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嶋田 健
写真 北野 清

玄奘も訪ねたであろう石頭城(右上)下の河原でタジク族の子供たちが遊んでいた。大きな自然と大きな歴史。ここから西にわずか30キロで同じタジク族の国タジキスタン、南西に100キロでアフガニスタン、南に120キロほど下ればパキスタンだ
 
 「世界の屋根」と呼ばれるパミール高原の真っただ中に私たちは入った。ヒマラヤ、カラコルム、ヒンズークシなどの大山脈が合する中央アジアの高みである。中国ではかつて葱嶺(そうれい)と呼んだ。

 新疆(しんきょう)ウイグル自治区のカシュガルを出て、南のパキスタン国境に向かう山岳道路を四輪駆動車で進むこと6時間。標高4,100メートルの小さな峠を越えると、タシクルガンがあった。だいぶ下ったとはいえ標高はなお3,200メートル。頭がガンガンと痛む。高山病だ。

 市街地は10分ほど歩けば尽きてしまうほど小さい。その端にある石頭城跡を参観しているときだった。はるか遠くの河原から歓声が聞こえてきた。双眼鏡をのぞくと、放牧された羊、牛、馬の傍らに子供たちが見えた。

 足がめり込む河原の湿地をなんとか通り抜け、固い草地にたどり着く。見事に草が刈り込まれているが、人が手を入れたのではない。羊たちが草をはんだあとだ。わきには澄み切った川の流れ、背後には青い空に雪をまとった鋭い峰々。おとぎ話のように美しい舞台で子供たちが踊っていた。

 この日は6月1日、中国のこどもの日「児童節」だった。引率者に聞くと、小学校の児童たちが遠足に来ているのだという。頼みもしないのに、私たちに近寄り、次々と踊り、歌ってくれた。

 
 子供たちの顔つきがそれまで見慣れたトルコ系のウイグル族とはかなり違う。タシクルガンを漢字で正式に表記すると「塔什庫爾干(タシクルガン)・塔吉克(タジク)自治県」となる。タジク族の里なのだ。

 タジク族は中国の56民族のうち唯一のイラン系である。ウイグル族は、日本人から見るとかなりヨーロッパ的な顔に見えるが、基本的にはアジアの人々だ。しかし、タジク語はインド・ヨーロッパ語族に属するから、ここはもう印欧世界ということになる。

 タシクルガンの現在の人口はわずか28,500。しかし、この地もシルクロードのまちのつねとして古い歴史を誇り、2,000年前の『漢書』に「蒲犂(ほり)国」として登場する。

 7世紀半ばには、インドから仏教経典を持ち帰る途中の唐僧・玄奘(げんじょう)が立ち寄った。かれの紀行『大唐西域記』は「国の大都城は大きな岩山に基礎を置き、徙多(ヤルカンド)河を背にし」(水谷真成訳、平凡社刊)と記している。これは石頭城のことだろうか。

 まち外れに税関があり、国境警備隊の遮断機があった。パキスタンとの国境クンジェラブ峠はさらに南だが、旅行者はここで出入国手続きをしなけばならない。

 中国が終わり、インド亜大陸がすぐそこまで迫っていた。

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