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嶋田  健
写真 栗本 充則

中国のカシュガルからやってきた漢族がクンジェラブ峠で記念写真をとっていた。標柱の手前が中国、奥がパキスタン。私たちは国境を越えて中国側から撮影したが、おとがめはなかった。国境にいた1時間ほどの間に峠を越えたのは、冬のせいかパキスタンから登ってきたトラック1台だけだった
 
 中国とパキスタンの国境クンジェラブ峠には、前日の雪がうっすらと残っていた。標高4,943メートル。空気が薄いために、夢のなかで歩いているような奇妙な感覚にとらわれる。快晴の空から降り注ぐ陽光が目に痛い。

 北京から新疆(しんきょう)ウイグル自治区のウルムチ、カシュガル、タシクルガンを経て、ようやくたどり着いたパキスタン国境の峠−。と書けば、旅情もひときわ募るところだが、実は中国側から国境に達することはできなかった。

 夏は毎日のように日本や欧米の観光客が走り抜けるクンジェラブ峠ではあるが、「タシクルガンから南は軍の管理地域」(新疆ウイグル自治区外事弁公室)のため、外国報道陣に対する中国側の規制は厳しい。峠越えの出国はもちろん、峠に近づくことも認められなかった。やむを得ず私たちは新疆の取材から5カ月たった11月初め、南のパキスタン側から「カラコルム・ハイウエー」と呼ばれる山岳道路を上り詰め、クンジェラブ峠に達したのだった。

 国境「線」というが、ここの場合は地上に線は引かれていない。柵も鉄条網もない。新疆ウイグル自治区とパキスタン北方地域とを結ぶ道路の上に、両国名が書かれた白い標柱が立つばかりである。何ともあっけらかんとした広大な明るい国境だ。

 
 国境の手前それぞれ約100メートルの地点に両国の警備隊詰め所と遮断機があった。パキスタンの詰め所は3メートル四方足らず。二人の隊員がここで二泊ずつ勤務し、国境を往来する交易のトラック、旅客バスなどをチェックする。

 隊員の一人がナンを手渡してくれた。小麦粉を練って焼いたパンのようなものだ。気温はちょうど零度。石油コンロで煮出した熱いミルクティーがおいしい。

 外に出て、成田の免税店で買った日本のたばこをお礼に渡すと、二人そろって大げさに敬礼してくれた。ともに丸腰で、短銃さえ持っていない。友好関係にある中パの国境は平和そのものである。

 あらためて国境上に立とうと標柱へ向かうが、この100メートルがはるかに遠い。高度に襲われ、思うように足が進まない。

 ボーっとして眺める前方に氷河が迫る。溶け出す水は南北いずれに向かうのか。南に下ればインダス川を経てインド洋に注ぎ、北に向かえばタリム川となってタクラマカン砂漠の流沙に消える。

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