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花摘泰克
写真 飛田信彦

学僧たちがうたいあげるコーランの調べが、礼拝堂いっぱいに流れる。寄宿生たちは礼儀正しく、その表情は明るかった
 
 中国の歴史で「胡(こ)」とは異民族のことである。秦・漢の時代には主に北方の匈奴(きょうど)を指し、唐代には広く西アジア、エジプトまで含む西方の諸民族を意味した。

 7世紀に成立した世界帝国・唐の時代、雲のようにわいた詩人たちは好んで「胡人」「胡姫」を詩題に選び、国際都市長安の繁栄や西征の辛苦をうたっている。

  現代中国にあって、回族と呼ばれる少数民族の源流はこうした唐代の胡人の中でも、波斯(ペルシャ)(現在のイラン)や大食(タージ)(アラブ)からやってきたイスラム教徒の人々に求められる。

  さらに彼らは、時代が下った13 〜14世紀、モンゴル族がユーラシア大陸に世界史上類を見ない版図の帝国を築き上げたころ、元朝の中国に大量に流れ込んだ。

  奴隷、兵士、職人、商人、官吏などさまざまな形で、あるいは強制連行され、あるいは自主的に移住した。宗教の自由と永住権を認められ、漢族と婚姻し、しだいに漢化し、故郷も母語も喪失して現在に至っている。

  回族が多く住む甘粛(かんしゅく)省の省都蘭州(らんしゅう)市にイスラム教寺院(中国語では清真寺という)を訪れた。市中心部に位置する寺だったが、外国の報道機関を迎え入れたのは今回私たちが初めてという。
 
  招き入れられた会議室に純白の帽子姿があふれていた。勧められるままにスイカ、モモ、ブドウなど蘭州名物の果物をちょうだいしていると、遅れて入って来た老人がいた。

  周りの人に支えられるようにして斜め左前に座を占めると、じっと私たちに目を向けた。

  「この方は、生まれてから一度も日本人を見たことがないのです。お年なのでふだんは寺に来ないのですが、今日はあなたがたに会うためにやってきた」

  そんな説明があった。顔中に太く深いしわを刻み、深沈としたまなざしを持った人は92歳。入り口の外には、若い寄宿生たちの顔が好奇心を丸出しにしていくつものぞいている。

  1960年代から70年代の文化大革命時代、宗教は批判され、回族は手ひどい迫害を受けた。開放の時代のいま、こうして日本人記者と堂々と交わっている。

  彼らにとってその意味するところは、私たちが考えるよりはるかに重いのだろう。

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