 書類上、直前のロシア入国時に申告したロシアへの外貨持ち込み額を、出国時の所持金ははるかに上回っていた。所持金検査でそれを見とがめた目ざといユジノ税関の係官は、思わず目をつり上げた。

 「コントラバンディースト(密輸犯め)」

 A氏はロシアで商売をして利益を挙げたにもかかわらず、所得税を納めなかったか、密輸で利益をあげたのではと、疑いを持たれたのだった。哀れ、A氏はその場で逮捕され、豚箱へ。何日も取り調べが続いた挙げ句、ようやく放免されたが、問題はなお残った。今なお「ペルソナ・ノン・グラータ」(好ましからざる人物)として、入国を拒否されているという。

 仕事柄パソコンやカメラを毎度持って出入りしていたが、経済が低迷しているロシアでは、国内産業保護のためこうした製品を関税抜きで持ち込まれて売られたのではかなわないという事情がある。

 ある日本の金融業界関係者が、日本へ一時帰国する際、パソコンとプリンターを持ち出そうとした。

 「通関申告書はあるか」  税関職員は当然のように訪ねた。  まずいことに持ち込んだ時に、申告はしていなかった。  「壊れているので、日本で修理してくれと頼まれたんだ」  とっさの思いつきだ。  税関は、「おおそうか」とばかりにうなずいて、それでお終い。

 しかし、エックス線を使ったチェックでも、この税関職員は大きなミスを犯した。したたかな金融マンのパソコンの陰には、持ち出しを制限されているイクラの缶詰がたっぷり仕込まれていた。なんとパソコンが覆いとなって、缶詰がびっしりつまっているにもかかわらず、わからなくなっていたのだ。もっとも今時、イクラの缶詰持ち出しを制限すること事態が時代遅れという気がするのだが。

 一方、彼の後に検査を受けた観光旅行のおばちゃんはバッグを開けられて、たっぷり詰め込んだイクラの缶詰をまるごと没収されてしまった。世の中は不公平なものだ。

 「なんにもお土産にするものがないからイクラでもと思ったのに…」  おばちゃんは切れた。  「いっやぁー持ち出せないなら、売らなきゃいいでしょ…なにさ。失礼しゃうわよね」  言葉の通じぬ相手にたっぷり悪態をついていた。もちろん、周囲の人はだれもそこまでは通訳しない。下手に通訳すると、話がややこしくなるのをみんな知っている。

 しかし、ここが日本なら絶対に引き下がらないおばちゃんも、言葉とロシアの法の壁をうち崩すことはできない。そう、ここはロシア。ニェットと一度言ったら、拝もうが泣こうが、ニェットはニェットなのだ。ロシア人は本来、おおらかな人たちだと思うが、こういう立場の人は大違いの頑固さを見せる。

 なぜ、こうも税関は厳しいのか。その背景には、税金を確実に徴収して少しでも国庫を潤したいからだ。なぜならば、国の財政が混乱しているロシアでは、それぞれの税関が自助努力で国庫収入を増やさなければ、自らの予算もそして賃金すらもままならないからだ。上からのノルマばかりでなく、生活がかかればみんな必死だ。

 話を戻そう。冒頭のセリフは、もちろん税関職員のご発言なのだが、サハリン駐在の任期を終えて帰国する際に浴びた警告だった。

 その時たまたまトレッキングシューズを履いていて、靴ひも止めの金具が運悪く金属探知機にひっかかった。ハイジャック防止のためであるのは言うまでもないが、そこで探知機にひっかかるような金属類だけを提出した。すると、「財布を出さなかった」といって相手が怒りだした。

 「まさか財布の中に爆弾があるわけでもあるまいし」と、甘く考えたのがまずかった。敵さんの目的は、拳銃やナイフばかりじゃなかったのだ。

 それで仕方なく財布を出した。オフィスの運営資金などの残金、数千ドルをもっていたのがにらまれた。



(※写真は、函館空港国際線ロビー)


当時、一般的ロシア人の月収が100ドルという。ロシア人の金銭感覚としては、数千ドルなどという額は桁外れだったからだ。

 「おい何でこんな大金をもっているんだ?」  (いくら持ってようと、あんたの知った事じゃないわい!)  「ほかにもう金はないのか?」と追い打ちがかかる。  (ええい、うるさい奴だな!ほっといてくれ)

 最初は、金属物だけでいいと思っていたが、こうなっては仕方ない。人前で現金をさらすのは不用心な話だが、ポケットの中の物を洗いざらいだした。すると、冒頭の騒ぎになってしまった。

 中国の新聞社の幹部が来道した際に、札幌市内を案内したお礼にといただいた金メッキのお守りも、金貨ではないかと疑われる始末。

 事態は深刻になる一方だった。  まったく弱り目にたたり目だ。あっと思う間もなく、防弾ベストを着込み、銃を持った5、6人の税関Gメンたちに取り囲まれて、「密輸犯らしいぞ」「こんなに大金を持っている」「税関申告書を持ってこい」と、大騒ぎになった。

 「おいおい、待ってくれよ。なんでこうなるの?」

 驚いたのはこっちの方だ。晴れて任務を終えて家族の待つ日本へ帰任しようとする時に「何でこんな事で足止めを食わなければならないんだ」。

 腹が立ってならないが、怒っても始まらないのがロシア。成田空港の警備員にも色々文句を言いたくなるが、なにせこっちは泣く子も黙るロシアの国家公務員。それにロシアでは「自分が優位に立っていると思うとどんな非情なことでもやりますよ」と、助手に何度も忠告アドバイスを受けてきた。ここは様子を見る方が賢い選択だ。

 幸い、申告書には正直に持ち込んだ額を書いてあり、持ち出す額はそれをはるかに下回っていた。なんとか密輸・脱税の疑いは晴れた。だが、例によって1枚1枚の紙幣を人前で数えられるのには参った。強盗でもそばにいて、目を付けられた日にはたまったものではない。

 ロシアの官吏の横暴さは、日本の比ではない…こともないかな。神奈川県警や埼玉県警の数々の不祥事とそれを隠蔽しようとした幹部の有様をみていると、日本も相当なもんだという気がする。

 もっとも、マフィアの横行するロシアで正義を守ろうと職務に忠実な分、余計に厳しくなるのだろう。だが、それにしてもあんまりだ。ただ、別室に引っ張られていって身ぐるみはがされて本格的な取り調べにでもなっていたら、当然帰国は延期。こちらに責任がないとはいえ、前代未聞の恥をさらすはめになったはず。

 幸い疑いは晴れたのだが、ひと言詫びを言ってくれても良さそうなものだ。

 「ごめん」と言わないまでも「ご協力ありがとう」とか、「お達者で」とか、なんとでも言いようがあるはずだが、もう全然しらんぷり。次の獲物に目を光らせるばかり。

 「あのねぇ、あんたらなんかいうことないの」と、日本語でこわごわ言ったら、「フショーナルマーリナ(全部問題ない)」と答えが返ってきた。こっちの話が通じたはずはない。「おまえはもう行ってよい。用はないから早く行け」というわけだ。    ちなみに日本から郵送された品物などを巡っても、税関との熱い攻防が余儀なくされるが、それは別の章でさらに詳しくご紹介したい。これもまた思い出す度、はらわたが煮えくり返るのだが。