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花摘 泰克
写真 飛田 信彦

標高1,000メートルの高地に、はるか地平が尽きるまで緑が広がるモンゴルの大草原。モンゴル族の家畜は昔から羊、ヤギ、馬、牛、ラクダの五畜。羊は1戸あたり300−400頭が平均的なところ
 
 「エゥアー、エゥアー」

 突然、羊の群れを呼ぶ男の声が鋭く響いた。声は密度の薄い乾いた大気を突き抜けて、すぐに青い空へ吸い込まれていった。柔らかい風がほおをそっとなでて通り過ぎる。金色の光あふれる午後の草原に静けさがふたたび戻る。

 6月のモンゴル高原は、まだその緑の本領を十分には発揮していない。遠景は黄緑色のじゅうたんがなだらかな起伏を広げているものの、足元に目をやると草たけは7、8センチ、まばらで土の色のほうが勝っている。が、7月になれば、青空はいっそう輝き、緑は肌を染めるほどに濃くなるだろう。

 中国・内モンゴル自治区の区都フフホト市では車を2時間も郊外に走らせると、見渡す限りのステップ(乾燥草原)地帯が広がる。

 羊の群れを呼んでいた五十がらみのモンゴル人は、棒の先に園芸用のシャベルのようなものが付いている道具を手にしていた。

 「チャンていうんだ。この先で石をすくってほおり投げ、羊を追い立てる」

 
 試しに実演してもらうと、こぶし大の石が狙いすましてよく飛んで、遠くにいる群れのすぐそばに落ちた。驚いた2、3頭がピクンとはねて駆け出し、つられて全体が動く。クロケット競技のラケットで威嚇砲撃しているようなものだ。牧羊犬は必要ない。

 中国の史書が「水草を逐(お)い、畜に従いて遷(うつ)る」と叙述した遊牧民のモンゴル族は、内モンゴルではいまはほとんどが定住生活を送る。遊牧生活の象徴的存在だったあの移動住宅パオ(モンゴル語ではゲル)も、フフホト付近で見られるものはみんな観光用だ。

 かつてチンギスハーンに率いられたモンゴル族はユーラシア大陸の東のはてから西アジア、東ヨーロッパに至るまで、空前絶後の大帝国を築き上げた。世界を破壊と殺戮(さつりく)で支配した。

 しかし、ペルシャの金糸まばゆい織物技術が中国に伝えられ、またコバルトブルーが鮮やかな染め付けの磁器が西方世界に渡ったいきさつは、ユーラシア大陸を一体にした大モンゴル帝国の成立を抜きにしては語れない。侵略と文化伝播(でんぱ)との関係は、戦争と科学技術の発達との関係に似て、表裏一体のものであった。人類の営みがしばしば見せる二面性と言える。

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