蘭州の街の中を東西に流れる黄河の北側に、標高1,700メートル余りの白塔山がある。13世紀、チンギスハンが建てたと伝えられる白い仏の塔がそびえ、山腹から街が一望できる。

 黄土地帯にある蘭州は、以前は乾燥れんがの建物ばかりで黄色一色のイメージだったそうだが、いまは白っぽい高層ビルが立ち並ぶ近代的な都市に変わった。

 人口170万人、札幌とほぼ同じ規模の都市は、黄河に沿って市街地が形成され、東西が約40キロと長いのに比べ、南北の幅は広くて8キロ、狭い所は300メートルしかない。

 堤防は整備され、植樹したアカシア並木が美しい。堤防に野菜やニワトリを売る朝市が立ち、普段着のおばさん、老人たちでごった返していた。

 中心部の繁華街では、今年3軒目として完成してまもない「亜欧デパート」がにぎわっていた。冷房がきいた店内は家電、洋服、化粧品、何でもそろい、ミニスカートに底の高いサンダル姿の若い女性がかっ歩していて、どこの国にいるのか分からないくらいだ。

 3階の帽子売り場で、暑さしのぎの麦わら帽子を買った。キャップ型のしゃれた帽子は日本円で300円ほど。売り場で書いた伝票を持って「収銀台」というレジに行き、支払証明書をもらい、再び売り場に戻って初めて商品を手にすることができる。「こんな旧態依然としたやり方では、自由経済は前進しない」と言ってみたら、女性店員は「開店当初は売り場でお金のやり取りをしたが、不正があったので…」と答えた。

 蘭州一の有名な故事がある。甘粛人民出版社が編集し、この連載でエッセー「白楊樹」を担当しておられる濱田教授が翻訳、解説している『シルクロードの伝説』にしたがって紹介する。

 いまから2000年前の漢の武帝の時代。名将霍去病(かくきょへい)が匈奴(きょうど)を討つため大軍を率いてこの地に宿営したが、飲み水に困った。兵士も馬も渇きに苦しみ、草をかみ石をなめた。気性烈火のごとき霍去病は「水が出ないわけがない」と叫ぶなり宝剣を抜き、乾いた山肌に突き刺した。清らかな水がわき出した。泉は五カ所にできた。いま、五泉山公園として残る。

 少し蘭州名物の食べ物を紹介しよう。真っ先に挙がるのが白いウリ。「白蘭瓜(パイラングァ)」という美しい名前を持ち、蘭州も「瓜果城」という別称がある。

 おすすめしたいのは牛肉面(ニュウロウミエン)である。読んで字のとおり、牛肉メンのこと。白いメンは細めで、スープ(湯)はあっさり、牛肉が柔らかい。

 これに蘭州人は、青ネギと、赤いトウガラシその他が入った香辛料をたっぷり入れて食べる。うっかり隣の人をまねて同じくらいぶち込んだら、口の中に炎が燃え盛り、むせ返り、涙と鼻水と汗がいっしょに噴き出て大変な思いをした。

 中国各地方の味の違いを表現する言葉に「南淡・北鹹・東酸・西辣(ナンタン・ペイシエン・トンスアン・シーラー)」という成語がある。「南うす味、北塩辛く、東はすっぱく、西辛い」といった意味だ。「西」の辛いのは四川料理を指すが、甘粛省も「西」に属する。あるレストランで注文した羊肉料理があまりに辛すぎて、グラスのビールにしばらく泳がせてから食べたこともある。

 牛肉面の小さな店は街のいたるところにある。出勤する人は家で朝食をとらず、ほとんどがこのメンを食べて勤務先に向かう。雰囲気は日本の立ち食いそばに似ているが、大きな違いは小中学生も群がっていることだ。一杯が日本円で80円から100円くらいだ。  

郊外から市街地の市場に向かう。かわいらしいオート三輪に人とニワトリがひしめいていた

蘭州名物牛肉面。薄切りの肉がうまくて、ラーメン好きの日本人の好みに合う

繁華街を行く若い人たち。サングラスがあふれているが、真夏は気温40度を超える日差しの強い地だから、決して「だて」ではない
白塔山から見た近代都市・蘭州市街と黄河の流れ。「逝く者は斯(か)くの如(ごと)きか。昼夜を舎(や)めず」(孔子『論語』)−2500年まえの言葉がなお生きている