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花摘泰克
写真 飛田信彦
北野 清

フフホト郊外にある王昭君の墓。後方の高さ33メートルの小山が墳丘。手前の昭君と単于の像の基部には「和親」の漢字と、「平和な地域」を意味するモンゴル文字が書かれている
 

 女性は古来「贈答」の対象だった、と言い切っては乱暴過ぎるだろう。しかし、そうした性格を帯びた縁組が、古今東西無数にあったことは否定できない。

  約2000年前の中国。当時の漢にとって、北方の異民族・匈奴(きょうど)は大きな脅威だった。その匈奴の王・呼韓邪単于(こかんやぜんう)から「漢の親戚(しんせき)になりたい」との申し入れがあった。匈奴の機嫌をそこねるわけにはいかない。漢の元帝は後宮から王昭君という美女を贈った。昭君は呼韓邪単于の没後はその子の妻ともなった−と史書にある。

 昭君玉鞍(ぎょくあん)を払い
 馬に上って紅頬啼(こうきょうな)く
 今日は漢宮の人
 明朝は胡地(こち)の妾(しょう)
(李白「王昭君」)

  唐の詩人は、異民族の地(胡地)に向かう昭君の心中を思いやってこううたった。

  中国・内モンゴル自治区の区都フフホトの郊外にその王昭君の「墓」がある。内モンゴルを代表する名所の一つとして、ひっきりなしに中国人観光客がやってくる。

 

 墳丘のふもとに昭君と単于がともに馬にまたがった像が立つ。昭君は気品ある美しさをたたえ、単于はその昭君をいたわるように優しい視線を送る。

  政略的な縁組ではありながら、二人の間にはぐくまれたであろう愛情を巧みに表現した力作だ。

  もちろん、昭君の本物の肖像など残っているはずはない。馬上の二人の姿も想像上の産物だ。ここが本当の墓である可能性もあるが、内モンゴルのほかの場所にも昭君の墓と呼ばれる所があるという。

  にもかかわらず、訪れる多くの人々は、昭君ゆかりの地を踏んだ感激に酔いしれる。「秋になって周囲の草は枯れても、この昭君の墓だけはつねに青々としていた」。そんな伝説が、いつのころからか伝えられている。

  戦争回避、和睦(わぼく)のために異民族に贈られる「人質」。それが絶世の美女ならば、これほど涙を絞るモチーフはない。昭君のみならず、シルクロードには無数の悲劇のヒロインが登場し、想像力豊かな人々によってあまたの伝説が語られ続けてきた。

  もちろん、こうした縁組は、漢族から異民族という一方通行だけではなく、またその逆もあった。

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