「シルクロード鉄道」の開通は1992年6月20日。中ソ蜜月(みつげつ)期の56年に着工されながら、その後の中ソ対立で中断、工事は85年に再開された。

 中国ではこの鉄道を北疆鉄道と呼ぶ。同鉄道はユーラシア大陸を東西に結ぶ「第二亜欧大陸橋」の一部でもある(第一はシベリア鉄道)。こちらは江蘇省連雲港を起点として新疆、カザフスタンを通り、ロシアを経てオランダ・ロッテルダムまでの全長10,800キロの大動脈だ。

 貨物列車の方は、貨物次第でさまざまな列車が走る。例えば2年前には韓国製自動車部品が同鉄道を使って中央アジアのウズベキスタンまで運ばれた。しかし、旅客列車は短距離が多く、天山山脈に沿って走る定期列車は北疆鉄道だけ。週2往復で昨年、23,000人の旅客を運んだ。

 土曜の夜のウルムチ駅。大きな荷物を抱えた乗客が集まってきた。なぜかロシア語を話す女性が多い。太ったロシア系カザフスタン人の脇をすり抜けてやっと列車に乗り込む。午後11時の発車直後、カザフスタン人たちが今度は次々と中国製ビール、ウオツカ、ジュースの箱を抱えて食堂車から出てきた。とても車内で飲める量ではない。彼女らの買い付けはまだ続いているのだ。

 「関税が安いからです。貨物列車やトラックと比べ、旅客が手持ちすると5分の1で済む」。同じコンパートメントの中国人貿易商の張浩冀さん(34)が説明してくれた。

 乗客にはウイグル族の姿もあった。ウルムチ出身の中国人カハルマンさん(29)は親類と一緒にアルマトイに帰る途中だった。5年前、アルマトイに留学に行ったが、大学をすぐやめて商売の道へ。「お金をためて先進国に留学したい。夢は国家と民族に役立つ人材になること」と威勢がいい。

 2日目の午後6時すぎ、出入国手続きと車輪交換が終わり、列車はやっと国境を離れた。車窓の風景がゴビ灘から草原に変わる。「もともとここは中国の領土だった」と張さん。118年前のイリ条約で当時の清が帝政ロシアに割譲した話をしている。

 3日目の朝、天山山脈の支脈アラタウ山脈を背後にしたカザフスタンの旧首都アルマトイが見えてきた。ウルムチほど高層ビルはなく、静かなたたずまいの町だ。

 市内各地にバザールがあった。中国製品が多いバラホーク・バザールをのぞくと上海出身の下崗(シアカン=一時帰休)労働者に出会った。浙江省製造の靴とシャツを売っていた徐陳福さん(45)。「今年初めに弟のいるアルマトイに来たばかり。でも最近、ここも景気が悪くて」と顔をしかめた。ロシア金融危機の影響がカザフにも及び、昨年下半期から消費者の財布のひもが固くなったという。

 アルマトイで知り合った公務員ニーナさん(36)は中国とロシアのハーフ。「中国も高成長しているけれど、生活水準はまだカザフに及ばない」と話す。しかし中国の物価は安い。カザフの生活費は中国の倍以上。中国製の安い衣料品や日用雑貨が売れる理由がここにあるようだ。

 アルマトイのバザールは中央アジアにおける中国製品の流通拠点にもなっていた。ウズベキスタン、キルギスなど中央アジア諸国やロシア・ノボシビルスクからの商人が買い付けに来ていた。

 「交通手段がラクダから鉄道やトラックに変わっても、中国伝統のシルクロード交易は続いているんです」。徐さんは誇らしげにそう言った。

中国のウルムチを出た列車は、国境に着くと車台が交換される。カザフスタンの線路幅は中国の鉄道より広いためだ

シルクロード鉄道のコンパートメント。中国ウルムチ出身のウイグル族らがお茶を飲みながら歓談していた

アルマトイの広場では観光用のラクダが子供たちの人気を集めていた。カザフスタンの人々はウイグル、キルギスなどとともにトルコ系の言語を話す
シルクロード鉄道の終着はカザフスタンのアルマトイ。市場では厳寒のなかで中国製の安い衣料品などを売る店が並ぶ。担ぎ屋たちが運んできたものだ