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嶋田  健
写真 栗本 充則

小型三輪タクシーをバスが追い抜く。運転手はどこから前を見るのかと思うほど運転席の周囲を飾り立てている。すべてのバス、トラックがこの調子だ。すぐ西に戦乱のアフガニスタンが控えるという現実が、まちのけん騒を一層けたたましく感じさせる
 
 パキスタンの首都イスラマバードでチャーターしたタクシーは、西北辺境州のペシャワルを目指してひたすら前の車を追い越し続けた。何回急ブレーキを踏み、路肩に飛び出し、土ぼこりをあげたことだろう。

 出発してから二時間半、無事故に安堵(あんど)しながらペシャワルのまちに入った。東西文明の接点として古来繁栄してきたガンダーラ地方の中心である。そんな歴史に思いをはせる間もなく、息を詰まらせるひどい悪臭が私たちを襲った。空は薄い膜がかかったように濁る。交差点に立つ警察官は一様に鼻と口を覆うマスクをつけている。

 大気汚染の犯人は、甲高いエンジン音をたて、黒い煙を吐きながら走る無数の小型三輪タクシーらしい。これらの小型三輪の群れを威圧するように警笛を鳴らして満員のバスが行く。あふれた客がデッキにぶら下がり、後部には無賃便乗の子供たちがしがみつく。ちょっと手が滑れば確実に後続の車にひかれてしまう。

 市場を歩けばいやでも肩を触れる人、人、人。香辛料屋が放つ刺激臭が鼻をくすぐり、商品を手にして叫ぶ魚売りから水が飛ぶ。夕日に浮かび上がるモスクからはコーランの朗詠が流れてきた。



 
 雑踏、悪臭、騒音。天地左右からビンタをくらっているようでクラクラする。しかし、不快というのではない。ありったけのエネルギーの衝突と発散は、物質文明に浸って鈍磨しきった五感をむしろ小気味よく刺激する。

 こんなまちにも驚くほど静謐(せいひつ)な空間があった。ガンダーラ美術の殿堂といわれるペシャワル博物館である。ギリシャ彫刻の面影を色濃く宿し、一切の無駄を感じさせないガンダーラ仏群は圧巻だ。インドで誕生した仏教は、ここガンダーラで仏像を生み出し、シルクロードを北上、東進して中国さらには朝鮮、日本へと伝わった。

 博物館わきの坂を下った先に大きな交差点があった。左に折れ、西へ向かえば五十キロでアフガニスタン国境のカイバル峠である。

 ギリシャ文明をこの地にもたらした若きアレクサンドロス大王もこの峠周辺を越えてインド亜大陸に乗り込んできた。五世紀の東晋の僧・法顕(ほっけん)も七世紀の唐僧・玄奘(げんじょう)も仏教教典を求めてここを越えたという。

 国境の向こうのアフガニスタンはいまイスラム原理主義のタリバンが支配する。東西文明の大きな架け橋を務めてきたカイバル峠は事実上閉ざされたままである。

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