★日本とのパイプ

 「今出ていった連中が何者かわかりますか」
 ハバロフスクの消息筋とレストランで会食していたとき、そっと耳打ちされた。

 「ロシア人と日本人のようですね。どうもガラが悪そうですが」
 「ロシア人は、地元のマフィアのボスです。そして日本人はヤクザですよ」

 話には聞いていたが、闇の世界の日ロ交流は、水面下で静かに進んでいた。サハリンでも、日本の暴力団関係者を少なからず見かけたが、日本の公安当局、外交筋もその動向には注目していた。少なくともサハリンは、暴力団が単なる旅行に訪れるような観光地でないことは確かだ。

 ロシア側公安関係者が警戒しているのは、覚醒剤や麻薬の密輸、さらにロシア女性をだまして日本へ送り込み、売春させるようなケースなどだった。こういう事件の闇ルートが摘発されたケースはないが、ありえないとも言えない。

 さらにマフィアと暴力団の連携に限らず、日ロ双方にまたがる犯罪の疑惑は、あちこちにその断面をかいま見せている。

 例えば、94年3月に浮上したイラン人の密入国疑惑にも、日本側協力者の存在が注目された。

 コルサコフから日本へ渡ろうとして寸前に逮捕されたイラン人グループは、3500ドルもの送金を東京の銀行から振り込まれていた。送金者はイラン人で、「日本側に密入国を支援する組織があることは確実だ」と、サハリン州の連邦防諜局(旧KGB)筋は強調。日本の警察との捜査協力に強い関心を示していた。

 防諜局は、十月革命後に設立されたチェーカー(反革命・サボタージュ取り締まり全ロシア非常委員会)、国家政治保安部(GPU)、内務人民委員部(NKVD)に続く国家保安委員会(KGB)の流れをくむ。

 内務省が、一般的な犯罪を取り締まる治安組織だったのに対して、KGBは国境警備、対外情報活動、国内保安・防諜、非合法工作などを担当し、アメリカで言えばFBIやCIA、さらに沿岸警備隊などの業務を一手に引き受けたような組織だった。なかでも第一総局のS局はKGB議長の直轄部局で、「濡れた仕事」と呼ばれる要人暗殺など非合法工作をしていたとされる。

 ソ連崩壊後、KGBの第一総局(対外諜報総局)は対外情報局(SVR)として分離独立し、大統領府直属となった。その初代長官は後にロシア首相となったエフゲーニ・プリマコフ氏だ。KGBの他の業務は、保安省(FMB)を経て連邦防諜局(FSK)に改称され、さらに私がサハリンを離れてまもない95年4月、連邦保安局(FSB)に再編された。

 現在は、対外情報局(SVR)、連邦保安局(FSB)、連邦国境警備局(FPS)、連邦警護局(FSO)、連邦通信情報局(FAPSI)、特殊施設局(UOO)に分かれているというが、最近はロシアの政策が目まぐるしく代わるうえに、こちらの勉強不足もあるので、実状はさらに変わっているかもしれない。

 当時、防諜局は、いわゆるスパイにも目を光らせていたが、国境をまたぐ犯罪の続発に国家的危機感を持っていた。特に道警との捜査協力にご執心だったのは、サハリンを経由してイラン人が北海道へ密入国していた問題や、日本の暴力団の絡む密輸などに注目していたからだ。

 イラン人の密入国は94年、サハリンへ赴任してまもなく発覚した事件だ。

 イラン人4人がパスポートを偽造し、コルサコフから北海道へ密入国しようとして、ユジノサハリンスク市防諜局に逮捕された。4人は、サハリン州内の銀行に外貨口座を設けており、東京都内の銀行から3500ドルの送金を受けていた。密入国の目的などは明らかにされなかったが、防諜局によると送金者はイラン人で、「単なる出稼ぎ者ではなく、テロリストとして訓練を受けていた疑いもある」と、明言していた。

 密入国事件の摘発は、その後も続き、ホルムスク(真岡)でもイラン人2人が日本への密入国を図って逮捕されたほか、近年極東各地でこうしたイラン人の摘発が進んでいることも明らかになっていた。

 「アジア太平洋で犯罪は国際化しており、自国のマフィアだけ見ていてもだめだ」
 こうした事態を踏まえて、当時のステパシン連邦防諜局長官(後のロシア首相)はサハリンで会見し、そう言い切った。ただ、道警は防諜局よりも、むしろ警察としての性格が強い州内務局とコンタクトを取る道を選んだ。道警側からミッションが派遣され、ユジノで懇談の機会を設けた。内容については明らかにされていないが、国境をまたぐ犯罪について意見交換を図ったようだ。

 また、95年には海上保安庁も関心を示し、日ロ間の水産物をめぐる密輸や密漁問題の実状を調査するため、サハリンを訪れている。

 しかし、国際犯罪の芽を絶つことは容易ではない。こうした積み重ねがいつの日か実ることを期待したいものの、犯罪は常に巧妙化の一途をたどっている。防諜局の言い分ではないが、日ロ間の本格的な捜査協力が必要な時代を迎えているのではないだろうか。