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女性は古来「贈答」の対象だった、と言い切っては乱暴過ぎるだろう。しかし、そうした性格を帯びた縁組が、古今東西無数にあったことは否定できない。 |
墳丘のふもとに昭君と単于がともに馬にまたがった像が立つ。昭君は気品ある美しさをたたえ、単于はその昭君をいたわるように優しい視線を送る。 政略的な縁組ではありながら、二人の間にはぐくまれたであろう愛情を巧みに表現した力作だ。 もちろん、昭君の本物の肖像など残っているはずはない。馬上の二人の姿も想像上の産物だ。ここが本当の墓である可能性もあるが、内モンゴルのほかの場所にも昭君の墓と呼ばれる所があるという。 にもかかわらず、訪れる多くの人々は、昭君ゆかりの地を踏んだ感激に酔いしれる。「秋になって周囲の草は枯れても、この昭君の墓だけはつねに青々としていた」。そんな伝説が、いつのころからか伝えられている。 戦争回避、和睦(わぼく)のために異民族に贈られる「人質」。それが絶世の美女ならば、これほど涙を絞るモチーフはない。昭君のみならず、シルクロードには無数の悲劇のヒロインが登場し、想像力豊かな人々によってあまたの伝説が語られ続けてきた。 もちろん、こうした縁組は、漢族から異民族という一方通行だけではなく、またその逆もあった。 |