★突撃潜入取材

 「その時私は、大型冷蔵庫の中に一目散に駆け込んだんだ。でも、逃げ遅れた仲間は…ドアのところで…カラシニコフ突撃銃で撃たれた。銃弾が体を突き抜ける嫌な音が、冷蔵庫の中にまで聞こえたよ。もう生きた心地がしなかった…」

 サハリンに赴任してまもない94年3月8日、北方領土の歯舞群島の一つ、水晶島で事件は起きた。水晶島は、根室の目の前にあるのだが、あろうことかロシア国境警備隊員同士が銃で殺し合いを繰り広げたのだ。日頃のいじめに耐えかねた2人の隊員が、銃を乱射し、6人を殺し、7人も重軽傷を負わせるという悲惨な結末だった。

 冒頭の話は、足を撃たれながら辛くも逃げ延びたニコライ・コーピロフという隊員の証言だ。

 第一報をキャッチした時点では、事件のあらましをつかむのがやっとだった。しかし、生き延びた隊員の証言で、おどろおどろしいまでの実状が浮き彫りとなった。

 悲惨な事件は8日の朝、突然なんの前触れもなく起きた。

 ボグダシンという上級軍曹ら2人が、警備隊長の留守を狙って倉庫を襲撃した。その中から奪った弾帯を、ハリウッド映画の主人公、ランボーのように体にまきつけると突然、カラシニコフ突撃銃を仲間の隊員めがけて乱射した。

 ほとんど抵抗もできないまま、次々に倒れていく隊員。乾いた銃の発射音と悲鳴、放火されて燃え上がる倉庫。さらに偶然近くを通りかかって銃の乱射を受けたヘリコプターまでもが墜落、炎上し、まさに地獄絵図のようなありさまとなった。

 やがて駆けつけた特殊部隊と交戦した後に、反乱兵の2人は逮捕された。その時、ボグダシン上級軍曹は「4人殺してやった」と、笑いながら「戦果」を誇示していた。コーピロフ隊員は「普段はとっても仲が良かった。こんなことをするとは思えなかった」と、犯行の異常さを訴えていた。

 麻薬による幻想が引き金になった−などと、色々な動機説が飛び交った。しかし、原因は意外なことだった。太平洋国境警備隊管区司令部の調査によると、古参警備隊員のいじめが原因という。

 小さな島では、娯楽も乏しく、隊員たちは何年も鬱屈とした心境のまま、顔をつきあわせて暮らさなければならない。心のゆがみがどこかに生じたのだろう。

 古参の警備隊員は、皮のベルトで殴ったり、重たいブーツを履いて体操させたり、テーブルの上をジャンプさせたり、さまざまな嫌がらせをしてそれを満足そうに見ていたという。

 ある陸軍経験者の話だと、両サイドの机に腕を立てて自転車を漕ぐまねをさせるほか、窓の外を行ったり来たり繰り返し行進させて、それをイスに座って室内から見物する。挙げ句には「雨が降ってきた」といってホースで水をかけるようないじめもあるのだという。

 いずれにせよあまりに人の命が粗末にされたおぞましい出来事だった。

 さて、この事件の第一報を知ったのは9日の朝だった。教えてくれたのは、赴任してすぐに親しくなったあるロシア人。彼も詳細は知らなかった。

 「これは大変だ。北海道の目と鼻の先でこんなことが起きるとは…」

 早速、地元の協力紙「ソビエツキー・サハリン」やさらに治安当局筋の情報源など、あらゆるルートにアンテナを伸ばした。なんとか第一報をその日の内に送り終え、さらに続報の発掘に努めた。

 当時のモスクワ駐在記者、Y先輩の情報で負傷者がユジノの国境警備隊の病院に入っていることをキャッチ。その情報を受けて、負傷者との接触を求め奔走した。

 もちろんまともに病院に行っても、面会するどころか中にさえ入れないことは明らかだ。

 やはりロシアは人脈が頼りだ。
 詳しくは明かせないが、一端を紹介しよう。治安当局筋のディープスロート(ウオーターゲート事件を暴いた「大統領の陰謀」でおなじみ内部の情報協力者)氏が、友人のロシア人を病院の中に入れてくれた。さらに負傷者の写真の入手にも協力してくれた。そのおかげで、ようやく詳細は明らかとなり、北海道のすぐそばで起きたこの陰惨な事件を読者に伝えることができたのだった。

 この手は、その後も何度か役だった。ロシア主張領海を侵犯したとの理由で、日本人漁船員が銃撃を受けて負傷し、やはり国境警備隊の病院に入った時にも、ロシア側のマスコミ関係者の協力も得て取材した。通信回線の事情で、不鮮明な写真しか電送できなかったが、病院のベッドで元気な姿を見せる日本人漁船員の写真も紙面に紹介したことがあった。

 間接取材ながら、こうした記事がいままでに出たことはなかった。ロシア側に身内を拘束され、不安を感じている関係者にとって無事な姿をなんとか伝えたい−そんな思いにかられて奔走した。
 その甲斐あって、サハリンを訪れた道東の漁協幹部からは「うちの組合員がどうなっているか気をもんでいたんです。今後ともよろしくお願いします」と感謝された。はるばるサハリンへ来た甲斐があった。