★なぜホテルか

 「ホテル暮らしとは豪勢ですね」

 ユジノでは、ホテルを住居にしていたというと、うらやましがられた。確かにアパートなら月に5万円か10万円の家賃で済む。事情を知らない人が驚くのは無理もない。

 しかし、好き好んでホテル暮らしをしていたわけではない。初代駐在記者の時以来、道新の歴代ユジノ駐在記者はあえて例外的にホテル暮らしを続けてきた。それにホテルと言っても日本のホテルのレベルとは、相当に違う。まして生活するとなると、調理場もないホテルではけっこう不便なものだ。トイレ兼バスルームで、ニンジンやジャガイモの皮をむきながら、「なんかへんだなぁ」と、思ったこともある。

 ホテルを選ばざる得なかった最大の問題は治安だ。日本のある放送局は当初、アパートに事務所を構えていたが、空き巣に入られて数百万円もするテレビカメラを奪われたことがあった。さらにアパートに住んでいて強盗の被害に遭った日本人は1人や2人ではない。特に日本人は、金を持っていると思われているので、狙われ易い。強盗、空き巣なんでもありなのだ。

 ユジノサハリンスクの日本食レストランAの板前さんは、ある夜、突然強盗に襲われた。アパートの階段には見張りが立ち、向かいの部屋ののぞき窓にはガムテープ。トカレフを突きつけられ、「イポーニィー、ジェンギ ダバイ」。結局、多額の現金をもって行かれた。警官すら味方に引き込んでいるといわれるこの国では、何を信じていいかわからない。

 モスクワとは違い田舎のサハリンでは、外国人専門の警備の行き届いたアパートはまだほとんどない。

 実は、かつてホテル暮らしだった道新のハバロフスク駐在記者が、その後アパートに移ったケースがある。しかし、アパートはやはり危険だった。

 代替わりして、5代目駐在記者として夫婦で赴任したI君夫妻は、ある日、夜中に空き巣の襲撃を受けた。

 深夜、ドアのチャイムがなった。だが、酔っぱらいのいたずらと思い、放っておいた。酔っぱらいでなければ、強盗の恐れもある。むしろ相手にしない方が無難なのだ。しばらくして、今度は窓際でごそごそと音がし始めた。目を凝らして見ると、窓枠に取り付けた金属製の泥棒よけが何者かに取り外されようとした。

 「このやろう!」。危険を察知したI君は大声で恫喝。泥棒はあわてふためいて逃げていった。幸い、何事もなくこの騒ぎは収まった。ドアのチャイムを鳴らしたのは、おそらく留守かどうかを確かめたのだろう。

 恐るべき強盗や空き巣の常習犯たちは「獲物」が何時に帰るか、いつごろなら狙い易いか、きっちり調べて仕事にかかってくる。それでも盗まれるだけならまだ良い。実際に強盗に襲われて命を奪われた日本人もいた。
 


サハリンでは、内務局に料金を支払うと、警報装置が付けてもらえる。出かける時に警報装置を作動すると、留守中に泥棒がドアをこじ開けたりしたのをキャッチして、内務局が現場へ急行するサービスだ。日本でも警備会社がこういうシステムを導入しており、アラームが鳴ると、警察にも通報してくれる。ただ、多少の誤作動が起きるのは日ロを問わず避けられないようだ。

 私の知人は、ちょっとしたミスで青ざめるハメになった。疲れて帰宅後、つい警報を解除し忘れた。ほどなく、内務局の民警が数人、自動小銃を手にドドドッと駆けつけた。

 突然、ドアが激しくたたかれ、罵声が上がる。

 「おい、手を挙げておとなしくでてこい。抵抗すると撃つぞ」

 民警の警告に、知人は縮み上がった。
 「すいません。ミスです」

 知人はそういったが、いきなりそんなことを言っても信用するほど民警もお人好しではない。たちまち壁に向かって手を突くようにさせられ、足を広げさせられ、身体検査を受けた。それからやっと身分証明の確認。

