トプカプ宮殿を一歩出ると、イスタンブールの街は赤一色に染まっていた。いや、より正確にはトルコ全土が赤く染まっていた。

 ビルの壁面、道路上の横断幕、児童生徒の胸のバッジ。すべてが赤い。赤地に白い月と星をあしらったトルコ国旗のモチーフに「75」の数字が大きく踊る。1923年10月29日のトルコ共和国建国からちょうど75周年の記念日を、私たちはイスタンブールで迎えたのだった。

 赤い装飾のなかの随所に眼光鋭い男性の肖像画が目立つ。オスマン・トルコ帝国を倒し、共和国をうち立てた初代大統領ケマル・アタチュルクだ。

 コンスタンチノープル陥落は歴史的大転換点だったが、アタチュルクが成し遂げたのも大革命だった。イスラム教と政治を分離し、太陽暦を採用した。トルコ語の表記をアラビア文字からローマ字に変え、男性のトルコ帽、女性のチャドルを厳しく制限した。宗教のくびきを脱し、「近代」を目指した革命だった。

 75周年を祝うこの赤一色、このアタチュルク一色は、まるで文化大革命時代の毛沢東の中国のようにも見えるのだが、人々の表情には熱気や息苦しさは感じられない。

 国民のほとんどが今もイスラム教を信仰しているというのに、目抜き通りには肌を大きく露出させた女性の大広告がある。その下をスカーフをかぶった年配女性とブレザーの男子高校生がさっそうと行き来する。名物の甘いライス・プディングを出す軽食店は、パリあたりのカフェと変わらぬ洗練されたサービスで外国人観光客を喜ばせる。

 このしっとりとした調和と落ち着きは、なんなのだろう。ここはアジアなのか、ヨーロッパなのか。あるいは、アジアであり、同時にヨーロッパなのだろうか。

 海峡に臨む居酒屋で、焼き魚をつつきながら通訳のエルダル・サファクさん(29)に聞いてみた。「それはアジアですよ。私たちの祖先は東から来たのですから。どちらかと聞かれれば、そう答えますね」と含みのある答えが返ってきた。後日、この国に長く住む日本女性に聞くと「本音ではヨーロッパと言いたい人が多いと思います。とくにインテリは断然ヨーロッパ志向ですよ」と解説してくれた。

 トルコは、“先進国クラブ”とひところ呼ばれた経済協力開発機構(OECD)に加盟している。しかも、北大西洋条約機構(NATO)に加わり、イラクをにらむ米軍に基地の提供までしている。しかし、欧州連合(EU)には加盟していない。加盟は長年の悲願なのだが実現しない。さまざまな対立を続けてきた隣国ギリシャの反対が大きい。そして、トルコ人の多くは「われわれがイスラムだからEUは除外する」と受け止めている。

 たなざらしされるトルコのEU加盟問題は、宗教の違いによる文明の相克の一つの現実をみせつける。

 イスタンブールの街を歩いているうちに、大半の自動車のナンバープレートに小さな青いラベルがついているのが目についた。下部にはトルコを指す「TR」の文字がある。
 欧州各国の自動車を思い出した。EUを示す十二の星の輪の下に、フランスなら「F」、ドイツなら「D」だ。そう、トルコの「TR」の上に星の輪さえつけば、EU加盟国の表示になる。しかし、その可能性は当面ほとんどない。

 二つの大陸にまたがる赤く染まった街を走り回る小さな小さな青が、いじらしく、痛々しかった。

欧州側イスタンブールきっての繁華街イスティクラール通り。胸の谷間をちらつかせる女性の広告とスカーフをかぶった女性の対比が興味深い。建国75周年キャンペーンが広告と見事に共存している

「TR」の文字を書いた青いラベル。EUの星の輪はまだつかない

アヤ・ソフィア博物館はコンスタンチノープル陥落までギリシャ正教の総本山だった。上部ドームのモザイク画はビザンチン時代、手前右のアラビア文字はオスマン・トルコ時代のもの
イスティクラール通りの女子高校生。顔立ちはアジア的でもあり、ヨーロッパ的でもある