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花摘泰克
写真 飛田信彦

いすに腰かけた姿の大仏は高さ27メートル。奈良・東大寺の大仏(15メートル弱)よりはるかに大きい。上半身が石彫、下半身は泥塑で造られた初唐の作品。風化による破損が見られるが、切れ長の目に唐代の作風を感じさせる
 
 シルクロードの遺跡地図を眺めていると、風と砂の中に興亡を繰り返したオアシス都市は、近くに石窟(せっくつ)寺院を擁しているところが目立つ。

  たとえば、有名な中国甘粛省・敦煌(とんこう)の莫高窟(ばっこうくつ)、新彊ウイグル自治区・トルファンのアスターナ千仏洞、同・クチャのキジル千仏洞などが挙げられる。

  絶壁に何十となくうがたれた岩穴に居ならぶ阿弥陀仏や菩薩(ぼさつ)らの仏像群、また壁、天井に彩色豊かに乱舞する飛天(天人)、麒麟(きりん)、鳳凰(ほうおう)の絵、そして天をつく高さにそびえる巨大な摩崖仏(まがいぶつ)……。

  思えば、熱砂と渇き、寒風と欠乏−自然の猛威に生死の境をさ迷う昼と夜を重ねてきた旅人たちは、過酷な体験に比例させて、超越した存在の世界を求める気持ちをつのらせたことだろう。

  ようやくの思いでオアシス都市にたどりついた彼らにとって、石窟寺院にもうでて精神世界の安らぎを求めることは、生理的欲求を満たすことと同じくらいに、欠くべからざる営みだったに違いない。
 
 甘粛省の省都・蘭州から西南へ百キロ余りにある炳霊寺(へいれいじ)もその一つである。

  蘭州の街の中を流れる黄河に沿って車で二時間ほどさかのぼると、劉家峡(りゅうかきょう)の巨大なダムに行き着く。湖を遊覧船で二時間、快速モーターボートなら一時間。奥深く進み、周りに奇怪な峰が次々に姿を現すにつれ、黄土にまみれてくすむ断崖が眼前に迫ってくる。

  川幅が狭くなった黄河の対岸から仰ぐと、まず目に飛び込んでくるのは巨大な仏像だ。絶壁に彫刻された摩崖仏の姿は威厳に満ちながらも、その表情に優しさをたたえているように見える。

  炳霊寺の歴史は四世紀末から五世紀初頭に始まる。そのころの中国は、三国時代を経ていったん晋に統一されたもののすぐに南北に分裂し、北は五つの異民族の王朝がめまぐるしく交代した五胡(ごこ)十六国時代。最初の石窟は五胡の一つ鮮卑(せんぴ)族が建てた西秦の統治者が開さくしたが、その後も隋唐明清と千年にわたって掘られ続けた。

  いま、陸の孤島にも等しいこの遺跡に、次の世紀にまたがる大修復作業が施されている。

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