 「すごい気迫で、ちょっとでも下手な動きをしたらダダダッツとやられそうで、怖かったのなんの…」

 窓ガラスには警報装置。ドアは鉄製のドアを含めて二重ドア。それでも盗難は起きる。実は、ロシアの鍵自体にどうも不安が残る。ある日本人駐在員は、ウラジオストクへ出張するの際、出かけるまぎわにかんぬき錠が内側から開かなくなり、真っ青になった。泥棒に開けられないのは良いが、住んでいる人間が出られないのではお話にならない。とにかくなんでこうなるの?というようなことがここでは起きる。

 さて話を戻そう。宿舎にしていたホテルは長期契約で、6畳くらいの広さの部屋が3つあるタイプをあてがわれた。といっても、そこの部屋に至る前に、前任者、前々任者がドエライ目に遭ってきているのだ。

 特に前任者のK君は、朝方目覚めてびっくりした。ベッドの上やら室内などあちこちが水浸しだったのだ。春先の雪解け水が屋根から天井へとしたたり、すがもり状態となっていたのだ。それで部屋を交換してもらい、私がそれを引き継いだ。

 3室のほかに、バスルームがあり、トイレとバス、洗面台は一緒。残念ながら、調理場はなく、前述のように狭い洗面台の上にまな板を置いてしなければならないというありさまだった。室内自体もロシアの普通のアパートより狭く、とてもホテルの優雅さとは縁遠かった。

 それでも毎日、室内は清掃され、シーツも取り替えてもらえる分、単身赴任の中年の部屋とは大違いかもしれないが。

 私の任期中に安全なアパートの確保やホテルの変更についても検討し、探してみたが、これがなかなか思うようにはいかなかった。相手は世界に名だたるタフネゴシェイターだ。足下を見てふっかけてくるケースも中にはあった。安全のためには金を惜しまない方が良いが、そうは言っても限度はある。

 それに、ホテルならなんでも良いかというと、そうもいかない。私が在任中、東京のあるテレビ局のクルーがサハリンへ取材に訪れた。大河ドラマでおなじみの俳優Oさんをリポーター役に極東各地を紹介する番組のロケだった。

 ユジノサハリンスク駅付近の小さな宿に、クルーは泊まった。夕食のため部屋を空けたわずかな隙に、ビデオカメラは跡形もなくなっていた。真っ青になった一行は、当時ユジノに駐在していた系列局の記者のところへ駆け込んだ。

 「ラストの船中シーンを撮るためカメラを貸して欲しい」と。帰国後、その番組をビデオで見た。サハリンの部分は一切無く、ただ、サハリンから北海道へ向かうフェリーの船中の映像があるのみだった。無理もない。

 極東では水が出ない、お湯が出ない(一部のホテルや、一般のアパートも5月から9月までお湯がでない。そして時には冬でもお湯がでないことがある)といったトラブルも考慮しなければならない。フロ好きの日本人が、お湯なしではとてもやっていけるわけがない。長期間、サハリンで暮らそうと思えば、アパートにせよなんにせよ、この点をよく考慮しないと大変だ。

 その後、駐在日本人が市内のアパートに移るケースが増えて、ホテル側も危機感を持ち、ホテルを改造して調理場のある部屋も用意し、現在は少し待遇を改善されているようだ。

 ところで、サハリンの駐在日本人は、ほとんどが単身赴任。日本の商社は「サハリンは、家族連れで行ってはいけない地域に指定」(三井物産)している。特に子供をサハリンに連れてくるのは難しい問題だ。大学や高校への留学とでもなれば話は多少違うが、日本人学校もなく、ロシア側に日本人を受け入れる体制も整っていない。風俗、文化が異なる小中学生が、予備知識もなしにいきなり放り込まれても大変ではないだろうか。それとも子供は大人よりもっと柔軟に、環境へ対応できるものか。