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嶋田  健
写真 北野  清

中国歴史博物館に展示されている金縷玉衣。全長は182センチもあり、その威風はあたりを払う。
28日から札幌・道立近代美術館で開かれる「シルクロードの煌めき-中国・美の至宝」展にやってくる
 
 「玉に瑕(きず)」「玉石混淆(ぎょくせきこんこう)」「完璧(かんぺき)を期す」。どれも日常会話で頻繁に使われる故事成語だ。年配の人であれば「玉音(ぎょくおん)放送」を忘れることもできまい。いずれの言葉も、中国で産出される鉱物「玉(ぎょく)」に由来する。硬玉、軟玉があり、翡翠(ひすい)は硬玉だが、中国で一般的な玉は軟玉をさす。

 では、美しく高貴なものの象徴とされる玉の原石、あるいは加工品を実際に手にしたこと、目にしたことのある人はどれほどいるだろう。極めて少ないのではないか。玉は日本人にとってたいへん近しく、同時に遠い不思議な物質である。

 中国の首都北京の中心に天安門広場がある。そのすぐ東に新中国の十大建築の一つである中国歴史博物館がそびえ立つ。この巨大な建物の一階、約2000年前の漢代の文物を並べる一角に「金縷玉衣(きんるぎょくい)」が展示されている。

 その名の通り、玉で作られた衣だが、一般人が着たものではない。皇帝、あるいは皇帝がとくに認めた高位の貴族の遺体が墓のなかでまとう死に装束である。歴史博物館のこの玉衣は河北省定(てい)県の王族の墓から出土した。本物の遺体を収めたのだからかなり大きい。一辺が数センチの玉片約1,200枚で構成されている。

 
 遠目には武骨だ。金属製の甲胄(かっちゅう)のように見える。しかし、近づいて凝視すると、玉片の表面は金属とは異なるしっとりとした輝きを放ち、内側からは青とも黄ともつかぬ深みのある柔らかな色調が浮かび上がる。

 玉片は金(きん)の糸、つまり金縷(きんる)によって縫い合わされている。主役はあくまでも玉、そして至高の素材であるはずの金(きん)が従(じゅう)であるところに驚かざるを得ない。

 中国では紀元前数千年の昔から、玉は霊的な力をもつ物質として人々の強いあこがれの対象となってきた。永遠の生を保つべく遺体を包んだ金縷玉衣は、中華民族の玉崇拝の極致といえるだろう。

 玉はどこで産出されるのか。そう聞けば、中国の人々は異口同音に「ホータン」と答える。ほかの地でも多少とれるのだが、玉とホータンとは同義語と言っていいほど直結する。

 新疆(しんきょう)ウイグル自治区ホータン。漢字では「和田」と書く。シルクロードのなかでも屈指のにぎわいを見せた西域南道を代表するオアシスである。

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